「運ばれゆくもの」
『Es伽藍』第7号(2004年5月)掲載
─「特集・70年代の小説」参加作品─
………ここにまったく新しい街を造りあげるのだそうです。鉄とコンクリと
ガラスだけで築き上げられる未来都市。街全部が宮殿のようになるでしょう。
ぼくの仕事というのは、そこでガラスを磨くことです。とても大きな一枚
ガラスなのです。〜(中略)〜 ……街じゅうのガラスをぴかぴかにするのです。
でもお母さんもごぞんじのとおり、ガラスはいちばんあとからでないと街に
やってきません。コンクリや鉄のほうが先なのです。ぼくは待っています。
なかなか出来上らない街の隅で待っているだけです。ぼくたちの仲間も、
みんな待っています。
中井英夫『銃器店へ』(『見知らぬ旗』所収、河出書房新社・1971年刊)
この先に駅ありとせば降りてぞ行かな危うき傾斜といえど あやふやな光であれば見えざりき壁に棘なす螺鈿の星も ふり返る意思なき者の視野埋め先を行くあまた後ろ頭は 下へ下へと階段は人導いて漆黒の川の流れにしずむ
汀より見届けやらむ足短ければ届かぬ水の行方を
おの
無人なる土中を走るものありて行き先を自が額に掲ぐ
逃げおおせたりと思えり地下駅の最も深きホーム端にて
昼下がりの新線は人まばらにて人にあらざるものらも運ぶ
自販機こそ壁の花なれ ほとほとと下の口より花粉をこぼす
ふる
一皮剥けばどれもこれもが機械にて顫えかた女らしきを好む
くち
乾きたる男の唇もすべからく邪悪とならむ愛なきときは
見殺しにせし母への詩書きしふみ日々に出ださむとすその母に
ち
定めたる狙いの先に過去見えて小さき照準器に刺さりおり
しゃしゅ
射手あらぬいく梃の銃ショーケースに立ちて内なる空を狙える
そこのみに真相はある閉ざされしガラス戸の内と外との狭間
よぎ おの
狭き視野おりおり過る自が振る杖の白さを知らざる人が
ふみ
親しかりし死者に出ださむ文なるは焦げ臭きわが指にて運ぶ
外はもう雨 街じゅうの透明であらねばならぬガラスを磨く
私心なき愛は拒みき かの夏にはじめて赤の他人に抱かれ
しるしなるはなべて醜し拭うても頬にわずかな湿りは残り 母灼きし火のまなうらに蘇る喫煙所空気清浄器前 汚すべきものなき朝大いなるガラスいちまい地上に届く 未だ見ぬ未来をひょいと跨ぎ越すたまきわるわが亡骸のうえ 今や地上は遠き楽園降り立てばここ大江戸線六本木駅 ためらいはあったにしても雨傘のさき突き刺さるときには尖る 力なく地に横たわる木偶たちの四肢長ければうしろに畳む 人形の服を脱がせば気持ちよくもぐための丸い関節がある まだ自爆しない少女を乗せたまま走るこの先駅あるならば
・「地球図」 / 「明日」 / 「街角の定型論」 / 「蠢」 / 「あやはべる、くせはべる」 / 「描かれざりし絵」
/ 「季のめぐり」 / 「名無しの刑」 / 「戻る日」 / 「初雪以前」 / 「ひとでなし」 / 「転生祈願」 / 「僕の実験」 /
「撮影禁ズ」 / 「水辺の街にて」 / 「話ぎらい」 / 「箱の中身」 / 「ペンは強いか」 /
「うそ童心」 / 「遠い地平」 /
「バスケットケース」 / 「けるかも」 /
目次 / 歌集『風見町通信』より
/ 『アンドロイドK』の時代 / 『見えぬ声、聞こえぬ言葉』のころ
/ 短歌作品(2008年以降) /
一首鑑賞 /
新作の部屋(休止中)
/ うみねこ壁新聞
/ 作者紹介