島津 久基 著

義經傳説と文学
はしがき   凡例

序 篇
一日本に於ける武勇伝説の考察
本 篇 一 部
義 経 伝 説
本 篇 二 部
義 経 文 学(判官物)
武勇伝説の語義と本質
  緒言
  ヘルデンザーゲと武勇伝説
  武勇伝説の二大別

日本に於ける武勇伝説の展開
 収載文献と資料の史的通観
 類別と史的発展の四階程
 武勇伝説の説話型と典型伝説
 時代的及び地方的変容

日本武勇伝説上の中心人物
武勇伝説の中心時代と大成時代
両時代に於ける武勇伝説の中心人物
義経伝説と義経文学(判官物)



二 義経文学の概説

1 義経文学渉猟と鑑別

2 近古の義経文学

3 近世の義経文学

4 明治以降の義経文学

5 義経文学以外の義経伝説の資料
 

 

 

1 義経伝説の四要素
  @時・人・所・事
  A義経伝説の中枢人物
  1九郎判官義経
  2武蔵坊弁慶
  3静御前と佐藤忠信
  4その他の人物  
    四天王
    鈴木重家及び金売吉次
    常陸坊海尊附残夢仙人
    梶原景時

2 義経に関する諸伝説
    義経伝説の分類

  牛若丸時代に属する伝説
      伏見常磐伝説
      鞍馬天狗伝説
      鬼一法眼伝説
   義経島渡伝説
      牛若地獄廻伝説
      浄瑠璃姫伝説
      熊坂長範伝説
    山中常磐伝説
      関原与市伝説
      橋弁慶伝説
   義経得意時代に属する伝説
   逆落伝説
  弓流伝説
  八艘飛伝説
    逆櫓論伝説
    腰越状伝説
 義経失意時代に属する伝説
  堀河夜討伝説
  船弁慶伝説
  吉野山伝説
  狐忠信伝説
  碁盤忠信伝説
  鶴ヶ岡舞楽伝説附胎内拾
  安宅伝説
  摂待伝説

3 全集団としての義経伝説
義経伝説の四要素の統一者-判官贔屓
義経伝説の成長と時代色附俚諺と古跡
義経の伝説的英雄としての成長
義経の伝説的成長
弁慶の伝説的成長
義経伝説の中心思想

1 文学として現れた義経伝説
    叙事詩的作品としての義経伝説
   劇文学としての義経伝説
    小説としての義経伝説 
   義経文学の佳作

2 義経伝説の集成としての
    義経文学(義経記)
   義経記の諸本
    義経記の製作年代並びに作者
  義経記と他の近古文学
    義経記と太平記
    義経記と曽我物語
    義経記と謡曲・舞曲他
  作品としての義経記
  義経記と義経物語

3 義経伝説の擬成としての
    義経文学(「安宅」と「勧進帳」)
  素材上からの考察
  脚色上からの考察 
    詞章上からの考察
     概括―安宅と勧進帳
 



 
凡   例
  1. 底本は、明治書院「義經傳説と文学」(昭和十年一月二一日刊)を使用した。
  2. 旧漢字・旧仮名遣いは、新漢字・著者の表現意図を逸脱しない範囲において現代仮名遣いに改めるようにした。
  3. 送り仮名も同様である。
  4. 尚、難解な漢字・熟語・置換すべきでない旧漢字には( )内に読みを附した。
2001.11.29 佐藤弘弥

 はしがき

これは二十年前の原稿で全く御恥ずかしいものである。観方も若くて浅いし、資料の蒐集穿鑿も十分でなく、取扱の方法も意に満たぬ節々が随分と多い。原文の文章など、今閲ると稚気の脱けきらぬところだらけで、我ながら笑止の感を禁じ得ぬものがある。本書の出版は実はもうずっと以前から先輩や友人や書肆やに屡々慫慂せられたのであったが、部分的には多少筆を加えて、国語と国文学・日本文学聯講・岩波講座等に発表したことはあるけれども、全体としては如何にも梓氏を煩すだけの勇気と自身とがなく、閑暇を獲てもう一度すっかり書き改めてからと言い言いするうち、いつか二昔にもなってしまった。が、その後こうした研究も出ぬようであるし、又自身は公私多忙の上、殊に今は他の研究で手一杯であり、今後も恐らく本稿を新に整頓し直す時間は到底許されそうもないので、一には貧しいものながら、後の志を同じくする人々の為に徒労を省きたく、そして多少でもこの方面の学の建設に際しての礎石の一部にはなるように思われるし、自身としてもこのまま筐底に葬り去るのは身勝手か知らぬが流石に■(奚+隹)助といった念いがあり、それに今となっては、寧ろ曽ての稚愚な自分の姿をこうして留めて置いて、ふりかえって眺めても見たい心持も加わり、そうなると、却って気易さも出て来て、思いきって上木する気になった。

唯、何分にも大正の初、謂わば明治末期と言ってよい頃の稿本なので、原文は当時通行の文語体で、余りに隔世の感があり過ぎる。読者並びに出版書肆の迷惑を考え、明治書院と相談してこれだけは口語体に書き改めることにしたが、怱忙の間の走筆であるから、推敲足らず、点綴の拙劣さから、時折原文の姿態が想測せられて、読者を破顔に誘うところがあるかも知れないことを御詫せねばならぬ。体裁や内容はなるべく原の姿を遺すことに留意した。そして明白な過誤は正し、又読み物として説明が不十分と思われる箇所で気づいたところは適当に補刪した。各伝説の項目中、〔解釈〕は稿本には〔意義〕として置いたのを、改めてみたのであるが、厳密には〔本拠〕や〔成長〕などの解明も〔解釈〕の一部であるべきであるけれども、それら特殊の項目を立てる方が妥当と思われるものは別に独立させて取扱い、従って〔解釈〕と言っても略々原の〔意義〕(Bedeutung)といったほどの意味で、それをもっと自由にしたというに過ぎない。これらはまだ私の一提案というだけで、自分でも満足ではない。それから稿本作成後の新資料や新説等は、〔補〕として随処に挿入して置いた。特に本篇第二部の「『義経記』と『義経物語』」は岩波講座に発表した拙稿『義経記』中の第四章に僅かに筆削を施して添加したものである。なほ『義経記』に関する部分は本書と重複する点もあるが、本書に言い及ばぬ点も含んでいるから、同稿をも併読していただくことを御願いしたい。

本稿の校正は本年八月末から始まり、歳末を前にして漸く校了した。何となく気ぜわしい中に、小さいけれど永い間の何がなし厄介な妙な荷物を肩から下ろして、ほっとした気持ちである。それが判官義経が腰越で抑留された時から今年は恰も七百五十年に当たるのも、偶然ながら彼義経の所謂「将又先世の業因を感ずるか」とでも言おうか。そしてその校正を急ぎつつある間、東都の劇壇では毎月義経物が上演され続けた。九月には東劇に『ひらがな盛衰記』の「逆櫓」、十月には歌舞伎座に「菊畑」の豪華版、十一月には同座に極付の『勧進帳』と、直接義経には関係は無いが復『盛衰記』の「源太勘当」、それに大歌舞伎以外でも、十月の新宿歌舞伎座には三升座の新作『カムイ岩』、十一月は九段の軍人会館で国性劇の『栗橋の静』の再演と、判官劇の繁昌はさながら文化・文政期の再現とも言いたいくらいである。やはり義経は千古に生きている。――国民の中に、大衆の間に。そしてそれは正史の義経としてよりは、伝説として、文学として。本書の印行もかくて全く無意味のものではないであろう。

昭和九年十二月
著者識

 

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2001.11.29
2002.3.25 Hsato