島津久基著
義経伝説と文学

第二部 義経文学(判官物)

第二章  義経伝説の集成としての義経文学―判官物の鼻祖『義経記』
 

第一節  『義経記』の諸本

流布の『義経記』は八巻八冊ある。古名を『判官物語』と呼ばれたとも云い(『比古婆衣』一三之巻、『海録』巻一一、『提醒紀談』巻三)、或は『牛若物語』とも称せられたらしい(『図画一覧』上巻、『柳庵随筆』〔『訂正増補考古画譜』巻二所引〕)が、それらが果たして『義経記』の原名或は古い別名であったかの確証は無い。少なくとも一名ではあろう(〔補〕『義経物語』と題する一本も伝存していることは下に述べる通りである)。絵巻としても行われたことは『倭錦』に足利義政筆・土佐光重筆(『義経記』切)・住吉如慶筆の各残欠、土佐光久筆の『義経記』絵小扇面(『訂正増補考古画譜』巻一一)等が出て居り、又「詞存画逸するもの『牛若物語』云々」と前記『図画一覧』等に見えるのでも明らかである。写本としては内閣文庫の安土本と称する零本(二巻)(〔補〕大正十二年関東大震災焼失)、当代図書館蔵の『判官物語』と題簽に記した八巻本(各巻章節を分たぬ事と、巻八の初「嗣信兄弟御弔の事」の部分を欠き、且結末に小異がある他、殆ど『義経記』そのままである。〔補〕東大本は花廼舎文庫本(八冊)と久世家本(八冊)との両種あったが、共に大震災に焼失したので、現在では阿波文庫本の『判官物語』(八冊)が唯一の完本であろう。岩瀬文庫にも同種の零本(巻一・二)が蔵せられている由である。なお『義経物語』も江戸時代初世頃の写本で且この系統の本である。これら諸本の系統に関しては『日本文学大辞典』に高木武博士の紹介がある。(なお六八六頁の補説「義経記と義経物語」参照)、奈良絵入古写零本(四巻だけ。京大図書館蔵)(〔補〕寛永十四年写本、家蔵の江戸時代初期頃の無画八巻本、川瀬一馬氏蔵古写本。共に流布本系で流布本と小異)等がある。

板行の流布本(八巻八冊)は寛永十二年板(巻末に「寛永十二年乙亥正月吉辰」)、萬冶二年板(巻末に「萬冶二己亥歳 風月庄左衛門」)、寛文十年板(巻末に「寛文拾庚戌初夏 吉野屋惣兵衛板」)、元禄二年板(巻末に「元禄二己巳年孟春大吉祥日 武陽書林山口屋須藤権兵衛寿梓」)、元禄十年板(巻末に「元禄十年丁丑孟春穀旦 京寺町松原下町梅村三郎兵衛」)、宝永五年板(巻末に宝永五戌子年五月吉辰 河南四郎右衛門開板)等を主なものとして十種以上もある(就中元禄十年板が最も普通に知られているようである)が、いずれも余り善本ではない。板本では先ず元和木活字本がよい(節付のある六段本で元禄二年刊の『義経記』もあるが、これは『金平本義経記』である)。今次に伝存している板本で知っているものを年代順に掲げると(零本は珍しいものに限った)
 
種  類  刊  年 巻 冊 挿絵 所     在
木 活 字 版 元  和 八巻八冊 あり  京大・〔補〕・岩崎文庫・野村八良氏・笹野堅氏等
寛 永 十 年 板 寛永一〇 同  上 京大(久原文庫)
寛 永 十二年板 同 一二 同  上 なし 東大(〔補〕震災焼失)・藤井乙男博士

                  
           
           
      
             上  同   あり  京大(近衛公爵家寄託)・藤井博士
〔補〕同十七年板  同一七           あり  (『日本文学大辞典』所見)
正  保  板  正 保 二 上同(欠巻七)あり   早大
萬  冶  板  萬 冶 二  八巻八冊   あり  故松方正義公・古書籍展覧会所見
寛 文 十 年 板  寛文一〇  上  同     あり   東大・同国語研究室(〔補〕共に震                         災焼失)・内閣文庫・宮内省図書寮・学習院等
寛 文 十三年板   同 一三  上  同    あり  大橋図書館(〔補〕震災焼失)・〔補〕                         山岸徳平氏
元 禄 二 年 板  元 禄 二  上  同   あり  図書寮・学習院・〔補〕山岸氏等
同        同     上同(欠巻八)あり   帝国図書館
同  十 年 板   同 一〇  八巻八冊    あり   東大(〔補〕震災焼失)・南発文庫                                                 (〔補〕現東大)・東北大・文理大・学習院・帝国図書館等
宝  永  板  宝 永 五  上  同   あり   東大国文学研究室
享  保  板  享 保 九 零本(巻七)      東大(震災焼失)
横     本  未  詳  八巻八冊   あり   古書籍展覧会所見

他に評註入のものとしては
 

『義経記評判』(元禄一六年刊) 八巻一四冊  松風庵著
『頭註絵入義経記大全』(享保四年刊) 一一巻一〇冊(前書の改題刊行)
『義経記判注』         一二巻 馬場信意著(『和漢軍書要覧』に見える。未見) 

がある。明治以後では国民文庫(芹沢利右衛門編。明治二十四年)、軍談家庭文庫(久保得二・青木存義校)・国民文庫(同刊行会編)・国文叢書・有朋堂文庫(〔補〕日本文学大系・古典全集)等に収めて刊行せられている。註釈書としても早く『標註義経記』(生田目経徳註、明治二十五年、)『義経記講義』(蔵田国秀著、明治三十五年)がある(〔補〕又近時『参考義経記詳解』(井上雄一郎著、昭和七年大同館 も出た)。

以上は流布本であるが、『平家物語』や『曽我物語』等と同じく、下に挙げる如き諸種の異本を生じたのも自然の勢である。併し異本は前二書に於ける如く有名でなく、『奥州本』の外刊行されたもののあるのを聞かない。又写本としても現に伝存しているものがあるかどうか不明で、未だその一種だも触目したことがない(『判官物語』(〔補〕及び『義経物語』)も異本と見做すほどでもない)。

『異本義経記』
『異本義経記』の名によって呼ばれる一本がある。『謡曲拾葉抄』『義経一代記抜萃 熊坂物語』『山城名勝志』『陽春盧雑考』等にその名が見えている。皆同一の書を指しているようである。『拾葉抄』に随処引かれている文詞によって同書の内容を推すると、大略『勲功記』と類似したものらしく、孰れがその原形であるとしても、少くとも流布本より遙に降った近世のものたることを思わしめられる。

『義経記奥州本』
『史籍集覧』の『史料叢書』中に収めてある。但し衣川合戦の條のみで、詞章は古浄瑠璃に近く、確に語り物の正本として用いられた形跡が認められる。用語も方言を混じている。奥浄瑠璃などに語られたものであろう。

『義経記芳野本』
『義経記評判』の中に随処に引いてある。これは流布本系のものか。なお次の『大和本』の條参看。
〔補〕全八冊現存。一・三・四・八各一巻、二・五・六・七各上下二巻。内容流布本と同じ。但し辞句小異(『日本文学大辞典』)。松井簡冶博士蔵。

『義経記大和本』
『義経記評判』の凡例に「『芳野本』といえるは予が家に久しく所持の本なり。今の板本と異同有り、今是によって改正す。又外に『大和本』十二巻あるよし聞伝へ侍れど、いまだ見ることあたはず(下略)」とある。

『村井本義経記』
『義経勲功記』(巻四)に見える。

『吉岡本』
『義経知緒記』に引いてある。ただ『吉岡本』とのみあるので確に知り難いが『義経記』の異本であろう。『知緒記』(上巻)頭註に、「吉岡本、吉岡又左衛門本。津田長俊写之。津田与左衛長俊尾州光義公御家人」とあって、引用した箇所についてみれば、吉岡氏のことが詳しいから、恐らく吉岡流の剣道家が偽作又は『義経記』に添加した作であろう。又左衛門とは即ちその人か。

『長谷川本』
『義経知緒記』(上巻)に引いてある。頭註に「東照宮御代堺の政所被仰付、長谷川左兵衛寛真本也。本は伊勢の北畠旧本と云えり」と見え、その『長谷川本』として引く所は、例の義経の同名異人論、即ち山本九郎と源九郎との混同を弁ずる物語の一條であるから、後の作であることの反証となる。

『北畠本』
『知緒記』頭註所引前文「北畠旧本」とあるそれで、即ち長谷川本に同じ。

即ち異本としては以上の諸本があるとせられているが、その多くは流布本より後のものであるようで、然らざるも流布本系のもので、原典批評には余り有力な参考とはならないようである。だから『義経記』の製作年代並びに作者の問題を攻究するにも、結局流布本に拠る他は無く、否却ってそれが妥当とすら考えられる。他に有力な資料の出ない限り、姑く流布本を原本に近いもの、略々原本の形を遺しているものと見て考察を進めることとする。少くとも流布本の成立年代を考えることにはなるであろう。
 
 
 
 
 
 



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