島津久基著
義経伝説と文学

序編 第一部 日本に於ける武勇伝説の考察

 

第一章 武勇伝説の語義と本質
 

第一節 緒言

誰でも自分の年少時をふりかえると、童話的なものに憧れる心と共に、武勇譚的な物語に興味を感じた経験を懐かしく想い起すに違いない。後のものに対する関心は、前者の中にも一部分含まれてもいて、それが児童の年齢の増加と大体比例して漸層的に前者の領域と入れ替りつつ、彼等の楽しい空想世界の頼もしい導き手となってくれる。そしてそれには彼等の物語ごころの中から又おのずから目覚めて成長して来る事実の真への探求心――歴史への自覚が、これの助伴者として活動するにも因るのである。こうして小さな叙事詩家達は、猿蟹や舌切雀では最早満足出来なくなった高級の知識欲に目を輝かし耳を■(奇+支)てて、五條橋や大江山や宇治川の先陣やの勇者譚に胸を躍らせては、各々の心裡にそれぞれ勇ましい書面を展開させながら独自のエピックを創り出して行くかと思うと、忽ち今度は自身が天晴れ大歴史家となりすまして、他の群童や、時とすると大人達にまで、その薀蓄を傾倒して誇らしい満悦に浸るのである。そしてその後、真の史学を習得して、これまで史実と信じていた多くの勇者譚(英雄譚)が、大部分は伝説乃至伝説的色彩の濃い史的説話であったことを知った後でも、猶、桃太郎・花咲爺の昔噺が仮作物語であったことを熟知してもやはり忘れ難く棄て難い親しみを印せられていると同様に、或は恐らくそれ以上に、それらの物語、即ち所謂武勇伝説に出逢う毎に、旧知に接するような感懐に蘇らされるのである。

そしてこれは恰も人類全般の思想の進化過程の上からも略相似た経過を辿っているのに一致していて、一段の意義と興味とが深められる。英雄譚乃至武勇伝説の時代は、個人の場合と同様に民族の場合に於ても、幼稚な神話乃至禽獣童話の時代から、真の歴史時代へと進展するに必ず通過せねばならない両者を連結する緊要な時代を成している。而も両者に跨っていて、童心と成心と孰れにも亘っている点でも、亦、歴史時代になってから以後、現に現代でも、人間の誇張癖と好奇趣味と、それに創作本能と理想主義とから、更に加ふるに民族意識と英雄崇拝とから、武勇伝説(勿論、武勇伝説だけに局限せられ得ないが、後にも説くように、これが国民伝説の主要部分を成していることも確である)への関心は決して絶滅しないであろう――科学が現実を克服して来れば来るほど、空想は又自由にその科学を超越するであろう――点でも、兎に角、武勇伝説というものは我等に興味深い題目を投げてくれる。即ち英雄譚乃至武勇伝説は言わば成人の御伽噺であり、国民的な理想英雄に対する信仰心に基づく大衆の共同製作であるから、最もよく国民性や民族精神を映していると言える。独逸文献学などが、これをヘルデンザーゲ(Heldensage)という独立した一部門として立てている態度には、十分首肯せらるべき理由が存する。

武勇伝説を語るのは面白い、聴くのも無論面白い。が、これをいろいろの側から考察し論究してみるのも、亦別様の面白さと意義とが期待される。曾ての少年時の良師友、清正や為朝や義家や、私は今、あの頃とは全く変った自分として、これらの故旧に見えることを許容してもらわねばならない。唯、彼等を、そして彼等の伝説を、愛好する心持に於ては、昔日と毫も異なる所が無いということだけは附け加えねばならぬ。

但し、武勇伝説の論究と云っても、そう簡単には試みられない。資料も実に夥多に上っているから、これが蒐集整理すらなかなか容易ではない。そこで私は先ず我が国の武勇伝説を代表し得べき中心人物を覓めて、その周囲に結びつけられている諸伝説に就いて考察を加えるのが、最も緊要で且有意義な労作であると考えるのである。その為に準備として、我が国に於ける武勇伝説の展開の跡を一通り眺めて観たいし、そしてその中からその中心人物を検出して、何故に武勇伝説の中心人物となるに至ったかを討ね、その人物を主人公とする数々の伝説の発生・成形・進展・拡布・転化等の諸現象を精査し、そしてその伝説に反映している国民的或は時代的若しくは地方的等の特質或は著色を吟味して、民衆と伝説との相互的影響感化について究明を試み、他面では、各伝説がどんな文学を生んだか、作品の素材としてどういう取扱われ方を受けているか、作品化せられた後に於て如何なる姿に成長変容を遂げたか、それらの作品の文学値はどうであるか等の問題に亘りたいのである。即ち文献学的側面からと文学史的側面からとの接触点にその考察の対象を据えて取扱って行こうと思うのである。そして仮令大きな成果が予期し得られなくとも、その作業の道程に於て、日本伝説学の一部門の確立に資すべき何等かの収穫に接し得たい冀望で発足しようと思う。
 

第二節 ヘルデンザーゲと武勇伝説

が、それに先だって、ここで「武勇伝説」という名辞に就いて一応考えて置きたい。これは原来は独逸語のHeldensage(ヘルデンザーゲ)の訳語で、学者により或は時により「英雄伝説」「英雄譚」「勇者譚」などとも用いられているようであるが、「武勇伝説」の称呼は芳賀矢一博士の常用せられたもので、稍通俗的な響を有ち且連か漠然たる嫌はあるけれども、在来の日本語たる「武勇談」という熟語とも連想が滑らかであるのみならず、「英雄」という語に制約せられない所が、寧ろ我が国の武勇に関する伝説の汎称として頗る恰当する点で、私も之を用いたいのである。

なお詳しく言うと、我が所謂武勇伝説と独逸のヘルデンザーゲとは必ずしも同一ではない、又同一でなければならない必要は無いのである。既に独逸に於てすらそのHeldenの語義に関しての解釈が決定的でない。従ってその研究法の如きも、神話(Mythologie)・童話(Marchen)に於けるほど進んでいないのである。事実、この方面の研究はまだ学としての完全な体系が打建てられてないのである。それは先ず豊富な資料の出来るだけ多くの蒐集と厳密な比較整理が為されてからでなければ、真の定義が下し得られなのが当然であるばかりでなく、神話や童話に比しても、形態から謂っても内容から謂っても甚だ複雑で、一見雑然としている観がある上に、その実、厳密な分類法を施し得べき性質のものではなくて、階次的の開展の過程を示すに過ぎないものが多いに因るのでもある。全く、説話学の範囲内で、比較的容易な為に早く着手せられて稍形の整えられて来た神話学と童話学とから逃避せられて、伝説のみが――説話の中で最も大部分を占め、最も複雑した、そして或意味では最も主要な部分であるにかかわらず、否、それだからという方が当るかも知れない――説話の分野に取残されてしまっているのが現状である。そしてこれが解決と取扱は主として、民間口碑の側からすると、国民文学の側からするとの両者の分担に委ねられねばならないであろう。

〔補〕現に目今に於ては民間口碑の側からする方は民俗学として、又国民文学の側からする方は説話文学研究として、それぞれ成長しつつある。

が、その広汎な伝説類の中で、武勇伝説はかなり特殊なものであるから、比較的一括せられ易い点はある。これが独逸文献学でもHeldensageの独立項目を立て易からしめた理由の一であろう。さてその所謂ヘルデンザーゲであるが、マイエル(Meyers)の辞彙(レキシコーン)を披いて閲ると、

一民族の英雄時代の伝説の総称。特に国民的叙事詩の内容を形成するものをいう。

と出ている。甚だ簡潔で要を得ているようで、且ヘルデンザーゲと国民的叙事詩との緊密な関係を述べているのは、まことに妥当と思われるが、併しこれでヘルデンザーゲの性質が言い尽されているかどうか。英雄時代だけに制限したのも一応は首肯けるし、取扱上の簡易さはあるが、そう制限せられねばならぬ根拠は明らかにしてない。唯、上に説明を加えて、ザーゲの本質は、一般人間の心の詩的動機と史実の文学的改変に帰著すると論じて、先人がヘルデンザーゲの必然的特徴と仮定して伝説の中に種々の神話的関係を求めようとした徒労さを笑っているのは大体認容出来る。これは恐らくウィルヘルム-グリム(W.Grimm)の『独逸英雄譚』(“Dic deutschen Heldensage”)の所説に従ったもので、先人というのは、『神話・叙事詩・歴史の考察(“Gedanken uber Mythus, Epos und Geschichte”)で始めて学術的にヘルデンザーゲの本質を論じて、神話的成分と史実的成分と混淆したものと断じたヤコブ-グリム(J.Grimm)及びそれを継承したラヒマン(Lachmann)やミュレンホフ(Mulenhoff)等を指したものと思われる。然るに一方ではウーランド(Uhland)の如きは、文学的要素の方に重きを置き(『詩文と伝説の歴史に関する論叢』“Schriften zur Geschichte der Dichtung und Sage”)、ミュレル(Muller)は又、神話を以て主部分と認めようとする(『独逸英雄譚の神話学』“Mythologie der deutschen Heldensage”)。斯様にヘルデンザーゲの本質論は、学者によって所説を異にするのである。独逸文献学の権威シモンズ(Symons)も、ヘルマン-パウル(H.Paul)編『独逸文献学概論』の「ヘルデンザーゲ」の項で、

ヘルデンザーゲという語の意義に就いては、今日猶十分に又学術的に明白な確説はないのである。従って又この方面に関する研究に対しても、一般に承認せられる明晰な原則に従った研究法の如きも猶定まったものがない。ヘルデンザーゲの起源及び内容に関しての問題研究者の執る立場如何によって、ヘルデンザーゲの意味は如何様にも決せられるのである。(B. Symons : Heldensage in Pauis Grudriss der germanischen Philologie II)

と言っているが、これは明らかに、ヘルデンザーゲの本質的研究が、猶初歩時代にある事を語るもので、同時にその研究が、甚だ困難な性質を有つものであることを意味するのではあるまいか。然らばシモンズ自身の所謂立場はどうかと見ると、ヘルデンザーゲとは、

一民族或は一種族の英雄時代に成った、或はその英雄時代の特質に従って改作せられた、そして大叙事詩――それは当該民族それ自身のものであってもよし、隣邦若しくは近親種族のものであってもよい――に材料を与える口碑伝説の集団

と定義を下しているのは、マイエルに比して、一歩を進めた観はあるが、併し、その具体的の論述に聴けば、英雄時代、即ち所謂ゲルマン民族大移動の時代と、叙事詩とに限っている事は、マイエルと同様であるのみならず、その国民的特性を重んずるのはよいとして、その極一層甚だしくヘルデンザーゲの範囲を局限してしまっている。仮に彼の所説を算式にして示すとすれば、
 

詩的作品(叙事詩)−神話−外来伝説−同種族の伝説でも始め外国で文学に作られたものから来ているもの−後代の史的人物の武勇譚及び地方的伝説−往古のゴート・フランク・ランゴバルド等の種族伝説−北ドイツの伝説=ゲルマン民族大移動時代(即ち英雄時代)に南ドイツに於て発生し又は改作せられた伝説並びに伝説圏=ヘルデンザーゲ


ということになる。こうして見ると、彼の立場からしたヘルデンザーゲは、時代に於ても地方に於ても、甚だしく制限を蒙っているわけである。以上のように制限すると、研究の範囲は明瞭となるのであるが、少しく観方が偏狭に堕している嫌いはないであろうか。

一体独逸では、ヘルデンザーゲの解釈には、そのヘルデンという語に特に重きを置いて考えられ、そしてそのヘルデンは、又或時代に限られた、特殊の意味を含ませて用いられているのが常で、つまりヘルデンザーゲとは、英雄時代(ヘルデンツアイト)の英雄(ヘルデン)を主人公とする伝説の意に用いられているのである。だからこれを訳して「武勇伝説」と呼ぶのは実は少しく当らない所がある。「勇者(英雄)譚」、又は「英雄伝説」とするが妥当であろう。そしてもとよりその英雄時代に局限して、その時代の伝説のみを研究の対象とすることが、独逸文献学の大切な一部門であることに異議を唱えるものではないが、それを直ちに移して、民族を異にし歴史を異にする我が国に当篏めることは出来ない。類似の時代を国史の上に求めることも出来ぬではないが、その時代の伝説を以て、典型的なものと見得る外、その一時代だけに局限せられねばならぬ理由は殆ど見出されない。ヘルデンザーゲの訳語でありながら、ヘルデンザーゲの訳語らしさを有たない「武勇伝説」という称呼が、日本の勇者譚的説話の総称として、寧ろ矛盾なく行われ得る所に自ら独自の意義が説明されているかの観がある。勿論、独逸のヘルデンザーゲに匹敵するような勇者譚も数多くあり、それを英雄伝説或は英雄譚・勇者譚と呼ぶに少しも差支なく――現に私も時により是等を便宜、武勇伝説と同義語に用いてもいる。又、稍通俗的な意味に於て武勇譚という語を用いる場合もあるが。――それが武勇伝説の主部分でもあるが、それらをも含めた上、もっと広い範囲を日本武勇伝説は有している事を事実に於て示している。――というよりは、武勇伝説と呼ぶ方が、英雄という人物中心の意味が稀薄になる懼れは稍ある代りに、寧ろ本質的には、却ってヘルデンザーゲの内容に、より多く近づきすらすると言いたいのである。ヘルデンザーゲの本質を吟味すると、時代的或は地方的制限等は殆ど何等の絶対的拘束を及ぼすものではないからである。又武勇伝説を構成する必須の要素として、人物の他に事件というものが存在し、後者の方が重きをなす場合すらある事実に、もっと注目せられてもよいという欠点があるからである。

この点で独りヴント(Wundt)に愉快な所説を聴くことが出来る。彼は時代の制限も地方の制限も全然認めない。そしてヘルデンザーゲの形態上の分類を試みている点でも、前記の人々よりは進んでいる。ヴントがヘルデンザーゲの生成を、神話(Mythus)・史実(Geschichte)・詩想(即ち文学乃至仮構)(Dichtung)の三つの根本成分の融合にあると認めたのは、シモンズと同様であるが、シモンズが寧ろヘルデンザーゲの神話的分子の研究を、神話学に譲ろうとする主張からして、史実に重きを置いた――この態度は私も賛成であるが、そして史実に重点を置くのはヴントも同じなのではあるが――のに対し、ヴントはヘルデンザーゲの根源をやはり神話の中に求めようとしているのが著しく異なるが、併しヘルデンザーゲの発達の上から見て、その本質を遠く神話乃至童話に溯源し得、下って真の歴史時代に進むその展開の姿に於て眺める時、こうした意味に於てならば、ヴントの考は謂れなきものでないと言わねばならぬ。又シモンズが、両者の連続的関係を認めつつも、猶神話と伝説との区別を求めて、

ミュトロギー(神話)とヘルデンザーゲとの根本的区別は、ただ前者は本来専ら自然の詩的観察であるに対し、後者に於ては、表現の形式を異にする同じ自然現象の詩的具現が、史的事件の詩的に粉飾せられた記録と混淆して見える事である。

と説いているのに比較して、相似た意味を述べたのではあるけれども、ヴントが史実的分子を以て、ヘルデンザーゲに特有な性質を附するものとし、その著『民族心理学』の「神話と宗教」篇で、

これがなお未だ史実を含まぬ童話と、一般的特質に於て、再び比較的史実味を失った神話とから、ヘルデンザーゲを区分させるのである。(Volkerpsychologie 5Bd.“Mythus und Religion”zweiter Teil)

と論じている方が余程端的簡明である。そして単に自然の詩的観察というだけでなく、神話と雖もその発生の契機に於ては、原始人の神話的想像の背景として、概して曾て一度史実の存在を予想し得るとする方が妥当であろう。

私はやはりヴントに賛して、時代・地方の制限を認めることなしに、性質の上からすれば、ヘルデンザーゲは、神話と童話との中間に位し、又発展の順序からすれば、原始的な神話的童話的時代から、真の歴史時代に進む、中間の段階に位するものに過ぎないと観たいのである。尤も、この展開の三段階も、その間に、截然たる根本的の界線があるのではなくて、互に出入があり、混合があり、又逆転があって、複雑を極める。これが一にヘルデンザーゲの本質研究を困難ならしめる所であり、神話・童話等とは、別箇のものであるかの印象をすら与える点でもある。要するに、ヘルデンザーゲを構成する三種の根本成分は又神話・童話のそれともなり得るのである。何となれば、神話は既にその本源の形に於て、神話的成分(信仰的分子)と詩的成分との混体である。そして漸次消失して稀薄になってしまう場合があるとしても、史的成分がその発生の際の背景、或は少くとも間接要素として働いた筈である。従って神話の中にも、武勇譚が見出されるのは、毫も奇とすべきではないのである。童話の場合も同様で、ただこれは殆ど史実を欠いているというだけである。又伝説と雖も、一詩人の手によって、詩化せられるに先だち、国民的口碑として口から耳へと伝承せられて行く間に、自然と詩的に改変せられて行くのである。そして、一旦その成立に参加した以上、濃淡の変化はあっても全くは消失する事がないのみか、常にその主部分を成しているものが、即ち史実なのである。そこでヴントは、この三種の根本成文の量的の差異による配合の仕方で、説話の三種別を決めようとしているのは、面白い考え方と言える。即ち今仮に便宜これを表に作ってみると、Mythus(神話的成分)をMで、Geschichte(史実的成分)をGで、又Dichtung(詩的――空想的乃至仮構的成分)をDで現すことにすれば、(一位・二位は量の多少の順位〔〕は稀薄の意味を示す符号)ヴントの観方では

第一位 第二位 第三位
 M + D +〔G〕= 神話(Mythologie)
 D + M(むしろ主として動物崇拝)+ ナシ = 童話(Marchen)
 G + D + M = 英雄譚(Heldensage)

ということになる。又他の側から観れば、神話・童話の神話的分子を漸次に減じて来て、代りに史実的分子を次第に増大し、そして一詩人、又は国民全体の手によって、詩的に作成せられ、或は改作を受けたものが、ヘルデンザーゲで、尚その発展を継続すれば、詩的成分の減退と並行しつつ、全く真の歴史の時代に入って行くのであると言える。勿論これは、一般的の形に就いて、概論的に言っての事で、一々の説話資料に就いては、必ずしもこの規範に当篏まるとは限らない場合もあり、互に錯綜紛糾しているのが、事実であると言えるのである。

以上述べた所は、必ずしも独りヘルデンザーゲに限らず、国民伝説――Volkssage(フォルクスザーゲ)――の一般に就いても言われ得べき事であると思う。然るにこの点に関しては、ヴントは明確に言及しないばかりでなく、地名伝説・種族伝説及び祖先伝説等も亦、ヘルデンザーゲに結び付け、或は含ましめて説いているようである。ヘルデンザーゲは、これら諸種の伝説を合せて、益々その内容と形態を増大し、変化あらしめているのは事実である。又ヘルデンザーゲが国民伝説の大部分を占め、或は中心を成すことも事実である。それら諸種の伝説が、ヘルデンザーゲと緊密に結合していたり、ヘルデンザーゲから派生したりする場合も勿論多いのではある。併しながら、ヘルデンザーゲを以て神話・童話と対立させつつ、国民伝説全体を抱括させようとするのは、些か無理ではないかと思われる。私は、

ヘルデンザーゲとは――少くとも日本武勇伝説とは――武勇又は戦争に関する、或は勇者(英雄)を主人公とする国民伝説の一種(但し国民伝説の最も主部分を成すもの)

と言いたいのである。ここで国民伝説という意味について一寸説明を加えるが、国民伝説とは伝承の間国民全般の手によって作られ――仮令原形に於て無名の一個人作家の創作であっても、亦後に一詩人の手を借りて文学的形態を完備するに至る事があってもよい――、その国民全般の間に生命を有する口碑若しくは伝説を言うので、これこそは神話・童話と並立的に取扱わるべきもので、即ちシモンズやヴントがヘルデンザーゲに与えた位置にこれを据えたいのである(国民伝説の中で、ヘルデンザーゲに次いでこれと共に重きをなすものは、宗教伝説であると見たい)。

更に附言せねばならぬのは、ヘルデンザーゲと叙事詩との関係である。既に国民伝説たる以上、それが国民的叙事詩となるのは、ただ一挙手一投足の事である。況や口碑伝説それ自身常に叙事詩化の傾向を有しつつ国民の間に伝承拡布して行く性質を有しているのである。その伝説中の国民的英雄は、国民的叙事詩のヒーローとして絶好の題目であることは改めて言うに及ぶまい。そして叙事詩に作られることによって又ヘルデンザーゲは愈々国民的となり、益々国民間に拡布して行くのである。斯く叙事詩とヘルデンザーゲとは、殆ど引離して考える事は不可能な程に親近な関係を持っているのである。文学の発達に伴って、叙事詩化された国民伝説は、やがて小説となり戯曲ともなる。又曾て叙事詩化せられなかったもので、小説・戯曲化せられる場合もあり、文学作品化を見ずして、滅び去るものも亦ないではない。が、いずれも概しては機会があり、作家があれば、やはり国民的叙事詩に作り得られる性質を有するものと見てよい。そこで私は、

武勇伝説とは、国民的叙事詩の内容を形成し得べき、武勇又は戦争に関する、或は勇者(英雄)を主人公とする国民伝説を謂う。

と定義しておきたいのである。従ってその資料は、民間口碑乃至民間説話によりは――もとは民間説話でも、国民的弘布をみて、国民伝説となる場合も無論あるが――寧ろ国民文学の側に屡々求められねばならないし、その意味でも、又それに関連して、国民的叙事詩或は戯曲・小説との交渉という点でも、武勇伝説の考察攻究は、文学研究者の任務でなければならないと思うのである。
 

第三節 武勇伝説の二大別

さて武勇伝説の構成成分の中、最も重要なものは、史的成分即ち史実である事は前に述べたが、更にこの武勇伝説の類別に関して、やはりヘルデンザーゲと史実との関係に就いてのヴントの所説を、参考として一通り次に考察して見たい。即ちヴントは、史実との関係から生ずる自然の分類として、ヘルデンザーゲを、神話的英雄伝説(mythische Heldensage(ミティシエ ヘルデンザーゲ))と、史譚的英雄伝説(historische Heldensage(ヒストリッシェ ヘルデンザーゲ))(歴史的又は史的と訳すべきであるが、神話的と対を取る為に斯うしてみた。譚の字に拘われたくないことを断って置く。)に二大別している。彼に従えば、両種共史実の影響下にある点は同じであるが、史実との交渉の方式が別様で、ここが両者の区分の生ずる所であるとしている。詳しく言えば、前者は史実の影響を唯間接に受けるだけで、一面に於ては、その伝説の発生した国土・民族・時代環境等に応ずる、英雄の一般的特質に影響し、他の一面に於てはその時代特有の史的條件、即ちその伝説の伝播・改変の上に影響を与える民族間の交渉等が反映せられる。従って後者よりは遊離性が遙に大きく、常に自在に流移遊行する。且、魔術(Zauber)と怪異(Wunder)とを含むのが特徴で、一面童話と頗る親近な関係を有っている。然るに後者は、一定の史的人物と、事件との直接の影響を受ける。故に伝説それ自身が史的粉飾を施された真の歴史の影像に他ならない場合があり、或は仮作せられた話柄が、背景たる史実に直接影響せられている伝説の挿話であるだけの場合もある。故に後者は前者に比べて、一層固定的で且、現実的である(勿論伝説の本質上、遊離性から解放されているのではない)。又時としては、両者を兼ねたような場合もある。言わば、神話的史譚的ヘルデンザーゲとも名づくべきもので、史的事件をその説話が反映はしているけれども、主人公たる英雄とその行為が、神話的分子に富んでいるという場合の如きそれであるが、斯様の場合は、前者に属せしめてよい。何となれば、史譚的ヘルデンザーゲは、常に明らかな一定の史的回顧を予想し得べきものでなければならないからである。ヴントの『民族心理学』に於けるヘルデンザーゲの分類に関する所論の大要は上のようであるが、更に彼はこのヘルデンザーゲの両種別を、各々又二種づつの型に分けている。今同書(前掲同篇)からその大要を抄訳して表示してみる。

神話的 英雄伝説(mythische H.)
 第一種 ヘラクレス型(Heraklestypus)
  第二種よりも一層原始的根源的の形と思われる。性質上各個の全く独立した種々の行動若しくは挿話が、外面的関係によって一個の英雄に結びつけられているもの。従ってその伝説の主人公は童話の純然たる後継者たる観をなしている。併しながらその行動は単に呪符的魔術的のものに止まるというだけではなく、中には稍進んだものになると、自己の武力・智慮等をも働かせ、且説話遊行の間、この行動が或特定の場所に結びつくに至って、外面的であるとはいえ、明らかな人格的特質を具えしめられ、その伝説の属する民族の理想的代表者とならしめられるに至るのである。代表例はヘラクレス伝説(Heraklessage)で、ベォウルフ伝説(Beowulfsage)もこの種のものの例である。

 第二種 アルゴノート型(Argonautontypus)
  伝説が描く全事件がその主人公の努力の向けられる単一の目標によって結合せられているもの。即ちこの種のものに於ては、発端と大団円との間に幾多の岐路に入った挿話が■入せられるのが普通であるが、而も常にその主部分を統轄する一の目標があることが、第一種の型式に比して著しい。故にこの型の伝説では、主人公の他にその行動を助け或は妨げる人物が現出して来て、全体の人物並びに構成が共に劇的性質を帯びて来る。そして若し第一種の場合と同じく遊離説話の形を取ることがあれば、その場合は、第一種の無目的、無拘束で自在に遊行するのと異なり、必ず一の目標に向っての冒険挿話として附帯せられて行くのである。代表例、アルゴノート伝説(Argonautensage)。

史譚的 英雄伝説(historische H.)
 第一種 ニィベルンゲン型(Nibelungentypus)
  神話的英雄の面影と、及び神話的童話から移って来てこの英雄に結びついた神話的素材とが伝説の核髄を形成し、その核髄の周囲に、史的回憶が、その本源は恐らくそれとは別箇の独立的なものであろうと思われる地方的な伝説の痕跡と共に隠伏するもの。代表例、ニィベルンゲン伝説(Nibelungensage)。

 第二種 ディトリッヒ型(Dietrichstypus)
  或何等かの回憶が結びつけられている史的人物なり、若しくは多くの神話的及び史的英雄をその周囲に有して、口碑として永く後世に感化を与える史的事件なりが伝説の核髄をなすもの。代表例、ディトリッヒ伝説(Dietrichssage)。

(註記)以下、ヴントの術語を引用する場合は、上の表にも示したように、神話的英雄伝説・史譚的英雄伝説の訳語を以てし、これにそれぞれ略々相応ずる日本のそれは、神話的武勇伝説・史譚的武勇伝説の称呼を用いて混同を防ぐことにする。(ヴントの解するヘルデンザーゲの内容は前述の如くであるから、寧ろ武勇伝説と訳して日本のものに適用しても、甚だしい支障を来さぬ程であるが、併し又日本の武勇伝説と全然同じではないから、原語にヘルデンという語が用いられているに縁由して、便宜上、英雄伝説という訳語に依って置きたい)

尤も上の分類は、根本的の区分ではなくして、四種それぞれ階次的の区分である。それはヘルデンザーゲの性質上、根本的分類は不可能であるからである。そこで上の類別を、もっと簡約すると、結局

神話的 英雄伝説
 第一種 第二種より神話的分子が多く、遊離性に富んで最も童話に近接している。
 第二種 第一種に比して史的分子の増加したもので、遊離性も第一種ほど強烈でなく、且前者よりは人間的。

史譚的 英雄伝説
 第一種 第二種より比較的神話的分子が猶残存している。但し、神話的英雄伝説の第二種よりは神話的分子も漸減し、又史的分子が更に多く、一層人間的・固定的で、唯、猶童話的な性質を含む。

 第二種 第一種よりも史的分子が一層多く、人間的・固定的の濃度が更に増大している。

ということになる。即ち英雄伝説の二大別に於て、前者は主として神人的英雄に関するもので、後者は史人的英雄を主人公とするものである。併しこの分類の適用も、実際問題としては、種々の困難を伴うことは勿論である。そして前者は同時に又、神話学の対象でもある。ヘルデンザーゲ乃至武勇伝説の独自的な主体は、やはり後者でなければならない。我が国の武勇伝説に於ては特にそうであるといってよい。但し両者の界線は、その性質上明確でないのであるから、そして又、純神話的武勇伝説には比較的乏しいが、それに准ずるものは相当多きに上っているから、史譚的武勇伝説に中心を置くべきであると同時に、又広く両者に跨って取扱わるべきでなければならぬことは論を俟たない。

併しながら、武勇伝説の取扱に関しては、完全な方法論が未だ確立せられていないのである。何れの民族でも、ヘルデンザーゲが、真の歴史と目せられていた時代は、非常に長いものであった。諸般の学術の進歩と共に、一面は史学の方面から、一面は宗教学・神話学、若しくは文学の方面から、漸次にその真相が解明把握せられるようになって来た。欧羅巴に於けるこの方面の先覚者は、ヤコブ-グリムであった。一八一三年に彼の『神話・叙事詩・歴史の考察』が出てから、ヘルデンザーゲは全く伝説として取扱われることとなった。従ってこれが研究の三大着眼点はシモンズが挙げているように、(一)神話的方面、(二)史実的方面、(三)純詩的方面でなければならない。ヴントがヘルデンザーゲ構成の根本成分としている所のものも、畢竟この三部分である。そしてその研究の出発点は、常に史実の探究でなければならないとシモンズが言っているのは、確に肯綮に中った論と言うべきである。さてヘルデンザーゲから史実を抽出し去った後に残るものは、神話的分子と、純詩的想像の所産とでなければならぬ(神話も亦原始人の宗教的と同時に芸術的想像から生まれるものではあるが、ここでは既に発生した神話を、既存のものとして、更に進んだ文化人の文学的創造の作用を純詩的想像という語で示したのである)。第二の作業として、その何れを先に選出すべきかは、考慮を要する。史実の場合では、抽出が比較的困難を感ぜられないが、明白に推断の出来る場合を除いては、この二種の成分は史実とも、亦二種相互とも錯綜関連しているのが常である為、殊に心的所産で特に同じ芸術的想像という点で流通している為、何れを先にしても、十分な分析が望めない場合が多い。況や完成せられた伝説は、大抵単純なものでなく、又三者の融合も緊密で、容易に解剖分析を許さず、又斯様な分析のみを以てしては、三者以外に、三者の結合乃至混融の結果として生ずる三者の何れにも属しないようなもの、或は三者融合の際に生じた或ものを失うという懼れがないでもないのである。要するに複雑な形態と内容と、変化流動性を有するヘルデンザーゲの各資料の取扱は、一般的法則の下に律することはなかなか困難である。

更に伝説の移植伝来に関連して、他民族のそれとの比較研究に当っては、比較神話学に於けると同様、否それ以上の不便不満が感ぜられざるを得ない。特に我が国民伝説にあっては、支那伝説との交渉が最も注目せらるべき問題でなければならず、怪力乱心を語らざる聖人の国も、『山海経』『准南子』『捜神記』『剪燈新話』を始め、民間の口碑伝説に於ては、その国の大に準じて、寧ろ多きに過ぐるほどであり、武勇伝説も二十一史の中に多く含まれるのみならず、『漢魏叢書』『唐人説薈』『説郛』『続説郛』等の中にも資料を発見し得べく、更に『演義三国志』『水滸伝』を始め、『封神演義』『東周列國志』『東西漢演義』等、我が国の軍記物とも称すべき類の中に豊富であるが、この方面の完全な資料の蒐集整理が試みられてないことは、我が国に於けると同様である為、十分な利用の出来ないのが遺憾である。

飜って我が国に於ける武勇伝説研究の跡を顧ると、亦余りにも貧弱で寂しい。日本伝説学も未だ建設せられるに至らず(柳田國男・藤澤衛彦等諸家の努力と労績は著々これを目ざしつつ進められてあるが)、武勇伝説という部門に関しても、殆ど着手せられていないのである。我が国在来の稍この種の研究に近いものとしては、井澤長秀の『広益俗説弁』谷重遠の『俗説贅弁』曲亭馬琴の『昔語質屋庫』の類、その他諸家の随筆中に散見するものがあるに過ぎず、近時漸く高木敏雄氏の『比較神話学』中に一部取扱われ、或は個々の説話として、森洽蔵・志田義秀・金田一京助等の諸家によって一部分の研究が試みられて来ている。同時に武勇伝説という術語が、多分芳賀先生によって作製せられたことも、この研究の方向に一指針を与えたということが出来よう。

兎も角もこれら先学の足跡を慕い踏みつつ、外国学者の所説をも他山の石として、未だ拓かれぬ我が国武勇伝説の沃野にささやかな鋤を入れ始めてみようと思う。
 


 
 



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2001.12.1
2002.3.25 Hsato