私が訪ねた世界遺産

パサルガダエ

キュロス大王墓

大ペルシャ帝国
 パサルガダエは、いまから二千五百年前に大ペルシャ帝国を築いたキュロス大王のアケメネス朝の都があった場所です。
 古代ペルシャ帝国の建国者とされるキュロス大王(キュロス2世)は、紀元前559年にペルシャ王国の王に即位し、宗主国のメディア王国を滅ぼしてまたたく間に現イランから小アジア半島を征服しました。さらに東へ転戦し、中央アジアに至るまでを従えて、大ペルシャ帝国を築いた人物です。

パサルガダエ宮殿跡

キュロス大王
 キュロス大王が築いた帝国をアケメネス朝ペルシャと呼びます。エーゲ海から中央アジアまでの空前の大帝国を築いたキュロス2世は、アケメネス朝の都をパサルガダエと定め紀元前546年に首都の建設を始めました。その後紀元前529年に戦死するまで、多くの功績を残したと伝えられています。例えばバビロンを征服した後、ネブカドネザルのためにバビロン捕囚となったユダヤ人を解放してパレスチナに帰国させ神殿の再建を許したことは旧約聖書にあります。また「キュロスの円筒印章」は、支配下の民族の信仰をみとめたことなど、諸々の統治方法を伝えています。

パサルガダエ宮殿跡

壮大な都パサルガダエ
 現イランは、キュロス大王のペルシャ建国をもって民族の起源としていますが、アケメネス朝の都のあったパサルガダエは、キュロスのあとを継いだダレイオス1世によって建設が中止されました。

パサルガダエ宮殿跡

 2004年に世界遺産に登録されたパサルガダエ遺跡は、当時のアケメネス朝の栄華と権力が絶大であったことを今日に伝えています。

レリーフ

1日では回りきれない広さ
 私は2010年秋に、シーラーズからガイドの車でパサルガダエを訪れました。シーラーズからは約90キロの距離がありますが、途中は荒涼とした砂漠や岩山で、樹木がまったく見えない涸れ川に沿った道路を延々と車は突き進みました。

パサルガダエ宮殿跡
建物壁

 ようやくたどり着いた遺跡の入り口付近には、キュロス大王の墓が石棺をむき出しにした状態ででんと居座っていました。エジプトのピラミッドには遠く及ばないものの高さは20メートルほどあると思います。その近くには宮殿の跡や迎賓館跡もあり、一見して遺跡は広範囲に広がっています。都跡は二千五百年前のものですが、キュロス大王の墓のすぐ近くには隊商宿の遺構もありました。いろんな年代の遺跡が複雑に混じりあっているのではないかと思われました。

カレ跡

発掘途中や修復途中のもの、また砦跡がある小高い丘もあります。限られた時間のなかではとても回りきれないほど広大な範囲の世界遺産です。