私が訪ねた世界遺産

エルサレム

エルサレム

エルサレムをとりまく複雑さ
 エルサレムは、1981年にヨルダンが申請した世界遺産です。現在世界遺産となっている「エルサレム旧市街と壁」の大部分は東エルサレムに属していますが、当時はパレスチナ難民がパレスチナへの帰還を訴えていました。ヨルダンは前統治国としてイスラエルによる支配を認めず、エルサレムの世界遺産申請をしました。したがって、現在においてもこの世界遺産は「ヨルダン申請」とリストに明記されています。イスラエルの世界遺産とは認められていないのです。 キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は、世界三大宗教といわれますが、これらの宗教の聖地とされるのがエルサレムです。聖墳墓教会はキリスト教、嘆きの壁はユダヤ教、岩のドームはイスラム教の聖地ですが、これらが東エルサレムの半径200メートルにも満たない地域に集まっているのです。 過去には、この場所をめぐって争いが繰り返されてきました。十字軍戦争、シオニズム運動、三次にわたる中東戦争、パレスチナ独立運動などがその象徴的な紛争です。

ダマスカス門

世界遺産エルサレム旧市街と城壁
 私は、2014年5月にエルサレムを訪れました。泊まったホテルは、ダマスカス門に近いグランドコートホテルです。 世界遺産として登録されているのは「エルサレム旧市街と城壁」です。 私が泊まったホテルから旧市街に入るときに最初に通る城壁がダマスカス門でした。ここは、朝早く通るときと日中に通るときは様子が全く違っていました。朝は人通りも少なく落ち着いた雰囲気でしたが、日中は露店などがびっしりと立ち並び、多くの人でにぎわっていました。門を通り抜けるとそこもまた狭い路地のバザールになっています。  ダマスカス門は、旧市街へ通じる門としては最もよく知られていて、人びとの行き来も激しいと思いました。このほかに城壁の東がわにはライオン門があります。この門は、オリーブの丘に通じています。ライオン門の由来は、門の外側壁にライオンの彫刻があることによります。 また、ダマスカス門から城壁を南にたどると西側を向いてヤッフォ門があります。黄金門は、神殿の丘に通じていますが、閉ざされたままです。このほかに、シオン門、糞門、ヘロデ門などがありますが、私は通りませんでした。

聖墳墓教会

聖墳墓教会
 イエスが磔刑に処せられたところはゴルゴダの丘とされていますが、そこに建てられた教会がイエスの墓を納めている聖墳墓教会です。ここには世界中のキリスト教徒が巡礼に訪れます。私はクリスチャンではありませんが、内部を見学させてもらいました。

イエスの墓

 イエスの廟のある堂内に足を踏み入れたときにそこに集まっている人の多さよりも、堂の造りに胸を打たれました。墓のある廟の建物が堂の中央にあるのですが、丸いドームの天井には丸窓があり、そこから白い光の太い筋が、廟の上にまるで天上からのように燦燦と降り注いでいたのです。キリスト教徒でなくても、この光景を目の当たりにするとイエスは天に祝福されていると思うにちがいありません。

嘆きの壁

嘆きの壁
 ユダヤ教徒の聖地といわれるのが嘆きの壁です。ここは約二千年前にヘロデ大王がたてた神殿がありましたが、紀元70年ごろにローマ帝国によって破壊されたもののその西側の壁が残って、その後ユダヤ人の精神的な拠りどころとなったとされています。
 私がエルサレムを訪れたときは2014年の初夏で、壁に通じる広場へは空港なみの厳重な警戒体制で手荷物のチェックを受けました。広場に入ると、その広さに圧倒されますが、広場は壁の手前約50メートルくらいの幅で壁に並行して肩の高さほどある柵で仕切られていました。柵の開いているところから壁に近づこうとしましたが、係員の女性から入場を遮られました。ユダヤ教徒しか近づけないようです。

オリーブの丘から見た神殿の丘

岩のドーム
 嘆きの壁があるところは神殿の丘といわれるところで、壁の上方に目をやるとイスラム教を開いたムハンマドが天に昇った場所とされる岩のドームの黄金の丸屋根が、陽を浴びて光り輝いています。
 私はエルサレムに来るまでは、岩のドームがある神殿の丘に観光客は入れるものと思っていましたが、銃を持ったイスラエル兵士により入場を阻止されました。ムスリム(イスラム教徒)しか入るのを許されていないようでした。
 エルサレム旧市街は、ムスリムやユダヤ教徒、キリスト教徒が古くから共存してきた街です。それぞれが住み分けて生きてきたので、ムスリム地区、ユダヤ人地区、キリスト教徒区、アルメニア人地区というふうに区切られており、神殿の丘のすぐ北側はムスリム地区となっています。