私が訪ねた世界遺産

バールベック

バールベック

ベカー平原
 地中海側のレバノン山脈とシリア側のアンチ・レバノン山脈にはさまれた地域をベカー平原といいます。
バールベックは、ベカー平原の北に位置するこじんまりした静かな町で、遺跡はその町の北側に接しています。町は、イスラム教シーア派に属する人が多く、同時にヒズボラの拠点でもあるようです。

バールベック

バールベックの神殿
  バールとは、もともとフェニキア人の信仰していた神で、蘇生の象徴「夏」と深く関連していたということです。ユダヤ教の「ヤハヴェ」に対峙する神としてカナン地方で崇拝されたことは、旧約聖書にも出ています。シリアでは「ベル」ともいいます。セレウコス朝時代になって、バール神の神殿のあるこの町は、ギリシア語で「ヘリオポリス」と呼ばれるようになりました。ヘリオスは太陽神のことです。
 その後この町を重要な植民地としたローマの歴代皇帝は、神殿の拡張に努めました。戦いの前には、必ず神殿で神託を仰いだということです。こうして、2世紀のはじめには壮大なジュピター神殿が建造されました。完成させたのはカラカラ帝です。

 その後、コンスタンティヌス帝により神殿はキリスト教会に変えられ、また、イスラム帝国が支配すると、神殿の一部は要塞として造り替えられもしました。数々の受難を経ながらも、バールベックの神殿遺跡は、往時をしのばせる壮大な遺構を今日に伝えています。

バールベック

ジュピター神殿とバッカス神殿
  遺跡は、もっとも大きな面積を占めるジュピター神殿のあるアクロポリス、その脇にあるバッカス神殿、やや離れた位置にあるビーナス神殿、そしてローマ時代のアゴラ跡の4区画にわかれています。

バールベック

 ジュピター神殿は、アクロポリスの中心部にあり、そこへ行くには、東側からアクロポリスの正面入り口の、幅43メートルの51段の階段を上ります。階段を上りきると、幅50メートルのテラスの巨石遺構があり、その壁の中央に、前庭に通じる入り口があります。前庭は六角形で、直径は62メートルもあります。六角の中庭を中心に、取りまくように円柱に支えられた回廊があったと考えられています。
 この六角の前庭部とジュピター神殿の間に、祭壇のあった中庭があります。ここは、縦135メートル、横113メートルの長方形です。この中庭の西側に、ジュピター神殿の遺構が残っています。

バールベック

 神殿は、奥行き106メートル、幅69メートルで、中庭から階段を7メートル上がって入ります。ジュピター神殿の壮大さを今日に伝えているのは、南側にある6本の円柱です。

バールベック
 円柱の頂上部での太さは2.2メートルもあり、一本の円柱はたった3個の石で作られています。神殿は、このような円柱54本が4辺を囲む壮大なものでした。アテネのパルテノン神殿をはるかにしのぐ、ローマ帝国最大の神殿がここにあったのです。

バールベック

 ジュピター神殿の南側の低いところには、バッカス神殿があります。幅36メートル、奥行き69メートルで、現在は屋根はなく、神殿の壁、神殿を取り囲む列柱などが往時のままに残っています。
 ビーナス神殿の跡は、アクロポリスの東側にあります。

 ジュピター神殿の西側、やや低地にはアゴラ跡が広がっています。

バールベック

 私は、1995年秋にバールベックを訪れました。レバノンの内戦が終結してまだ2年足らずで、ベイルートの日本大使館も空き家になっているころです。ベイルートからガイドの車で行きましたが、途中何度も軍の検問に遭いました。内戦がはげしいときは、パレスチナ難民が遺跡を占拠していたことがあったようです。
 レバノンの世界文化遺産は4サイトが登録されていますが、そのなかでバールベックが最も壮大です。遺跡の前に立つまでは、内戦の影響でどんなにか荒廃しているに違いないと思っていましたが、わりときれいに保存されているように感じました。射撃訓練の標的になったといわれていた6本の円柱は、想像をはるかに絶する巨大なもので、遠目には損傷など全く見えません。バズーカ砲をもってしても、これらの円柱を倒すのは無理だろうと思いました。
 アクロポリスの神殿や正面前庭、中庭の壁などは、巨石で組まれているので、すぐには崩壊することはないでしょうが、復元をふくめて保存に力をいれてほしいなと感じました。