私が訪ねた世界遺産

イスファハンのイマーム広場

イマーム広場を見学する女学生

イスファハンの歴史
 イスファハンは、イランのテヘランから南約450キロにある古都です。イスファハンの都市としての歴史は古く、前6世紀に始まるアケメネス朝時代にさかのぼります。しかし、その最盛期を迎えるのは、イスラム帝国アッバース朝時代(750~1258年)のサーマーン朝(875~999年)、セルジューク朝(1038~1194年)、サファヴィー朝時代(1501~1736年)になってからです。サファヴィー朝のアッバース1世の治世のころにイスファハンは首都となり、栄華を極めていきました。交易のためにこの都市を訪れたヨーロッパ人は、「イスファハンは世界の半分」と賞賛しました。

イマーム広場のモスク入り口

イスファハンの見どころ
 イスファハンは標高1575メートルの高原に広がる美しい町です。京都のような古都で、歴史的な文化遺産が数多くあります。そのなかのイマーム広場(メイドゥーネ・イマーム)は世界遺産に登録され、多くの観光客を集めています。  私は2000年、2002年、2010年の3回もイスファハンを訪れました。来るたびに変わらぬ美しさに圧倒され、同時に都市としての変化を目の当たりにして人びとの息吹を実感しました。

アリー・カープーからみた広場

イマーム広場
 世界の半分と言わしめた象徴的な存在がイマーム広場です。ペルシャ語で「ナフシェ・ジャハン」といい、「世界の半分」という意味です。かつて「シャー(王)の広場」と呼ばれたこの広場は、アッバース1世が建設に着手し、1612年に完成したといわれています。広場は完全な矩形で、その大きさは、南北510メートル、東西が163メートルにも及びます。広場を囲むように、南側にイマーム・モスク、西側にアリー・カープー宮殿、東側にシェイク・ロトフォラ・モスク、北側にバザールの入り口があり、各辺に沿って整然と連なった2階建ての建物が広場を囲んでいる構造です。この広場に車で入れる通路は、東西の建物の北寄りにあり、そこだけ建物がつながっていません。広場を囲む建物は、すべてが広場側を向いた商店となっています。  宮殿、モスク、そして長大な2階建ての建造物、これらは広場を核にして造られた一体の建造物で、歴史上においても世界中を見渡しても希有な存在であるといえます。

アリー・カープーの音楽室

アリー・カープー宮殿
 サファヴィー朝のアッバース1世が建てた宮殿です。6階建ての構造になっていて、3階部分が、広場のすべてを見渡せるテラスになっています。テラスを覆う天井は精緻な象嵌装飾で敷きつめられています。テラスの壁面には、ペルシャ情緒を漂わせるフレスコ画が描かれています。最上階には、音楽室があり、天井壁面には音の反響を吸収するためのさまざまな形の孔があいています。天井壁面の構造は、モスク特有の鍾乳石様式で、見た目にも大変美しく感じられます。

イマームモスクのドーム

イマーム・モスク
 1638年に完成しました。イスラム革命前は「シャー(王)のモスク」と呼ばれていました。モスクへの入り口は、イマーム広場に正対していますが、モスク自体は広場に対して、右のほうを向いています。広場に面したイーヴァーン(ファサードともいうべき入り口)の天井部分は、鍾乳石を思わせる凹面を組み合わせた幾何学構造(スタラクタイト)になっていて、その美しさにしばし見とれてしまいます。入り口を入ってやや進みモスクの中庭に出ると、ブルーを基調としたイマームモスクの壮大な構造に思わず息を呑みます。正面と左右に、それぞれドームを備えたモスクのイーヴァーンがあり、中庭を囲んでいます。一歩中に入ると、高いドームに圧倒されてしまいます。ドーム天井の下に行き、拍手をしたり足を踏み鳴らすと、その音が天井に反響して荘厳な音を返してきます。中庭の中央には、水をたたえた矩形のプールがあります。

シェイク・ロトフォラ・モスクの天井

シェイク・ロトフォラ・モスク
 アリー・カープー宮殿と広場をはさんで丁度反対の東側にあります。広場からは、ドームの大きさと美しさが一層きわだって見えます。広場に面した入り口を入り、通路を進んでしばらくいくと、右側にモスク内部に入る入り口があります。モスク堂内は広く、とくに目立ったものはありません。ドームの天井を見上げると蜂の巣を思わせる精緻なタイル張りの装飾があり、その模様と黄味を帯びた色に目をうばわれます。アリー・カープー宮殿とは地下道でつながっているとのことです。