私が訪ねた世界遺産

ディヤルバクルの城壁

ディヤルバクルの城壁

クルドの町
 ディヤルバクルは、トルコの東アナトリアの中央からやや南に寄ったところで、チグリス川の流れに近く、歴史的には、ヘレニズム時代から、ローマ帝国、ササン朝ペルシャ、ビザンティン帝国、イスラム帝国、オスマン・トルコが支配をした地域です。古名をアミダといいます。
 クルド人が多く、近年ではクルド労働者党(PKK)とトルコ軍の間で激しい戦闘が行われていました。
 クルド労働者党とトルコのエルドアン政権の間で停戦協定が結ばれた後の2010年に、私はこの街を訪れました。
 ディヤルバクルの旧市街は、全長5.8キロに及ぶ城壁ですっぽりと囲まれています。その城壁(市壁)が世界遺産に登録されたのは2015年で、私が訪れてから5年も経ってからのことでした。

城壁とともにディヤルバクル市民

世界遺産はFortress (城砦)
 ディヤルバクルの城壁は、そのなかに町を包み込んでいる完全な市壁(City Wall)です。全長6キロ近くに及ぶ市壁には、高櫓が数多くあり、沢山の城門を備えています。それぞれの高櫓、城門は、時代や支配者によって大きさ・形が異なっているのを確認できます。また、城壁には63か所に碑文が埋め込まれているそうです。

城壁と城門

城壁の上
 城壁の内側の壁に副って石段が数十メートルごとに備わっています。石段を上りきると城壁の上の通路に出ることができます。城壁の上から見ると壁の厚さは大体3〜5メートルあることが分かります。通路は1〜2メートルの幅でその外側には2メートルほどの高さの壁が連なり,狭間がところどころに開いています。数々の重い歴史を背負っているかのように、壊れかけた高櫓や様々な時代様式の高櫓を壁の上を歩いていると見ることができます。
 4世紀中ごろ、当時ローマ帝国の辺境の砦だったアミダが、ササン朝ペルシャ、シャープール2世の軍勢に包囲されたときに、この城壁内に立てこもった市民が女性も含めて獅子奮迅の戦いを展開したことは『ローマ帝国衰亡史』に記述されていますが、城壁の上を歩いて、さもやと想像をたくましくしました。

城壁の高櫓のひとつ

ディヤルバクル旧市街
 5.8キロの城壁に完全にくるまれた旧市街には、歴史的な建造物がたくさんあります。その一つがウル・ジャーミィというモスクです。建てられてから2000年以上経っているとのことで、シリアのダマスカスにあるウマイヤ・モスクとよく似た外観で、かつては神殿やキリスト教会であったと思われます。2層の列柱回廊がとても美しいと思いました。  また,町の南西付近には、シリア正教の聖マリアマナ教会があります。創建からすでに1700年ほど経っていますが,外観、内陣ともよく保存されています。メソポタミア地域では最古のキリスト教会の一つといわれています。

聖マリアマナ教会

 旧市街は、東西と南北方向に大きな通りがありますが、そこから一歩内側に進むと狭い街路が網の目のようにはりめぐらされています。
 前述したようにここはクルド人の町で、精悍な顔つきの若者や、民族衣装をまとった老人、頭にスカーフと腰から下には長いスカートをつけた女性たちというふうに、ほかのトルコの都市とは明らかに違う雰囲気を漂わせています。

城壁に囲まれる民家