私が訪ねた世界遺産

クラック・デ・シュバリエ

全景

十字軍の城
 シリア・アラブ共和国の首都ダマスカスからアレッポ方面に北上すると、途中にホムスという町があります。そこから西に61キロほど進んだ山中に、十字軍が残した城の中でも最も優美といわれるクラック・デ・シュバリエがあります。

城壁

十字軍とクラック・デ・シュバリエ
 十字軍は、11世紀末に西ヨーロッパから興ったキリスト教徒による聖地回復運動でした。当時、西アジア、特に東ローマ帝国の影響が数世紀にわたって続いていた小アジア(アナトリア)がセルジュク・トルコの支配下となり、皇帝アレクシオスがローマ法王ウルバヌス2世に救済を求めたことによって、エルサレムへの巡礼路を確保するためとして1095年のクレルモン(フランス)公会議で十字軍遠征が決定されました。
 1096年に始まった西ヨーロッパ諸侯の十字軍遠征は、1270年までに7回組織されました。十字軍は、西アジアにおけるイスラム社会に対して、200年にわたり殺戮や略奪を繰り返し、パレスティナ・シリアに大きな傷痕を残しましたが、1291年を最後にパレスティナから撃退されました。
 十字軍は、1099年にエルサレム王国を建国したのを始め、トリポリ伯国、アンティオキア公国、エデッサ伯国などを立て、セルジュク・トルコのアラブ諸侯と対峙しました。このうちのトリポリ伯国の領地内にあったのが、クラック・デ・シュバリエです。1142年以後ヨハネ騎士団の支配となってから、現在みられる城郭に整備されていったようです。難攻不落の城といわれましたが、1271年にマムルーク朝バイバルスによって開城されました。

金曜のモスク内の礼拝室

世界遺産の中世の城
 クラック・デ・シュバリエとは、フランス語で「騎士の砦」という意味で、アラビア語ではカラート・アルホスンと呼びます。世界遺産には2006年に登録されましたが、カラート・サラーフ・アッディーン(サラディーン城)とともに単一のリストとなっています。 この二つの城砦は距離的には90キロ以上離れています。
 クラック・デ・シュバリエは、標高750メートルあまりの山の尾根上にあり、堀と絶壁に囲まれた二重の城壁を持っています。内側には、大きな会堂やロマネスク様式の礼拝堂があります。屋上に出ると四方がみわたせて、眺めがいい位置に城郭があることがわかります。
 もともとこの場所には、イスラムの砦があったものを十字軍が攻略してから、ヨーロッパ式に築城したものです。東のホムス、西のトリポリや北のアンティオキア(現在のアンタキア/トルコ)に通じる道の要衝にあることから軍事的には重要な位置にありました。

金曜のモスク内の礼拝室
 十字軍の要塞は、地中海の海岸線に沿ってアンティオキアからガザ(パレスティナ)に至るまで大小の要塞が点在しています。
 私はそれらのうち、サイダ(レバノン)、トリポリ(レバノン)を観ましたが、どちらもよく保存されています。レバノンの海岸線を走っていると崩れかかった要塞跡なども見かけることがありました。

ブルーモスク内陣

シリア内戦と遺跡の現状
 私がこの場所を訪れたのは、2000年3月でした。パルミラからホムス方面へ荒涼とした砂漠の中を自動車で駆っていくと、延々と続いていた殺伐とした風景に少しずつ緑が増していき、やがてホムスを過ぎる辺りから大地が潤しい緑に包まれていくのを目の当たりにして、その劇的な変化に深い感動を覚えました。家族連れが草原にピクニックを楽しんでいる光景を見かけるようになったのもホムスを過ぎてからでした。
 シリアは2014年ごろから深刻な内戦状態となり、2024年現在も政府軍の他にいくつかの勢力が支配している地域があります。クラック・デ・シュバリエのある地域の治安状況はどうなっているのか知る由もありませんが、この世界遺産が破壊を免れていることを祈るばかりです。  ここに掲載している写真は、2000年当時に撮影したものであることをお断りします。

タブリーズの通り