私が訪ねた世界遺産

シメオンの丘

聖シメオン修道院

聖シメオン修道院
 シリアのアレッポとトルコのアンタキアの丁度真ん中あたりに、シメオンの丘といわれるところがあります。
 ここには、キリスト教初期のころに聖人となったシメオン、別名「柱上のシメオン」と呼ばれた聖シメオンが修行した場所で、彼の没後に修道院が建てられていました。現在は、聖シメオン修道院の面影を伝える遺跡があります。
 私がこの地を訪れたのは2000年の春で、そのころはまだ世界遺産には登録されていませんでした。2011年の世界遺産登録後、シリア内戦によって、トルコとの国境沿いのシリア北部は、イスラム国やアサド政府軍、反政府軍の戦闘地域となったので、はたして現在(2021年現在)もこの貴重な遺跡が2000年当時のままの姿を維持しているかどうかは判りません。ここに掲載する画像は20年前のものであることを予めお断りしておきます。

聖シメオン修道院

柱上の修行僧シメオン
『ローマ帝国衰亡史』の第23章でギボンは、ローマ帝国がキリスト教を国教とした前後のキリスト教界のことを述べています。そこには、聖シメオンを「柱上行者」と紹介しているくだりがあります。
「シメオンはアンティオキアの東3、40マイルのある山の上に住処を定めた。はじめ彼は石のサークルの中に太い鉄の鎖で体をつないでいたが、後には一本の柱を立ててその上に棲み、(中略)だんだん高くして60フィートにも及んだ。彼はこのような高い位置で夏の酷暑や冬の極寒をしのいだ。(中略)そしてこの忍耐強い行者はその柱から下りることなく息を引き取った」

聖シメオン修道院
 シメオンが生きたのは4世紀末から5世紀中頃とされていますが、当時はこうした禁欲的な修行僧がキリスト教世界の内外を問わず尊敬されていたものと思われます。事実、柱上生活を送る彼を一目見ようとたくさんの人が集まってきました。18世紀に生きたギボンも特筆できる事象として伝承をもとに書き記したのでしょう。

聖シメオン修道院正面

 シメオンを聖別した正教会は、シメオンが生涯を過ごした柱を中心にして修道院教会を建て、多くの修道士がここで修行しました。そこはまたキリスト教徒の巡礼地となって栄えたようですが、やがてイスラム帝国の支配が及びいつしか忘れられていったようです。

シメオンへの道

北シリアの世界遺産
 前述のように私は2000年春に、アレッポからこの地を訪ねました。
シメオンの丘は、アンタキアへ通じる幹線道路沿いにあるものとばかり思っていましたが、予想に反し、車は荒涼とした山間の岩だらけの細い道路を進み、やがて小高い丘陵の上の遺跡らしい建造物の前で停まりました。そこがシメオンの丘で、バシリカ様式の聖堂の跡が広がっていました。遺跡からは、礼拝堂のほかにもいくつもの部屋を備えたかなり大きな建物であることがわかりました。その中心には巨大な卵形の大理石が高さ1.5メートルほどの台座の上に鎮座していました。そこがかつてシメオンが生涯をすごしたという柱のあった場所でした。

シメオンの柱
 シメオンの丘には、かつての栄華の日々を懐かしむように、アーモンドの花が咲き乱れていました。
 2011年シメオン聖堂の遺跡は、「北シリアの古代村落群」の一つとして世界遺産に登録されました。

アーモンド