[ 戻る ]


3月1日

一体どこまでがセーフでどこまでがアウトなんだ
というボーダーラインを完全排除したこのテキストプレイにおいては
精神系オカルトネタだろうが、社会風刺不謹慎ネタだろうが、四肢切断ネタだろうが、
カニバリズムだろうがペドフィリアだろうがネクロフィリアだろうが、全部が全部バリアブル・フリーダム。

4000連打で突っ走れ!


<エントリー11: 
禍詛さんの作品:無駄な快楽をより>

30分もかけて文章を書くのは良いが、それは一体全体 価値があるのだろうか? 
大体だ、価値が生まれるには他人からの評価が必要なのであり 自分の為だけにかかれる文章にそんなモンを求めても
仕方がないじゃないか 自爆だな つまり、30分かけて『快楽』を得た者勝ちなのでこのままでは自分は敗者となる 
くそ 勝ち組になるためにも書きたいことを非常に書きにくい環境の中に書いてやる!! 


テキストサイトやってる誰もが意識的にもしくは潜在的に評価とか価値を欲しているのは確かかも。
でもそれ以上のプライオリティもまた確かに存在するのです。書くことだけによる満足。それが原点。
閲覧者が1人もいなくともテキストを書きなぐるだけで充足した満足を得られる人種達。それが侍魂以前。
いわゆる黎明期。他人の前に自分、他人よりも自分自身が面白がることが全てに優先された時代。
彼等は皆わかってる、そもそも文章を書くその行為自体に価値など一切存在しないのだということを。
ということで思いだそう掘り起こそう。とりあえず自サイト上にフォントサイズ10で「オナニー」って打っとこう。
毎日それを眺めることにより、自らの行為の原点を反復し、それを徹底的に頭に叩き込もう。
でも貴方は既にそれを分かってる。だってもう書いてるじゃん。
面白さも滑稽さも上手さも風情も全て拒否したテキスト既にこうやって書いてるじゃん。
価値とか評価とかにとらわれない世界がここにある。いわばプレイは言い訳、最初に帰ろう、無に帰ろう。

もしや、サカイ氏はこの企画を通し、参加者の苦痛を読み僕らを嘲笑うのだろうか? 

九十九式より引用>
いくつかの投稿作を読んで感じたんだけど、2秒以上指を止めることを許されない(≒思考を止めることを許されない)
というのは実に怖いことで、ブレインストーミングやカウンセリングや洗脳や催眠や暗示や自己啓発セミナーや
修行するぞにも似て、モニター上の文字に自己、本音、嗜好、危険思想、深層意識をさらけ出すことを余儀なくされる。
何もかもを隠しておきたいと考えている人間にとってこれ以上怖いことは無い。


という部分には後で気づきました、なるほど。
極めてカッコいいのでそういうことにしておく・・と言いたいところですが実際にはホントーに何にも考えてなくて
理由もきっかけも全部インスピレーション一発とかそんな感じ。言い訳や理由付けは後でいくらでも補填できるし。

結局俺はこの30分(もう越えているが)に快楽を得ることができたのか? 

価値とか評価からかけ離れた世界で、いいオナニーが出来たかどうかを決めるのは常に自分自身。
で、どうよ?(何が?)


<エントリー12: ネナシコ
:りらさんの作品:30分書きますより>

男の子の中でも、ひとくせあるような感じの人に弱い。
変人、と思われることは普通、と思われることよりもだいぶいいじゃない?変人、ってことは
人となんか違うからそう見えちゃうだけでしょ?
いい意味でも悪い意味でもいいから人の気を惹く人ってのはいいなあと思うわけです。
私もそういう人になりたい。

見分け方と線引きが難しいと思ってました、ホンモノの変人と変わり者ぶってる人との違いが。
でも、最近になって普通とか変わり者とか言う概念の意味そのものがわりと希薄になってきていることに
気づきはじめました。深く観察すれば誰もが変わり者の側面を持ってるし、同時にフツーの部分も合わせ持ってる。
で、ホントよくよく考えたらフツーの奴なんか誰1人いやしないンじゃないかって・・・
今頃そんな事を考えたり思ってたりするのです。

あ、もう40分くらい書いてた。やっぱり自分のことが大好きなだけあって、自分のことを書き始めるといっぱい
書けるなあ。そのうえ、私は普段から独り言が多く、際限なくしゃべっているのです。毎日サイトで書くニッキ
はあんまり長すぎると時間もかかるしそんなに長くても読むほうがつらいと思うのでそんなに長く書いたりしない
のですけれども。何の意味もなさない文章でも、いっぱい書くとストレスの解消になりますよ。


自分のことを書き始めるといっぱい書けるなあ 
これは同感だなあ。
実際、エンタとマイセルフの側面で混乱しがちになった時とか、私の文章はたいてい自分よりになります。
で、「あ、ヤバい」と思った時は音楽テキスト書くことにしてるのです。
時間は膨大につぶれるわ、自己満足100%の充実感はあるわ、他者に見せること意識しなくていいわで好い事づくめ。

何の意味もなさない文章でも、いっぱい書くとストレスの解消」 
これは大事だと思います、凄く。もっとも重要かも知れません、
アマチュアにおける全てのライティング・ソウルは人間の根本たる自慰に帰結すべき。
コレ忘れた時が、たぶんサイト辞める時なんだろうなぁ。


2月26日

「・・・ボクを・・ボクを・・・・! ボクをテキストプレイに参加させてください!!」

というわけで碇君ともども依然 投稿募集中。目指せ100プレイ!


<エントリー13: left of the middle
:mameさんの作品:2月10日 口をあける より>

私さっき布団から出るとき思ったことなのだけれど、半年くらい前まではあなたって
私が横に寝ていてもちょろっと動くたびに目を覚ましていたわねってことで、
ほんっとどうでもよいことなのかもしれないけれど、この変わり具合はふっしぎだよねー、
安心してもらえることはとても嬉しいんだよ。嬉しいけれどまだまだ寂しいところはあるのですねー

男性が女性サイトを閲覧する理由の一つに↑があると思うのです。
異なる種ならではのエモーショナルな感覚描写。
勉強にはなるし(使うときねえけどな!)、純粋に興味深かったりもするのです。
コレ、逆もまた真なり、なのか?


あー、この音うるさくないかなぁ。

疾走するダブルフィンガーに追随して秒速3キャラクターのブラインドステップは容赦なき打鍵音を生み出す。
それでも側で寝てる彼氏への気遣いを忘れない健気なその・・・
身はたとえプレイの業火に朽ちぬとも 留め置かまし撫子魂 とかそんな感じで。
で、確実に当てられた、あついよあついよ。

何でもいいから書き続けるというよりも打ち続けるというこの行為は不思議にして非常に楽しいのだけれども、
自分ばたばたばたばたってキーを打っていたらその音が雨に聞こえてきましたよ。ばたばたばたばたは春に降る
太目の雨の音に似ている。それを知っただけでなんだか得した気分だからもうここでやめちゃおうかな、

音楽に例えると”泣きのギター”の場面。いわゆる風情と叙情性。
自分には絶対書けないであろうフレーズを読むと言うのは、どこか大好きなギタリストのプレイを聴くのにも
似通ってるナァとかそんなことを考えました。


<エントリー14: とさつさんの作品: より>

ぶっちゃけた話、この企画サイトを発見してからこの文章に着手するまで15分もかかっていないような具合

もっとも正しいプレイへの取り組み方。脊髄反射でゴー!とかそんなテンションでやると吉です。

えーと、どうもやってみて分かったけど、これをやってると異常に嘘が連発されますね。
それはつまり日常的に書いている文章にどれだけ嘘が含まれているか、というコトに繋がるんではないでしょうか。
つまり、日常的に書く文章には、体裁や自己保身といった観点からの要素がかなり多分に含まれており、
実際には思ってもいないことや、考えから遠くはなれたようなことを平気で書いてしまっていたりするわけですね。
少なくとも僕はそうなのだろうと思います。その点、何故今回のこの文章ではそういったことが起こらないかと言うと、
これはもう単純。頭が動かなくって、そういった判断がまるっきり下せなくなってくるからです。

意図していたわけではないんですが、ホントにそうなるみたいですね。
そこが面白いンだけど。イヒヒヒヒ。
ちなみにプレイしてる時の身の回りの出来事をリアルタイムで書いていくのが正しい防御法みたい。

何か朝について素晴らしい部分を語って気分を変えようじゃないか。
例えば、朝はすがすがしい。日差しの明るさが気持ちいい。一日のはじまり、という充実感が体を満たす。
ああ、全部嘘くせえ。一応嘘のつもりではないけど、こんな時間まで起きてしまっている自分がいる以上、
そんな感覚とは絶望的に距離があるし、全くすがすがしさなんて感じない。ただ襲い来る眠気とダルさ、そして手首の疲れ。
先程から放置しっぱなしのメッセンジャーも大変きになっているところだ。

ナチュラル・ハイ直前と推測。かなりいい具合の壊れ方です。細かい描写がそれに拍車をかける。
徹夜明けでこんなことやってる自分の存在意義について考えると、もっと高みへ登れると思います。

これで一応31分間やった、ということになるだろうか。それならまあ、やめてもいいはずなんだけど、
どうにも怖くて手が止まらない。本当に僕の頭は大丈夫なのだろうか、このあと寝ても変な夢を見ないだろうか。
布団の中で指だけがカタカタと動き続けたりはしないだろうか。不安はつのるばかりだ。
だがしかし、こうして不安を抱えてくらい気持ちになっている最中でも手だけは動かさなければいけない、
もはや頭は冷静でいようとする努力をとっくの昔に放棄してしまい、ぼくは適当に手を動かして、
文章に見えるようなものをただただ叩きつけているだけなのだ。こんなことをして一体何になるというのだろうか。
そろそろ限界も近づいてきている。

そして完全に仕上がったというわけ。なんかホントに宗教とか自己啓発とかそんな感じになってきた。
プレイしてくれたキミもコレ書いてるボクもー!というか絶対どこか間違ってる。(企画そのものが)
というわけで本格的にアッチの世界にいっちゃう前に誰か止めて下さい。グーかなんかで。


<エントリー15: サージライン:カワムラさんの作品:30分 より>

眼鏡は良いね眼鏡はかけさせるのも好きだけどかけるのも好き眼鏡自体が好きちょっと前にガキの使いで
松本人志が「来年あたり眼鏡不足が来る」って言ってたけど確実に来るね世界から眼鏡は消える眼鏡ショックが
新聞とかで眼鏡ショックを知った主婦がこぞって最寄のスーパーのダイソーに100円の老眼鏡買いに行くの想像
してみ別に面白くないので終わろうと思いまーす。


想像して素直に面白いと思いました。
実際、メガネの重要生についてもう一度考え直してみてもいい時期にきたと思う。
メガネ革命とか起こしたいですよね。”裸眼禁止・コンタクト禁止・みんな眼鏡!誰もが眼鏡!”を訴えて。
で、国会議事堂前をメガネ野郎で埋めつくしたあげく機動隊と大衝突。
殴られるメガネ、吹き飛ばされるメガネ、放水直撃メガネ、催涙弾直撃メガネ、楯で乱打メガネ、号泣のメガネ。
最後に残されたるは無数の割れたメガネのみ。嗚呼メガネよメガネッ子よ何処へいく・・・
そいや昔「お前の父ちゃんメガネッ子♪お前の母ちゃんメガネッ子♪家族全員メガネッ子♪みんーなみんなメガネッ子!」
というメガネをコバカにした歌をつくって眼鏡ダチ共によってたかってボコにされた記憶があります。
そしてふと気づけば私自身がメガネになっていたという地獄のような結末が。ホント世の中やりきれない。

こうやって手を止めずに脊髄反射だけで文書いて皆で見せ合いっこしようぜ!
みたいな頭の温かい企画やってるってのをどっかで見たんで最初の何行か書き始めたついでに
こう手を止めずにキーボードを打ち始めたんですけど、だからスッゲー下半身が寒いですよね。


「頭の温かい」って表現は面白いなあ。
実はほかにも似たような感想をお持ちの方とかいて、何か医学的に関連があるのかなと思ったり。
(アレか?エンドルなんとか、ガンマかんとかとかそういうのが分泌されてんのか?)
でも下半身は寒くならないです。絶対おかしい。

あの、日記書く前に何故かジーンズ脱いでたんですよね。
いや、何故かなんで僕にも良く分からないんですけどとりあえず今現在、下はトランクスしか
履いてない状況でこう呆然とした顔でモニター眺めながらガタガタキーボード打ってるんで寒い。
自宅のPCがリビングの窓際に有るっつー絶望的な配置のしかたも関係してかスッゲー寒い。

プレイ中にCD聴くとかトイレ我慢するとかの重ね技で自らをもっと高みへ導こうとしたド変態は
何人かいたみたいだけど、これは新しい試みだなあ。新種発見。で、良かったですか?(何が)
どうせなら下半身スッパでやってほしかった。…今度自分で試してみます。

何だろうこれ。何でこんな目に有ってるんだろう。


私自身、この感想を書きながら、何でこんな目にあってるンだろうと思いました。(ん?)


<エントリー16: いちこ
さんの作品:砂嵐から より>

一人暮らしでテレビも全くつけず無音で生活できると友人は言っていたのだけどそんなのはとても私には無理です。
無音の世界で、6畳も無い部屋で、一人でいたらそれはもう気が狂いそうになります。
なんか大学時代、「3日間何もない密室で1人生活体験をしてくれる人希望」という、教育学部心理学研究なんち?
らの広告見ましたね。報酬は結構高かったような気がするのですが、とてもじゃないけど私は発狂します。


「呪怨」という映画のCMを見ただけで部屋中の電気をつけっぱなしにしないと寝られなくなってしまう私も
もしかしたら1人暮らしには向いてないのかも。でも!でも!1人上手はほうら、こんなに!こんなに!

だから本当は一人暮らしなんてしたくなかったんです。いや、違う、一人暮らし、は、母があまりにも私に依存していて、
私も母に依存していたのを痛感していたので、これではいけないと、絶対私は一人暮らしをしなければならない、と、
胸に誓って始めたものでした。

素直に立派だと思います。
ありとあらゆる鬼畜エロアイテムが親と妹に露呈したその後の苦悩と絶望の果てに1人暮らしすることを決意した
私の動機とは比べ物にならない。

こんな淋しいなんて言葉で片付けるのは嫌いだけれども、孤独、喪失感、絶望、ただひとりで部屋にいると
そういうものばかりが襲ってきます。


コレ、1人暮らしを営む誰しもがそうなるみたいですね。
結局、孤独による自由と、制約の中での温もりを計りにかけるしかないわけですが、少なくとも人間たるもの
孤独にウェイトをおくべきだと私は思うのです。確かにキッツイ夜もあるけどナー。
雨漏りが天井の汚れを全部吸い取って茶色い水滴と化し、自動的に全てのじゅうたんを斑模様に変えてくれた次の日の朝、
私はあまりのつらさに首を吊ろうかと思いましたよハッハッハ。

だから、本当はフェレットとか飼いたい。

私もフェレット飼いたいです。
そんでもってこんな風とかこんな風にカスタマイズしてみたい。

そりゃあ、ほら、感情を共有する人が欲しいからだよ。否定してくれる人も欲しいからだよ。
自己主張とかそんなんじゃなくてさ、いや、自己主張なのか?
正しいときには正しいと、間違ってるときには間違ってると、そんな刺激を受けながら生きていきたいと思うよ。
ひとり暮らしの会社から帰った夜って、その刺激が無くなるんだ。だからネットやったり2ちゃん見たりするんだよね。
今これ読んでる人、私のことすっげーえ淋しい奴だとか思ってるでしょう。でも皆そうじゃないの?違う?

少なくとも私は違いません。
馴れ合いの狭間で孤独をもとめ、孤独の深遠で温もりを求めるループ。
だからこそ、今、凄まじい共感を覚えると同時に、何もかも否定してやりたい衝動にえらくかられています。

インターネットの良いところは育った環境も何もかも違う人と触れ合うことができ、実際に会って、
その人となりに触れることができることだと思っています。
ずっとね、こう、小学校出て、中学校出て、高校出て、大学出て、会社入って、って行ったら絶対洗脳されちゃうんだよ。
価値観とかレベルとかが似てしまうから。そんなところを飛び出していきたいと思う。


ふとした拍子で出かかるんだけども、形にしようとした途端、もやもやとした霧の中に散ってしまう何かの欠片。
誰しもが感じていてそれでいて形にできない何かの欠片。その答えが全てここに。クッキリと。鮮明に。感謝です。


3月3日

鉄雄とネットのことについて議論したンだ。
したら彼はテキスト・イラスト・創作・2ch・企業系 全てのジャンルを一緒くたにしてこう呟いた。

お前等がブ厚いモニター越しにデバ亀している
真理なんてものはクズみたいなものさ


そして彼はボクを跡形もないくらいコナゴナに吹き飛ばし。
霧散していく意識の中で「もっと打鍵を」とボクは呟き・・・

だから生きてるうちに打っとけ打っとけ。
キーも鞭も叩けば一緒。


<エントリー17: 太陽の白い粉
川本さんの作品:さようなら より>

というかさっきから実はタイプミスがめっちゃ多い。色って打ったら1発目の変換が「い炉」って出た。
これはタイピングミスじゃねえな。合ってるし。問題は俺のパソコンが可笑しいってわけだ。狂ってる。
そう世界はすべてくるっているのです。貴方方が正しいと思っている現象、常識、等々は他の人から観ると
全て狂っている所業に他ならない。それなら何故周りはそのことを指摘しないのか、と申しますとそれらは全て
標本として集められているわけです。それら皆様方の所業は全てカメラにより撮影されこれらが全て裏の存在、
いうならばビッグマザーのところに集められ全ての世界に平和が訪れることを祈らんがために用いられていると
言っても過言では無い。ですから貴方方は狂ってはいるのですが、この世界で無事に暮らしていけるってわけです。
良かったですね。みなさんビッグマザーに感謝しましょう

エネミー・オブ・アメリーカな世界観。のっけから飛ばしまくり。
タイプミスから始まった話がたったの2〜3分でここまで膨らんじゃうってとこが面白いと思います。
ちなみに狂ってる狂ってる書いてるけど、これ書き手よりも読み手の方が危ないかも。
なんか文章の中の狂気にひっぱられる感じがある。

そういやこの前新宿言ったら
『みなさんにはチップが埋め込まれて常に回りには電波な事件が起こっている』
みたいな看板を持った人が信号の隅っこに立っていた。びっくりした。

大変ユニークな方だと思うので是非ともオトモダチになるべき。
でもって3時間くらいキャトル・ミューテーションについて語るとよいと思う。カラスとかに。

ちなみにこの「イヤンな感じ」という文言はエヴァンゲリオンの鈴原のセリフからパクリました。

オタクは見逃さない。ゆえに私は見逃さない。こういうミスは絶対見逃さない。絶対にィィ絶対にィィィィィィ!
…実のところディオはどうでもいいんです。鉱物と化したカーズが地球に降ってくるのをひたすら待っているンです。
ところで正解はメガネの方ね。

ところで君ってアスカ派?レイ派??いやあ僕はねえ、昼間会うんだったらアスカでぇー夜だったらレイだなあー!
ってオタクな話になってしまいました。

この話題で夜を徹して議論できる自信があります、私。ちなみにアスカ派です。
でも現実でソレやられたら、ほとんどがその内面を理解する前に只のうざったい奴で終わると思うのです。
だって他人の内面とか繊細な部分とか本当の気持ちとか、ソイツ自身以外の誰もが興味ないンだもの。
(何時でも興味の対象は”相手の為に”ではなく、”相手を好きな自分の為に”)

そして精神壊して、会社退職して南の島に行ってそこでのんびり過ごしたい。毎日海をみてさ。
もちろん海の砂は真っ白で。水平線は真っ青。濃い蒼。空ももちろん青いの。
で世界はね、その海の濃蒼で経ち切られててね。それが僕の前にばあって広がって居るの。


この辺りで話しの流れは突然 物語風に転調。実にインプロヴァイズっぽくて面白いです。

僕は毎日毎日朝からさとうきび畑に行って鍬を入れて。
昼はおにぎりを持って海の見える砂浜に行って、ぼんやり海を見ながらそれを食べて。
おにぎりには具なんて何も入って無いから塩水を軽く口に含みながら食べるのね。
毎日塩握りで。そしてまた午後は午後で日が暮れるまで畑の手入れ。そんな日々が続くわけだ。

その物語の中で一番好きな描写部分。
淡々と。そう、淡々と暮らしてみたいなあ。


<エントリー18: コンバンハチキンカレーヨ再
hm3号さんの作品:KYO-TO on the ground より>

先日某知人と「スクール水着に萌えるか?」という事を話して、僕は萌えないと言った。
知人は「何てオマエは可哀想な人間なんだ」と言う結果だし、僕は嫌いな訳でそんな事で
哀れみを憶えられても困ってしまう。

なんか妙にツボにはまった箇所。そっかー、スクール水着は駄目かあ・・・
ちなみに私の欲望プライオリティは下記の通り↓
制服(セーラー) <スクール水着 < 制服(ブレザー) < リクルートスーツ

ああ煙草吸いたいよぉ。問題は何とか火を点けたとしても灰が落とせないかもしれな
いという事が心配であって、そうか、灰皿を顎の下に置けば良いじゃん。

果たしてこの試みは成功したのでしょうか?
ちなみに現在までのテキストプレイにおけるダブル衝動一覧は以下の通り。
 ・CDを聴きながら
 ・酒を汲みつつ
 ・テレビ見つつ
 ・パンツ一丁
 ・部屋のドア開けっ放し

話を変えるが、僕がテキストという単語に抱いている思想っていうのは、
あくまでも「コラム」という訳であって、何かのトピックの元に始めて成り立っていると思っている。
だから、僕はテキスト系としては生きてはいない。

「用意されたカテゴライズは使うけど、レッテル貼られるのはイヤー」
という自分をも含めた「特別な存在でありたい自己」をとことん肯定していくと
実は名詞自体が使えなくなってしまうことに最近気づきました。

言葉の利便性という需要から生まれたのがカテゴライズならばレッテルは貼られるべき。望もうと望むまいと。
その形は、個人の自由意思など一粒も入り込む余地のない「数の絶対論理」であるべき。
やめてくれやめてくれようそんな形をボクにおしつけないでくれようと泣き喚きつつも、
その圧倒的パワーの前に巻き込まれつつ翻弄され息も絶え絶えになったところを容赦なくペッタリやられるべき。
で、額にペタって貼られたそれを眺めつつ考えることのみが我々に唯一残された自由。


テキストっていう括りが僕は嫌いだ。嫌いというか納得はしていない。32分。
そうやって括ってしまう事で死んでしまった文化は数知れず、といっても例が挙げられない僕が
嫌いなんだけど、理系と文系っていう分け方がそもそも嫌いで、「理系だから数学が出来る」
なんて未だに言ってる奴を見るとゾッとする

これは私も同じく。容赦なき絶対数判定によるカテゴリー分けは受け入れていても
そのカテゴリーからイメージされる付随物に関してまで寛容になれないのが現実。
でもこーゆうのって生活に翻弄されて年とっていくうちに、どんどんどーでもよくなってくる。
だから生活に追われてた方が余計なこと考えなくていいかも、とかたまに思うこともあります。

「人は何故括ろうとするのか?」と。答えはこれまた簡単であって、便利だから。
これだけに尽きる。絶対便利。

なんだ。同結論じゃないですか。
というわけで利便性と自己主張を計りにかけてみることにしました。
3秒でファイナル・アンサー。 もちろん「便利」の方がウェイト重いに決まってます。
今更山ごもりとか出来ないしなあ。


プレイ記念碑追加しました。
 投稿して頂いた皆様方の感想の一部を切り取ってランダムにシェイクしたものです。
 何か問題がありましたら、即対応いたしますので、遠慮なくおっしゃってください。


3月5日

<打鍵の世界>

モニターの前でキー連打
腕も折れよとキー連打
たぶん1人が寂しくて
不安で不安でしようがないだけなんだろう

ボクの頭は超回転
どうしようもないほどハイになり
とても醜い妄想を
グッと魅力的な形に変えてすぐ消えた

今の閉塞感は
記録的なもの
つぶれてしまうよ
あー毎日、連打!連打!打鍵の世界!


<エントリー19: A o z o r a
じゅんじさんの作品:宮崎駿ワールド より>

そうさそうだよ僕はルールにのっとってるだけなんだよ。
決して僕の頭がおかしくなったわけじゃなくてとめちゃいけないんだよね。
止めちゃいけないってタイプを。タイプを。ってタイプってなんだ。タイプ?
君のことタイプじゃないんだ・・。え?わたしだってあなたみたいな人お断りよ!バカ!
死んでしまいなよ!許せない!許せないって何が!許せないよこの文章が。
ほんとなんなのおまえ!いい加減にしろよ!僕は君に無用論を唱えるよ。ほんとそれぐらい
僕は君を欲してないんだ。常に気をはっていないと下ネタを言ってしまいそうになるんで、
常にATフィールド全開なんだけどこれわかった!


ボクはさっぱり分からない。そして分からないところが面白い。

それにしてもほんとテーマ決めてないのすっごい失敗。
シートベルト締めないままジェットコースター発進しちゃったのと同じくらいすっごい失敗。
お昼休みに弁当に箸入れるの忘れた母ちゃんを殺したくなるぐらいの殺意でもう僕は
今テーマを持ってくるのを忘れた自分が憎い。

いや、このテンションの方が面白いので、テーマ決めないで始めたのは正解のようです。

それと、洗濯の途中だったの忘れてた。失敗、失敗、僕たちの失敗。!。
・・うまいよね?今のうまいよね。僕たちの失敗ってうまいよね。
だめだ!僕はダメな人間だ!ああ、神様・・どうしてこんなにも僕はダメなんですか。

うまいかまずいか聞かれたら明らかに後者ですが、このプレイの流れにおいてはウマいかも。
というかその弾けっぷりに惚れました。

壊れっぷりがあまりにも見事なので、時間の進行とともに破壊されていく人格の様子を、
ワード・ゲージで表してみました。

バカ!死んでしまいなよ!許せない!(1分経過)
やめてよ!このデブっこ!デブっこ!!(5分経過)
ああああああああああああああああ思わずトリップしてた!ごめん気づかなかった!(10分経過)
死んでしまいなよ!キルミー!キルミー!(15分経過)
ふふふ。ふふふじゃねえよ!どうにかしないと、どうにかして食い止めないと!(20分経過)
kdfじゃあkdsjふぁkだdsかあjfだkdfsjファあああああああああああああ(25分経過)
いやっぽうおfdじゃ悪kdfぁ;;;;;;;;;;;kjふぁkldjふぁkldfじゃ(30分経過)
そうだ!そうDA!SOUDA!SOおおおおおおおおおおおおDA!(35分経過)
ポクポクポクポクポク・・・・・・・チーン!(廃人完成)

うーむ。き‥危険カモ。


<エントリー20: エロチック街道
ヘッドさんの作品:インプロビゼーションとライブ性に関する一考察 より>

大体長い文章書くときって、まあ、なにも考えずにいきなり書き出してみて結果的に
長くなっちゃうことも多いんだけど、電車の行きかえりとかでね、電車の行き帰りって変か。
出勤途中で考えていることが多い。

ここまで来たら、もう立派なPSJ症候群。
ぽかっと暇な時間があくと、何時の間にネタとかについて考えはじめたり・・・してないですか?
ちなみにPSJの略はパーソナル・サイト・ジャンキー。

そういえば、句読点のないゲームの文章がカトゆーさんところで話題になってたけど、
あれってモダンとも言えるよね。筒井康隆でもそういうのがあったと思う。
やってみようかつまりこのように句読点がない文章なわけでさらにいえば(以下略)

プレイに加えて、さらに句読点打たないっつう縛りは面白いかも。
でも人格クラッシュの度合いは、どんどんアップしていくような気がします。
で、そのギアスから120文字以後の様子が下記文字列。

さらにこのような制約を課すと相乗効果があるのかあるいは打ち消し合ってよくない結果になるのか少なくとも
読みにくくなったことに相違あるまいさらにここでかんじをつかわないというさくせんもまずかんがえつくけど
おもしろくはないかなあへんかんしなくてもすむというりてんはとうじょうするのだけどおやおやなぜかひらがな
ばかりにするとなんだかこどもっぽいぶんしょうになりますよやっぱりぶんたいとかきてにはみっせつなかんれん
がしかしかくほうもりずむがとりにくいので漢字くらいはもとにもどすかいっそカタカナデカイテミルトイウノ
ハドウカミナサンコニチアワタシハヘッドデス


意図しつつ計算してやってるように見受けられますが、それでも所々から狂気の断片が漏れてます。
実にいい感じに出来上がってる。もうすっかりおいしくいただけそう。

つまりこれじゃなんか面白くないんだな。苦しまなきゃ。

い・・・いや、無理にとは。

ジャズというものがインプロビゼーションの、あの虹色ラーメンによるとデタラメだそうだが、
まあある意味でデタラメなんだけど、逆に言うとそれを音楽として聴かせるためにすごく
たくさんのシキタリというかルールがあるわけで。がんじがらめと言ってもいい。
だからこそ「ジャズではない」とかそういう議論が成り立つわけで。つまりひとによって定義があるわけだよね。


何故インプロヴァイズの定義に虹色ラーメンが?という疑問は棚に置いときつつも、この一文からは
我々がいかにルールや制約を好み、同時にそれらを死ぬ程嫌悪しているかということへの答えが垣間見えます。
要するに全ては個々の定義に依存するものなのですね。
自己の定義内に収まるものは受け入れられるべきルールとなり、それ以外の範疇のものは全て憎むべき制約と化す。
つまり自己攻略への鍵は、その定義を広げることなのか? 
・・・言葉で語ると楽でいいです。もっと楽して生きたい生きたい。


[ 戻る : NEXT ]