Bibriography of 山田消児 (除・短歌作品)
短歌評論 「まだ自らのために─「平井弘」論─」
(『路上』第71号〜73号・1995.2〜1995.11)
書評等 「その場限りの同志」(『遊子』創刊号・1995.5)
「恐ろしいのは」(同第2号・1996.2)
「私の潜め方」(『季刊・現代短歌雁』第39号・1997.7)
「毒蜘蛛の夢」(『遊子』第4号・1997.7)
「退屈文法入門─荻原裕幸論─ 」(『路上』第79号・1998.3)
……荻原裕幸氏のホームぺージ『DIGITAL BISCUIT』に転載。
「短歌は人を騙すか(時評)」(『季刊・現代短歌雁』第42号・1998.9)
「日常に潜むもの─渡部光一郎『葛の葉』論─ 」(『遊子』第7号・2000.4)
「私を語る神(時評)」(『季刊・現代短歌雁』第47号・2000.7)
「切実さをめぐる随想─田中・古橋論争に寄せて─
」(『Es群蝶』創刊号・2001.5)
「破調と定型」(『白夜』2001年8月号)
「浜田到歌集・架橋」(『季刊・現代短歌雁』第50号・2001.8、「特集=現代の歌人82人・82冊」)
「酷薄なる私語」(
『短歌人』2001年12月号、「武藤ゆかり歌集『ささめ琴』評」)
「コラージュ短歌の悪夢」(『かばん』新人特集号VOL.3・2001.12、「〜藤沢賢二 外部
評〜」)
「『私』のほかに短歌は何を得たか」(『短歌朝日』2002年5・6月号、「大特集・現
代短歌は奴隷の芸術か」)
「『誰でもありうる誰か』たちの物語(『水葬物語』を読み直す)」(『歌壇』2002年8月号、シリーズ・短歌が目指すべきこと「現代短歌の
〈われ〉」)
「写生短歌私論─佐藤佐太郎『しろたへ』を読む─
」(『Es黒月』第4号・2002.11)
「『方代』の中の方代」(『Es脈』第5号・2003.5)
「レイアウト短歌論」(『Es空の鏡』第6号・2003.11)
「桜の森に迷えば」(『遊子』第11号・2004.2、「特集2・高尾栄一歌集『流觴花譚』論
評」)
「歌の『虚』をめぐって」(『開放区』第70号・2004.6、「前号評(外部依頼)」)
「〈岸上大作〉というドラマ─岸上大作歌集『意志表示』
」(『季刊・現代短歌雁』第59号・2005.1、「特集昭和三十年代の遺産」)
「蝙蝠傘の目覚めるとき 吉田純歌集『形状記憶ヤマトシダ類』」(『北冬』No.001・2005.1、
「『本』を読む」)
「共同鑑賞/方代のうた 11」(『方代研究』第36号・2005.2)
「木の朝は明けたか─追悼の言葉に代えて─ 」(『遊子』第12号・2005.2、「特集1・追悼渡部可奈子」)
「『紐育空爆之図』の挑発」(『Es紅馬』第10号・2005.11、「特集・現代短歌からの離陸」)
「書評・まえだたみこ歌集『月のようなもの』」(『短歌往来』2006年6月号)
「短歌じゃない?」(『遊子』第13号・2006.5、「特集1・短歌における表記の問題」)
「気配の歌」(『遊子』第13号・2006.5、「特集2・角田純歌集『海境』論評」)
「歌が文学を捨てるとき」(『Esさざめき』第11号・2006.5)
「正述心緒がもたらすもの─『昭和短歌の精神史』を再読する─
」(『Esナシマ』第12号・2006.11)
「40号記念特集・わが方代の一首」(『方代研究』第40号・2007.2)
「俵万智のいる場所」(『井泉』No.14・2007.3、「リレー評論 一九九〇年代以降、短歌
のなにが変わったか」)
「雛の声、蟷螂の斧─平井弘歌集『振りまはした花のやうに』の世界─
」(『Es滾滾』第13号・2007.5)
「斉藤斎藤のわたし」(
『遊子』第14号・2007.8、「特集1・作者と作品」)
「事実と虚構に関する三つの小感」(『Es叉路』第14号・2007.11)
「特集・共同鑑賞/方代のうた 47」(『方代研究』第42号・2008.2)
「事実は語る。─『靖国』と『戦争の歌』─」(『Esカント°』第15号・
2008.6)
「『実感』という迷宮─穂村弘著『短歌の友人』・吉川宏志著『風景と実感』」(
『北冬』No.008・2008.10、「繙書評唱」)
「既視感のもつちから─穂村弘の歌を読む
」(『Es間氷期』第16号・2008.11)
「『かはづ』の場合」(
『遊子』第15号・2008.12、「特集・自然詠を論じる」)
「『私』に関する三つの小感」(『Es白い炎』第17号・2009.5)
「鯨の腸のことなど─加藤治郎の社会詠について
」(『Es蝕』第18号・2009.11)
「カムパネルラは死んだか─蝦名泰洋論 」(
『路上』 第116号・2010.4)
「中沢直人歌集『極圏の光』 エリート街道に出口はあるか 」(『短
歌総合新聞 梧葉』2010年春号=通巻25号・2010.4)
「書評…渡辺仁八歌集『皆どこへ』/佐近田榮懿子歌集『春港』/塩谷いさむ歌集『琅玕』」(
『青磁社通信』 Vol.022・2010.11)
「右左口のこと」(
『遊子』第17号・2010.11、「特集・山田消児『短歌が人を騙すとき』」)
「一首と連作の間で」(
『遊子』第17号・2010.11、「今号作品評」)
「『僕』が『私』であるということ─短歌における当事者性と普遍性
」(『Esコア』第20号・2010.12、「特集・現代短歌との闘争」)
「塚本邦雄の代表作」(『現代歌人協会会報』127・2011.6、「私の苦手な歌人・苦手な歌」)
「『悪』は詠えるか」(『詩と思
想』2011年7月号、「特集・Evilの詩学」)
「野樹かずみ歌集『もうひとりのわたしがどこかとおくにいていまこの月をみているとおもう』」(
『洪水』第8号・2011.7、「BOOK REVIEW」)
「特集 東日本大震災被災地に贈る方代の歌」(『方代研究』第49号・2011.7)
「詩的行為としての私語り」(
『短歌人』2011年8月号、「紹介と批評─依田仁美歌集『正十七角形な長城の
私』」)
「実作による韻律論の試み 藤井貞和短歌型詩群集『うた』」(
『短歌新聞』2011年10月号)
「主題なくして笑え─加藤克巳の歌 」(『遊
子』第18号・2011.11、「特集 歌人一人を論じる」)
「性別を変えて詠む」(『Esクレプシドラ』第22号・2011.11)
「志垣澄幸歌集『東籬』」「『小市巳世司全歌集』」(
『歌壇』2012年2月号、「歌集・歌書の森」)
「木に寄せて詠う」(
『地中海』2012年2月号、「木村文子歌集『予祝』批評」)
「斉藤斎藤論」(『Es囀る』第24号・2012.11)
「高野公彦編『現代の短歌』(講談社学術文庫)」(
『遊子』第19号・2012.12、「特集 私の本棚から」)
「「たとへば(君)、あるいは、告白、だから、というか、なので、『風流夢譚』で短歌を解毒する」を解毒する」(
「詩客」 2013年1月18日号、「短歌時評 第85回」)
「短歌と四人称」(「詩客」2013
年3月15日号、「短歌時評 第89回」)
「過去から来た震災詠 〜石井辰彦の作品をめぐって〜 」(
「詩客」2013年5月10日号、「短歌時評 第93回」)
「定型は踏まえて破れ」(『Esほぅ』第25号・2013.5)
「可能世界の中の「私」たち」(「詩客」2013
年7月5日号、「短歌時評 第97回」)
「歌が世界であるために」(「詩客」2013
年8月30日号、「短歌時評 第101回」)
「技法の饗宴 中島裕介歌集『oval/untitleds』」(
『うた新聞』 2013年10月号)
「作品としての評論/文学のリアル」(
「詩客」2013年10月25日号、「短歌時評 第105回」)
「短歌における連作 ─ 一首と全体─ 」(
『うた新聞』2014年1月号、「短歌の学校I」)
「佐村河内になりたくて ─物語の中の作品と作者─
」(『Es崖線』第27号・2014.5)
「韻律の力」(『現代短歌新聞』2014
年7月号、「視点」)
「一つの波」(『弦』第
28号・2014.7、「【特集】わたしの海」)
「謎のありか―堂園昌彦のわからない歌について 」(
『路上』第130号・2014.11)
「写実という詩 松村正直歌集『午前3時を過ぎて』」(『う
た新聞』第28号・2014年11月号)
「物語は楽しく読もう」(
『遊子』第21号・2014.11、「特集 久野はすみ歌集『シネマ・ルナティッ
ク』」)
「父
は生きていた─新人賞選考委員の憂鬱」
(『Es風葬の谷』第28号・2014.11)
「山崎方代にみる飲食のうた」(
『現代短歌』2015年3月号、「特集・飲食のうた」)
「[現在の短歌]における現実」(『北冬』No.016・
2015.6、井辻朱美責任編集「特集・[現在]から抜け出る方法と詩の力──。 2 [現在の短歌]について考える」)
「「ただ一人だけの人」を探して─『現代短歌入門』を読む
」(『Es蝶を放つ』第30号・2015.11、「特集・現代短歌の先へ」)
「らしさいらずの歌へ」(『遊子』第
22号・2015.12、「特集 短歌における性差」)
「他郷人からの手紙」(『遊子』第
23号・2016.12、「今号短歌作品評」)
「わかるけれども新しい──吉岡太朗の歌を読む 」(
『遊子』第24号・2017.12、「特集 気になる新進歌人」)
「書評・石川美南歌集『架空線』 虚と実をつなぐもの 」(
『短歌往来』2018年12月号)
「哲学者歌人・加藤将之」(
『遊子』第25号・2018.12、「特集 再評価したい歌人」)
「作者が作る作者」(『現代短歌』2019
年6月号、「特集 平成の歌集」)
「叙情と写生」(
『遊子』第26号・2019.12、「特集 正岡子規を論じる」)
「虚構が悪になるとき」(『現代短歌』2020年3月号、「特集 短歌にとって悪とは何か」)
「言葉で描く絵」(『歌壇』2020年6月号、「特集 恂{邦雄生誕百年没後十五年」)
「寺山修司の「われ」」(『遊子』第27号・2020.12、「特集 前衛短歌運動を考える」)
「かぐや姫の故郷─三たび「平井弘」論─」(『遊子』第28号・2021.12、「特集 ふるさとを詠む」)
「『恂{邦雄全歌集 第六巻』 終わらない戦争」(『歌壇』2022年9月号、「歌集・歌書の森」)
「垣間見える人生」(『遊子』第
29号・2022.12、「今号短歌作品評」)
対談記録 「【対談】短歌の虚構・川柳の虚構 山
田消児×小池正博」(『川柳カード』第12号・
2016.7)
文芸評論 「車谷長吉の『私』と『悪』」(『Es伽藍』第7号・2004.5)
書評等 「手を汚さない人殺し─車谷長吉の『私』と『悪』(2)─
」(『Esナジェーナ』第8号・2004.11)
「晒す『私』、晒される『私』─車谷長吉の『私』と『悪』(3)─」(『Es蒼馬』
第9号・2005.5)
「森達也著『東京スタンピード』」(『Es白い炎』第17号・2009.5)
「『1Q84』の終わらない世界」(『Esそらみみ』第19号・2010.5、「話題の小説を読む」)
「創られた歌人伝 ─高原英理『歌人紫宮透の短くはるかな生涯 』」(『鹿首』
第14号・2019.6、未刊)
映画評論 「距離─現実とリアルの間 是
枝裕和『DISTANCE』試論」(『Es彼方へ』第2号・2001.10)
鑑賞文等
「世界における絶望の意味について」(『Es間氷期』第16号・2008.11、「映画を楽しもう」)
「青い鳥」(
『路上』 第113号・2009.4、「特集 映画」)
「作者と作品をめぐる二つの考察─映画『妻の貌』を観て
」(『Esそらみみ』第19号・2010.5)
「みんな『悪』が好き─映画『悪人』『告白』『冷たい熱帯魚』を観る
」(『Es廻風』第21号・2011.5)
「歌が事実に勝つために─震災から一年後の殴り書き─」
(『Es裸子』第23号・2012.5)
「はじめてのAKB48」(『Esほぅ』第25号・2013.5、「MVを鑑賞する」)
「津波のあと、原発の先─二本の映画を観て─
」(『Esマナ』第26号・2013.11)
社会評論
「文学なんかじゃ決してない」(『Es光の繭』第29号・2015.5)
美術展評 「『美少女の美術史』」(『Es風葬の谷』第28号・2014.11、「美術館が面白い」)
TVドラマ評 「『それでも、生きてゆく』、ほか」(『Esクレプシドラ』第22号・2011.11、「たまに
はTVドラマでも」)
演劇評論 「ふたつのゼロ 人が人を殺すということ」(『Esパラディウム』第3号・2002.5)
自著自薦 「『アンドロイドK』内なる少年Aに捧ぐ」(『週刊金曜日』No.298・2000年1月14日号)
「自著自讃 『見えぬ声、聞こえぬ言葉』 歌集」
(『北冬+』No.0103「春星号」・2004.4)
一首鑑賞 「一首燦々─野樹かず
み」(
『遊子』創刊号・1995.5)
「一首燦々─小笠原和幸」(同第2号・1996.2)
「一首燦々─早坂類」(同第3号・1996.12)
「一首燦々─蝦名泰洋」(同第4号・1997.7)
「一首燦々─枡野浩一」(同第5号・1998.5)
「一首燦々─正岡豊」(同第6号・1999.4)
「一首燦々─宮本孝正」(同第7号・2000.4)
「一首燦々─松野志保」(同第8号・2001.4)
「一首燦々─森島章人」(同第9号・2002.5)
「一首燦々─キクチアヤコ」(同第10号・2003.2)
「一首燦々─富哲世」(同第11号・2004.2)
「一首燦々─大橋弘」(同第12号・2005.2)
「一首燦々─村田マチネ」(同第13号・2006.5)
「一首燦々─外山恒一」(同第14号・2007.8)
「一首燦々─川崎あんな」(同第15号・2008.12)
「一首燦々─大久保春乃」(同第16号・2009.11)
「一首燦々─森川菜月」(同第17号・2010.11)
「一首燦々─木下竣介」(同第18号・2011.11)
「一首燦々─坂野信彦」(同第19号・2012.12)
「一首燦々─木下龍也」(同第20号・2013.11)
「一首燦々─喜多昭夫」(同第21号・2014.11)
「一首燦々─フラワーしげる」(同第22号・2015.12)
「一首燦々─天野慶」(同第23号・2016.12)
「一首燦々─松木秀」(同第24号・2017.12)
「一首燦々─佐藤モニカ」(同第25号・2018.12)
「一首燦々─松村正直」(同第26号・2019.12)
「一首燦々―阿波野拓也」(同第27号・2020.12)
「一首燦々―足立香子」(同第28号・2021.12)
「一首燦々―柾木遙一郎」(同第29号・2022.12)
「一首燦々―崔龍源」(同第30号・2023.12)
掌編小説 「覚めぬ夢」(『水晶宮』第5号・1987.2)
「雪の夜に」(同第6号・1987.4)
「遠い岬」(同第7号・1987.6)
「夏の終りの夜」(同第8号・1987.8)
「夢の果実」(同第9号・1987.10)
「そして、誰も」(同第10号・1987.12)
「夢の国行」(同第11号・1988.2)
「壺の中」(同第12号・1988.4)
「受話器」(同第13号・1988.6)
「記憶」(同第14号・1988.8)
「まだ覚めぬ夢」(同第15号・1988.10)
「『ストーカー』」(『ザ・クリスタル・ギャラクシー』
vol.1・1989.8)
「『デッドゾーン』」(同 vol.2・1989.12)
「『黒い瞳』」同 vol.3・未刊)
「泥人形の夢」(『路上』第63号・1992.1)
「はつなつの雲」(『水晶宮』(第2
次)第2号・1997.3)
「覚めし夢」(同第4号・1997.9)
「守り神」(同第9号・
1998.12)
「み」
(『Es光の繭』第29号・2015.5)
エッセイ等 「3−4×10月」(『短歌』2000年8月号)
「(無題)」(『Es群蝶』創刊号・2001.5、創刊小特集「群蝶」)
「(無題)」(『Es彼方へ』第2号・2001.10、表紙裏コラム)
「駅頭」(
『静岡新聞』2005年5月1日付・日曜版、エッセイ+新作1首)
「(無題)」(『Esさざめき』第11号・2006.5、表紙裏コラム)
「(無題)」(『Es囀る』第24号・2012.11、表紙裏コラム)
「花の名前」(『遊子』
第20号・2013.11、特集「私が短歌を読む〈場所〉」)
「僕が僕であること」(
『うた新聞』2017年7月号、「忘れないために 64」)
「#MeToo」(『現代歌人協会会報』157・2019.1、「最近知った古語・新語」)
「停電情報」(『現代短歌』2019
年3月号、「特集・原発を詠む」)
「毒蜘蛛の今」(『遊子』
第30号・2023.12、特集「インターネットと短歌」)
川柳 「昇天せり」 (『遊子』
第29号・2022.12、特集「歌人が詠む川柳」)
詩 「(無題)」(未発表)
写真 「桜三題」(1997.3撮影)
俳句(おまけ) 「川」(『遊子』第11号・2004.2、俳句吟行特集)
「頌春句集」(年に1句、年賀状用に作ったもの…。遊びです。)