『ストーカー』

 電車の轟音が遠ざかり、再び、愚痴と噂と自慢話の混じり合った喧噪が戻ってきた。ガード下のこの店に連れもなくひとりで盃を傾けに来るのは私ぐらいのものだろうと、長い間思い続けていたのである。
 いろいろ文句はあるにせよ、みんなそれなりに幸せで……。
 いや、はっきりとそんなことを考えたわけではない。ただ、いつものように、過ぎ去ろうとしている今日への安堵とやがて迎える明日への不安がごちゃ混ぜになって、酔った頭が少し嫉妬深くなっていただけのことである。
 冷めかけた酒が猪口に満たされ、三本目の銚子が空になる。何十本目かの電車が頭上にさしかかり、愚痴も自慢話も区別なく、一切の人声を呑みこんで、けたたましい音とともに走りすぎて行く。
 静かである。残りの酒をぐいと飲み干してふと面を上げると、先ほどまで店いっぱいに犇いていた客たちの姿は、私ひとりを残してすでになく、食卓のあちらこちらに残された食べかけの皿やコップが、わずかに宴の痕跡をとどめているばかりである。
 なぜか少し速度を落として、電車が過ぎる。
「さあ、あなたで最後です」
 暖かく逞しい手がぐいと私の肩をつかむ。そして、こう言う。
「お立ちなさい、勇気があるなら。たったひとつだけ、いちばん切実な願いごとの適う部屋へ、あなたをご案内いたしましょう」


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