うみねこ かべしんぶん    1997年7月7日


"NETSCAPE"でも効果音が聴けるようになりました。

 『うみねこ短歌館』では、これまでインターネット・エクスプローラ利用の場合のみ、メイン・ページ、『風見町通信』および『風見町通信』以後の各ページにおいて効果音つきで短歌作品を読んでいただいていましたが、このたび、NETSCAPEでも同じ効果音を聴くことができるようになりました。ささやかな試みではありますが、ひとときお楽しみいただければ幸いです(「重くなるだけ」とのご指摘をいただいたので、メイン・ページについては効果音を廃止しました……8月17日追記

『うみねこ短歌館』のいくつかのページでは効果音が自動再生されます。ぜひお試し下さい。


どくぐも時評   第4回
  雑誌などに文章を発表するとき、一旦原稿を送ってしまったら当分の間それを読み返したりしないことに決めている。読み返したら必ずいくつかは書き直したいところが見つかって後悔に苛まれることがわかっているからである。前号の「うみねこかべしんぶん」で紹介した『季刊・現代短歌雁』の原稿もその例に漏れず、締切ぎりぎりに書き上げて推敲もそこそこに送ったきり放ってあったのを、「かべしんぶん」をupしたあとでどうにも気になって、ついに初めて読み返してしまったのである。結果は予想通り。何ヶ所か文章にまずいところがあり、特に結びの文章が変に気取っていて大いに気にくわない。だが、もう手遅れである。今となっては、この気にくわない部分も含めて活字になって世に出るのを指をくわえて待つほかはない。
 そこでふと考える。これがもし活字メディアではなくインターネット上に自ら開設するホームページに発表したものだったらどうなるか。いうまでもなくホームページ上の情報は発信者による削除、追加、修正が自由に行える。気に入らない文章は一旦発表したあとからでも、いくらでも差し替えが利くのである。このことは発信者側にとってきわめて便利でありがたいことなのだが、よく考えてみるといささか恐いことでもあると思わぬわけにいかない。一度は他人の目に触れた文章や短歌作品が、知らないうちに作者によって書き替えられる。そのような行為が普通に行われるようになったなら、そこに発表された作品は永遠の未完成品たることを強いられはすまいか。
 インターネットという空間は、そこに出入りする個々人およびさまざまな集団が、それぞれ同等の責任を負いながら情報を交換し合う場所である。どういう情報をいつどのように提供しようが、また、一旦公開した情報をいつ削除し改変しようが基本的に自由なのである。虚偽の情報をばらまくのはもちろん悪いことだが、そういう悪いヤツが紛れ込んでいるかもしれないことを、受信者の側が常に意識している必要がある。
 翻って、ひとたび情報を発信する側に立ってみるなら、その発信のし方がほぼ完全に発信者その人の自由に任されている分だけ、より一層明確な理念や方針が求められていることをひしひしと実感させられる。私自身のことをいえば、短歌作品や文章を活字メディアに発表するのもホームページで公開するのも、本質的にはおおむね同等のことと考えている。もちろん、いずれの場合においても、作品は公表される時点ですでに完成品でなければならない。そうであってこそ、そこに音声や画像等を組み合わせて新たな効果を創り出す価値が生じてくるというものだろう。
 『うみねこ短歌館』では一旦公開した短歌や文章は、誤字修正等を除き無断で削除、改変しない──とりあえず、今そう決めてみる。それが、このページを見てくれる人々に対する館主としての責任の取り方ということでもある。
 なんてことを書きながら、この文章サーバーに送ろうかやめとこうか、早くも迷い始めている、気の弱いどくぐも……。

山田 消児 (umineko@st.rim.or.jp)


   ・ 「うみねこ壁新聞」最新号99年11月25日号97年6月17日号96年9月9日号96年7月7日号
   目次 歌集『風見町通信』より 『アンドロイドK』の時代 『見えぬ声、聞こえぬ言葉』のころ歌集以後発表の新作
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