そんな間にも、単調な女性の声は多恵子の耳元でささやいていた。
「このまえのはなしなんだけど、そのほんをね、はじめておかあさんのまえでよんじゃった。なぜかどきどきしちゃってぇ。あれってどういうことかしらね。はじめてってのがきいてたのかな。でもそんなのいしきしたつもりはないし」
 バスは駅前に着いた。多恵子は素早く席を立ち、車内に列ができる前に運転席の方へ向かった。定期をひらつかせ、路上へぴょん、と飛び降りる。
 急にヘッドホンから低いブザーの音が鳴った。
「チャンネル十七。このばんぐみは、JECAA、にほんでんしけんえつじどうかきょうかいのしょうにんをえて、ほうそうしています」
 勝手にチャンネルが変わってしまう。たまにだが、電車やバスに乗り降りする時、こうなる場合がある。安物を買ったこともあって、最初の頃は、故障したのかと思ったりもしたが、同じ受信機を持っている友達に聞いてみたら、場所によって聞けるチャンネルの範囲が違うということだった。
 説明書くらい読めよな、と、その友達は言っていたが、多恵子はそんな小難しそうなものを読んで使い方を憶えるなんてことは大の苦手だ。だから細かい調整などやったことがない。文章を読み上げる合成音声にしても、少なくとも三種類はあるはずだったが、今聞けるのは、男の声と女の声の二つだけだった。
 多恵子は手を後ろに組んで、バス停から駅前通りへ歩いていった。今日は天気が良く空気も暖かい。通りを行き交う人々の服装は、つい何日か前の重苦しいコート姿とはうってかわって身軽になっていた。
 笑いさざめいたり、あるいは気難しそうにうつむいたり、様々な表情で歩く人達。彼らの内の何人かに一人は、必ずこのディジタル放送に投稿しているはず。もしかしたら今すれ違った人の話をヘッドホンから聞いているかもしれない。そう思うといつも多恵子は、読み上げられる話の内容に近そうな様子の人を探したりするのだった。
「――こそだてのよういなんて、こどもがうまれるまえにあれこれなやんだって、しかたないよ。だって、うまれるこどもがどんなせいかくで、なにがすきでなにがきらいかなんて、うまれてみるまでわからないんだから。こまかいじゅんびなんて、うまれてからでもおそくないんじゃないかな――」

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