「
栗駒山、沼倉という地名の由来」研究についての基本文献
以下の地誌から、該当する箇所を抜粋して考察の前提とする。
奥羽観蹟聞老志
(1719年)
仙台藩の儒学者、佐久間洞巌(本名:佐久間義和1653〜1736) が4代藩主伊達綱村の命により編纂し、1719年に完成させた全20巻 仙台藩の代表的な地誌。名勝旧蹟、神社、山川、街道などを古文旧記や古今の和歌が記載されている。但し中には、聞き書きや伝説などを基にして書かれた部分も多く、少なからぬ誤謬や錯誤が指摘されている。
封内名蹟志
(1741年)
仙台藩佐藤信要(のぶあき)編纂。1741年刊行。全21巻。幕府に献上。この書は『聞老志』の誤謬を訂正したもの。仙台叢書第8巻に所収。
封内風土記
(1772年)
仙台叢書別冊全三冊として収録。仙台藩の儒学者
田辺希文
が5代藩主伊達吉村の命により編纂。
1772年に完成。全22巻。藩撰の地誌。精緻な編集で、信頼度の高い地誌。
平泉雑記
(1773年)
安永二年(1773)、七十一才の
相原友直
は、「
平泉雑記
」全五巻(南部叢書第三巻収録)を完成させた。その時、彼は父の生まれ故郷である一ノ関(磐井郡赤荻字笹谷)の本家の当主となっていた長男友義のもとに身を寄せていた。
風土記御用書上
(1777年頃)
俗に
安永風土記
と呼ばれる。安永年間(1772〜1782年)幕府の命により、仙台藩が調べ上げた一種の国勢調査。その正確性は、地元の肝入りが責任を持って書き上げているため群を抜いている。宮城縣史23〜28に所収。沼倉の箇所は栗原の掲載されている「宮城県誌25」に所収。
栗駒火山地質調査
(1909年
)理学博士 大井上義近著 震災予防調査会編纂(第六十号) 東京日本橋 丸善株式会社
栗原郡誌
(1918年)
明治四十年に栗原郡郡会議事堂において編纂刊行が決議され、社団法人栗原郡教育会の努力により、十年の年月を経て大正七年七月(1918)上梓された唯一の栗原郡の地誌。
栗駒村誌
(1939年)
元栗駒村長「菅原巳之吉翁」が著した郷土愛に溢れた著作。その内容は厳密な歴史観に貫かれており、栗駒村正史とも言うべき地誌。
栗駒町誌
(1962年)
昭和三十七年。栗駒町教育委員会編。
角川日本地名大辞典 宮城県
(1979年)
編纂委員長は竹内理三。文字通り「文化遺産としての地名」を採録すべく、また「百世不朽の文献たらんことを念願」して全国の研究者を総動員して書かれた 大辞典。宮城版については東北大学教授の高橋富雄氏が中心となって編集された。よく読むと、安易な字の間違いも多々あるので、要注意。
栗駒の地名
(1968年)
昭和43年。千葉光男著。「栗駒の話」より其の付三。郷土史家千葉氏が収集した地名についての話。
さくらかり
(1786年前後)
菅江真澄(本名:白井秀雄1754−1829)が著した各地の桜についての聞き書き。駒形根神社の記載がある
。
栗駒山、沼倉地名由来の一考察
乞御期待
佐藤弘弥 未
HOME
2000.01.16
2003.03.19