巻一五
栗原郡
(抜粋)
○駒形根神社 三の迫沼倉村に有り。
封内駒形と称する地。二ケ所有。一は伊澤郡に有。其字其訓相同じきが故。人多く是を誤れり。神社を以ていふ時は。当郡沼倉村は駒形根神社。伊澤郡西根村は。駒形神社也。山名を以ていふ時は。当所は栗駒山駒ヶ嶽といふ。歌林に称する栗駒山といふ是なり。古歌多くは僕樹を詠ず。此山朴樹多し。是其証なり。伊澤郡は駒形山といふべし。視る者妄りに混すべからず。
大和物語に。しゑなわの少将のむすめ。右を久しく音もせであるひとのきしをなん。おこせたりける返しに。
栗駒の山に朝たつ雉子よりもかりにはあはじとおもひしものを
○義經墳墓。
義經高館にて自殺の後、沼倉小次郎高次と云者。○弥陀堂。
此地に葬り。陵墓を建。此地山上に高次が古館の跡あり。
是を弁慶の峯といふ。往昔武蔵坊逍遙の地なりといふ。
仏像の背に記して曰。応永二年此堂を建つとあり。又義經のバグを納む。○雌雄瀑布(メヲタキ)沼倉村山中有。
今たゞ鐙(あぶみ)のみ残れり。又古笈あり。弁慶東行の時。負所の古物なり。
中に金繍の袈裟を納む。堂辺に故礎あり。是往向かいsの遺趾也といふ。
直下十五丈余。
畢田が詠に。洞門千丈掛飛流。
玉砕洙聯(シュレン)欲噴秋。
今古不知誰捲得。
緑蘿(リョクフ)帯為月為鈎。といへる宛然として目前にあり。
郷人雄を行者瀧といひ。雌を女瀧という。
2000.1. Hsato