今の直彦にとっては、他人のいかなる言葉もそしりにしかならない。直彦は、返す言葉のない自分をふがいなく思いながら、力なくうなずいた。
 故障の修理を気にかけながら教室を出ると、廊下に美衣が立っていた。美衣はおずおずと直彦に近づいた。
「あの、先生」
 直彦の記憶では、美衣は自分の意見をはっきり言う生徒だ。先程の仕打ちに言いがかりでもつけるつもりなのだろうか。直彦にとってプレッシャーの元がまた一つ増えたかのようだった。平静を装って話しかける。
「どうしたんだい?」
「あの、便せんを貸してください」
「何に使うの」
「……茉莉ちゃんに手紙を書くんです。この前、手紙の書き方、習ったし。それに、あの教室の画面、壊れちゃったんでしょう?」
 曽根川教諭は次の授業を気にして、二人に歩くように促した。二人を導くように自分は少し前を歩きながら、美衣に尋ねる。
「どういうお手紙を書くのかな?」
「私達、前から約束してたんです。茉莉ちゃん、遠くにいるから、あの教室以外では会うことも遊ぶこともできなくて。だから、学校を卒業しても、時々あの教室に来てまた会おうねって、約束したんです。でも、いつかあの教室が使えなくなっても困らないために、手紙を書けるようにしておこうと思って」
 美衣は直彦に身を寄せ、せがむような目つきで見上げた。彼女にしてみれば、それは自分達の私語に対する直彦の怒りを鎮めるための、比較的ポジティブな攻撃であった。国語学習に対する意欲を見せつつ、子供なりのしなを作ってさらに効果を高めようとしていた。
 実際、美衣のしぐさは、定年を間近にひかえた曽根川教諭には非常に効き目があった。平素から直彦の神経質ぶりに目に余るものを感じていた曽根川教諭は、直彦が子供達のこのような可愛らしさに免じて、もっと寛大な気持ちで接してもらえないものかと期待して、直彦を見た。

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