直彦は子供達の反応に満足した。彼らはお互いの間に存在する四百キロメートルもの距離を意識することなく、非常に円滑なコミュニケーションを実現している。それは授業という協調作業にとどまらず、今や非生産的な私語までも見受けられるようになった。この事は、地域や設備に左右されない教育環境の提供という、「二十世紀教育支援プログラム」の目的の一つを達成したことを示唆するものだった。
 直彦は、二人の私語を邪魔しないように、ごく穏やかに言った。
「次、高坂。読みなさい」
「はい。……村人達は、コンピュータに入っている自分達の情報を、どうにかして残そうとやっきになりました。本当は紙に印刷するのがいちばん早いのですが、紙はもうとても高価になっていて、自分の情報を全部印刷することなど、とうていできませんでした。
 しかたなく、村人達は情報を自分の口で言えるように、暗記することにしました。けれども憶えなくてはならないことがどれだけあるかわかりません。なにしろ電子マネーの振替番号ばかりでなく、友達の家の電話番号から自分の家の住所まで記録させていたのです。種類を数え上げるだけでもいやになってしまいましたが、憶えないわけにはいきません。みんなは、手のひらの上で指を動かしたり、空を見上げたりしながら、暗記を始めました」
 教室の後ろ半分の陽差しが、やや翳った。確か向こう側の今日の天気は、夕方から雨になる予報だ。茉莉と美衣ののどかな私語は続いている。二人の気持ちの間には、数センチメートルの距離しか存在していないのだ。
 直彦は、この現場に自分が立ち、かつ教師としてその場を支配していることに、ただならぬ誇りを持っていた。
 なにしろ、これだけ大規模な空間共有を実現している例は、世界中どこを探しても存在しない。景気浮上で調子づいてきたこの国でこそ成しえたシステムだった。教室を横断する巨大なプロジェクター画面とその背面に仕込まれた複眼カメラ、アレイ・マイク、C型グリーン・スピーカー。総ての機器の入出力する情報は、広帯域信号線を八本まとめたバルク・モードで交換される。

- 3 -
[Top] [Head] [Prev.] [Next]
[ 1 ] [ 2 ] [ 3 ] [ 4 ] [ 5 ] [ 6 ] [ 7 ] [ 8 ] [ 9 ]

Copyright (c) 1996-1997 by Y. Fukuda
e-mail to:fuk@st.rim.or.jp