喜納昌吉インタビュー
2001.10.8
同時多発テロと報復について
すべての人の心に花を
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我々は今、戦争平和の岐路に立っている!!
伝説のアーチスト喜納昌吉氏に会い、インタビューをさせて戴く機会を得た。名曲「花」(原題は「すべての人の心に花を」)は、今や世界的な名曲となりつつある。
喜納は、出生地「沖縄」を魂の機軸として、世界を見、世界を語る。そのインタビューを掲載する前に、彼が生まれ育った島「沖縄」というものを語らなければならない。誰もが知っている通り、沖縄は、あの太平洋戦争で、アメリカ軍が上陸し(1946年3月)、島そのものが壊滅するような被害を被った土地だ。
今でも沖縄に行けば、至る所に戦争の傷跡が見える。沖縄の山は、爆弾が次々と炸裂し、生えている木が、戦前と戦後では変わってしまったほどだ。アメリカ軍が、戦争の悲惨を隠すために、空から早く育つ木々の種(銀合歓:ぎんごうがん又はぎんねむ)を散布したからだ。それほどアメリカ軍の沖縄攻撃は徹底的であった。上陸から終戦までの僅か5ヶ月の間に、沖縄の人々の、三分の一に当たる15万弱の人々が、この戦いによって亡くなったと言われる。しかもその多くは、軍人や軍属ではなく一般の島民だった。つまり多くの女性や子供老人が犠牲になったのだ。アメリカ軍にとって、沖縄戦は「もしも降伏しなかった場合は、本土もこのようになるぞ」というある種の見せしめか脅しのようなものだった。 もしも沖縄に戦争がなかったならば、どうだろう。沖縄は、多くの人が言うように、ハワイにも負けない素晴らしく風光明媚な島だ。あるテレビのレポートで、沖縄戦を戦った旧アメリカ軍の兵士がこのように語ったことがある。 「空から見れば、沖縄は、実に美しい島だった。何でこのような島が、戦争の巻き添えにならなければならないのかと、その時思った。いざ戦争が始まると、そこは地獄の島となった。それ以来、沖縄という青い島には、、ある種の抵抗があってどうしても行けない」と。 それから彼は、沖縄に二度と足を踏み入れていない。あれから50数年の月日が経っているというのにだ。もう彼は、齢80歳に近い人物である。額には、深いシワが刻み込まれている。何故か、私にはそのシワが、戦争の傷跡のようにさえ思えた。思えば勝った者にも、余りにも深くて暗い心の傷をもたらすものが、戦争というものの現実なのだろう・・・。 確かに日本とアメリカの戦争(太平洋戦争)は、沖縄を容赦なく、打ちのめし、南の楽園の島を、地獄の島に変えた。時は50年以上も経っている。しかしながら沖縄は、いまだにアメリカ軍の極東における最重要基地としての機能を背負わされているではないか…。 喜納昌吉は、そんな基地の島「沖縄」のコザ市(現沖縄市)に、1948年(昭和23年)6月に生まれた。もちろんアメリカ占領下の沖縄である。 そんな喜納に、現在世界で起こっている戦争について聞いた。むろん9月11日のアメリカを標的とした同時多発テロと、10月7日(日本時間では8日未明)アメリカの報復の爆撃についてである。戦争の深い悲しみを知る喜納は、この問題を語るにもっとも相応しい人物である。
問 同時多発テロについて(About
simultaneous frequent occurrence terrorism)
−まず喜納さんにお伺いしたいと思います。2001年9月11日、アメリカにおいて同時多発テロが、最悪の形で起こってしまいました。それ以降、アメリカ国内は、一種の興奮状態となり、星条旗がはためき、報復賛成の声が強くなっています。そして今朝(10月8日未明)、遂にアメリカは、テロの黒幕とされるビン・ラディンとそれを匿っているとして、タリバン政権下のアフガニスタンを空爆決行したようです。このことについて、ご意見を聞きしたいと思います。
まずこのことで見落としてはならない点があると思いますね。それは今回の同時多発テロで犠牲となり亡くなった人たち、天国にいる人たちの魂がですね、本当に今回のような報復という形を望んでいるかということです。つまり「報復」という行為は、今生きている人たちが「報復」を選んだのであって、犠牲となった人たちの魂ではなんです。テロが悪いことは、誰も知っています。世界中の人たちがです。でもそのテロが生まれてくる背景というものを生きている我々は考えなければいけない。このことを我々は真剣に考えなければいけない。特に今回は、日本にも政治的な選択が迫られています。世界の中で、日本の果たす役割は重要です。行動によっては、テロを産まないような世界の政治状況を作るための役割でも果たせます。その意味で考えますと、熱くなったブッシュ政権の方針のようなものに、一方的にジョイントしている今の日本政府のやり方は、ちょっと安易ではないかと考えざるをえませんね。 日本人は醒めた眼を持て
日本がアメリカの政治的パートナーであっても同じように熱くなっているようでは駄目です。テロに対しては、もっと冷静になって、状況を見る眼というものが必要ではないでしょうか。今日本人には、醒めた眼が必要なのです。その眼をもって答を出せば、きっと良い答えが見つかるでしょう。そうです。そうしたらおそらくテロの根源にある問題というものが見えてくると思います。問題が見えれば、処方箋も見つかるでしょう。日本はそこで、独自の役割を果たすことが出来ます。平和的な解決の方法により、世界中の人々が、和合しあえるような状況にもっていくことこそ、日本と日本人が果たすべき役割だと思うのです。
人類のエネルギーを暴力によって浪費してはならない!!
今人類は岐路に立たされていると思います。つまり人類の持つエネルギーを「報復」や「戦争」のような暴力的な形に使ってしまうのか、それとも人類の持つエネルギーを「平和」の途へと向かわせ得るかということです。これから起こる戦争、それから今アフガンで起こってしまった戦争には、敗者も勝利者もいません。戦争は人類の「敗北」そのものなのです。戦争は、人間の持っている理性知性が、暴力によって、敗北することなんです。今人類は、戦争という暴力的なステージに向っている悲しい状況ですが、我々の理性は、そのような愚かなステージで行動することは、慎まなければなりません。暴力的なステージで、貴重な人類のエネルギーを浪費してはなりません。私はそれを越えるような平和的なステージにおけるエネルギーの消費というものを提示したいですね。
問 歌の力について(About the power of a song) −そこで、歌や芸術というものの役割についてですが、最近9月25日ですか、ニューヨークタイムズ紙にオノヨーコさんが一面広告で、「イマジン・アール・ザ・ピープル・リビング・ライフ・イン・ピース」(人々が、平和のうちに人生を送っていることを想像してみよう)という「イマジン」の歌詞のみを出されました。するとものすごい反響で、「きっと、この広告主は、オノヨーコさんだろう」、ということになり、彼女に問い合わせが殺到したと聞きます。しかしヨーコさんは、「確かに広告を出したのは私です。ただ言いたいことは、あの一行に込められていますから、コメントは差し控えさせていただきます」と言われました。このことについて、是非、喜納さんにお伺いしたいとおもいます。
「イマジン」が、アメリカで一番リクエストが多いということは知っていますし、素晴らしいことだと思います。私は当然だと思います。しかしそれが放送規制にあっているということもまた事実です。平和な時にには、もてはやされているのに、今回のようにテロ等が起きて、アメリカが「報復」やむなしの情況になると規制される。これは悲しいことですよ。平和そのものが偽善の仮面を被ったものだったかもしれません。ジョンレノンの「イマジン」という歌には、その偽善の仮面を剥がすような何らかのパワーがきっとあるのでしょう。今回オノヨーコさんが、どんな気持ちで、広告を出したかは、分かりませんが、「イマジン」には、人類の将来に対する大きな「ビジョン」がありますね。
問 源義経の象徴すること(What is it that Yositune
Minamotono is symbolic?)
先ほど、今何故、源義経ということを話させていただきました。義経さんは、軍事の天才と言われていますが、さっき私が話したのは、何事に対しても、自分で決め、そして行動していく、独立心の強い創造的な人物としての義経さんでした。大変興味をもって聞いていただき、逆に感銘したしだいです。最後にこの源義経という人物について、お伺いさせていただきます。
彼の人生は、ある意味で言えば、「ヤマトタケル」とも共通したロマンがありますし、北の歴史で言えば「アテルイ」とか「エミシ」「アイヌ民族」とか、そのような非常に深い縄文の魂と結びついているような気がします。この現代は、まさに縄文のエネルギーが甦り、もう一度溢れ出でようとしている時代でしょう。そしてそのエネルギーが、また美しい弥生という花と合体した時に、今の日本は、少し元気がありませんが、またきっと素晴らしい国として蘇っていくのではないでしょうか。 それから義経さんの首と胴体が、藤沢と栗駒にですか?800年も別々になっていたものを、一緒にしたいという誰ですか?そう、菅原さんですか、そのような人物が出たことは素晴らしいことだと思って伺いました。これはですね。古事記の高天原ではないですが、オオヤマツミのミコト(大山祇神)の話をご存じでしょう。彼はイザナギのミコトの息子ですが、ふたりの姫をもうけましたね。コノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫神:富士山の神)とイワナガヒメ(岩長姫:浅間山の神)ですか。そこでオオヤマツミのミコトは、このふたりの姫が、日向のニニギノミコトに嫁いだならば、きっと素晴らしく美しい国ができるといいましたね。そんなロマンを感じるのです。(500キロも歩くなんて)出来ないことですし、まず合体するという発想が普通は湧きませんよ。この話を聞いて、歴史はまさに今も過去と繋がっていて、生きて居るんだなと、感じました。
中尊寺蓮の咲いた意味はシンボル(象徴)かレベレーション(啓示)!!
また中尊寺蓮ですか。泰衡蓮というのですか。首桶にお入ったまま、800年も眠っていた花が咲くなどということは、単なるメタファー(隠喩)というよりは、シンボル(象徴)か、レベレーション(啓示)かもしれませんよ。ホントに素晴らしいことです。我々もこの貴重な蓮の華が咲いた意味を真剣に考えなければいけませんね。だから戦争などという人類のエネルギーの無駄使いは止めにして貰いたいですね。すべての人の心にこの泰衡蓮が花開けば、人類の未来はきっと明るいものになるでしょう。まさに中尊寺蓮は「すべての人の心に花を」のイメージそのものですよ。
もっと、聞きたいのですが、時間がきてしまいました。とっても素晴らしいお話をありがとうございました。
あとがき こうして喜納昌吉氏へのインタビューは終了した。
その時、喜納は、憎しみという負の感情を、音楽という美しい華に換えるのだ。
ところが、今世界では、同時多発テロでわき上がった憎しみという負の感情を、そのまま「報復」という形で、行動に移しはじめている。本当に、これでいいのだろうか・・・。 喜納はインタビューでさり気なく語った。
実に重き言葉だ。 この言葉の意味を、我々一人一人が、真剣に考え、そして行動に移すべき時だ。 佐藤
インタビューの後に詠んだ歌五首 犠牲者の無念の思い一様に「報復」とみる生者の過ち
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2001.10.10