雷電神社の傍らに雷電池(かんだちがいけ)という池がある。
この池には昔から大蛇が棲みついているといわれていた。
江戸時代(寛永年間)に開拓により池は大幅に減少した。
このため大蛇は上州板倉の雷電神社の池に移ってしまった。
これ以後、雨乞祈願をしいても雨が降ることは少なくなった。

明治7年の旱魃の時も降雨祈願したが雨は降らない。
そこで村の人々は板倉の雷電神社に降雨祈願に行き、池の水を竹筒に
入れて持ち帰り、その水を雷電池に注いで降雨を祈ると、
俄かに空は曇り、雷鳴が轟き、その夜は大雨となったという。

これが、現在の脚折雨乞行事を原型をなす逸話である。

これ以降、明治時代に10年・26年・27年の3度、
昭和に入って4年・7年・8年・9年・22年・24年・39年の7度
降雨祈願の雨乞が実施された記録が残されている。

その後、脚折雨乞行事保存会が結成され、昭和51年に最初の雨乞行事が
実施され、54年を経て、59年以降4年に一度行われるようになった。


  
昭和24年                           昭和39年                          昭和51年

@昭和24年:純農村地帯であった鶴ヶ島において旱魃は農民の死活問題であり、村中総出で祈願したと思われる。
A昭和39年:高度成長の時代、村から町に昇格した鶴ヶ島はまだ半農村地域で、最後の雨乞祈願が行われる。
B昭和51年:稀有な民族行事を保存する目的で実施された最初の雨乞。お祭り的な雰囲気も垣間見える。


  
昭和54年                           昭和59年                          平成4年
C昭和54年:旧県道右に折れる龍蛇。多くの観客が取り巻いている様子が窺い知れる。
D昭和59年:渡御がこれから始まるという時にも、これだけの観衆が集まるようになってきた。
E平成4年:担ぎ手の衣装は、前回(昭和63年)から青地に赤の「龍」文字の入った半纏で統一される。




  
昭和24年                      昭和39年                              昭和51年       

  
昭和59年                           昭和63年                          平成8 



トップページ

2000年渡御

龍蛇いろいろ

龍蛇の製作



資料(工事中)

ライン