川村渇真の「知性の泉」

2002年の独り言?


●2002年12月31日:今年1年の成果は、量ではなく質

 今日で、2002年が終了する。21世紀に入って、もう丸2年になるとは。時間の過ぎていくのが、本当に速く感じる。「もうすぐ21世紀」なんて言ってたのが、少し前のように思うほどだ。
 本サイトの今年1年を振り返るなら、悪い点の筆頭は、何といっても更新回数の減少。仕事を減らした1年間だったので、普段の年より時間は十分あり、更新回数は増える予定だった。しかし、逆に減ってしまった。もちろん、研究活動に時間を割かなかったわけではない。時間はかなり割り当てたのだが、予定したよりも成果の“量”が少なかった。
 その代わりに、成果の“質”は確保できたと思う。論理的思考方法の研究に力を入れ、まずますの形を残せた。強化要素を除いた論理的思考方法の概要と、価値や意味を公開できた。以前から頭の中にあった「知の上位体系」の考え方も含めて。これが、今年一番の成果だ。
 今後は、「知の上位体系」の構築を中心に、更新を続けていきたい。また、この考え方の重要性や期待される効果も、同時に訴えていく。論理的思考方法の強化要素に関しても、近いうちに公開できる。
 あらためて振り返ると、今年は研究成果を貯蓄する年だったのだろう。その成果を来年から形にして、どんどんと公開したい。もちろん、仕事もある程度まで増やして、本格的に近い状態へ戻そう。

●2002年12月26日:数学学習と論理的思考能力の関係

 文系と理系という学問の分け方を題材にして、「文系および理系の視点と、論理的思考との関係」を書いた。これを読むと、論理的思考の役割がよく理解できると思う。
 書いてある内容は、別な目的にも役立つ。それは「数学をいくら勉強しても、論理的思考能力がほとんど高まらない」の根拠を説明する目的である。数学は理系領域の基礎でしかないが、論理的思考は文系領域の基礎であるからだ。より正確に表現するなら、「論理的思考は、文系領域と理系領域の両方の基礎であるが、文系領域の基礎としての比率が多い」となる。このような特徴を持つので、数学をいくら勉強しても、論理的思考に含まれる能力がほとんど身に付かないわけだ。
 より詳しい説明には、上記のページで書いた「数学というのは、論理的思考方法を用いなくても、論理的に思考を進められる、数少ない分野」も加えるべきだろう。もっと詳しく説明するなら、数学と論理的思考方法のそれぞれで、どんな要素が含まれるかを洗い出せばよい。そうすれば、論理的思考方法に含まれる内容が、数学で習得できる内容にほとんど含まれてないと明らかになる。
 こうして書いてみると、この話も意外に面白いかも知れない。一緒に書けば良かったみたいだ。時間があるときにでも、もう少し詳しい説明を書いて追加しよう。

●2002年12月13日:教育内容の未評価が大問題

 最近の更新内容では、ディベートや哲学といった教育内容に関して、論理的思考と関連付けながら分析した。どちらも、悪い内容という結論に達したので、あえて取り上げてみた。
 ディベートを推進したり、既存の哲学を高尚だと思っていた人には、非常に大きなショックを与えただろう。そもそも、今頃になって明らかになったのは、教育内容に対する適切な評価作業を、誰も行わなかったからにすぎない。それ以上に、適切な評価方法自体を知らなかったという面もあるが。
 適切に評価されたことがないのは、教育内容だけではない。同じように評価してみたら、みんなの認識と正反対の結果になる対象は、意外と多いと予想する。次にショックを受けるのは、どの分野になるのだろうか。

●2002年12月13日:自動英訳のリンクを扉ページに

 かなり以前に、本サイトの英語版を作りたいと考え、日英翻訳ソフトを購入した。機械翻訳の結果をそのまま掲載するだけでも、何かの役に立つのではと考えたからだ。
 しかし、実際に訳させてみると、期待したようには仕上がらなかった。安価な翻訳ソフトなので、後で手直しが必要な形でしか、英訳が出力されなかったのだ。全体の手間がバカにならないため、英訳ページの作成を中断していた。
 そうしている間に、インターネット上で日英翻訳の機能が利用できるようになった。しかも、トップページだけをリンクすると、他のページまで自動的に翻訳する形となる。これはなかなか良い。というわけで、扉ページに付けることとした。
 一番重要な翻訳結果だが、期待したほどではない。本サイトでは、日本語での読みやすさを重視し、少し癖のある書き方を採用しているので、それが原因にもなっている。だとしても、英訳ページがないよりは格段に良いので、素直に喜ぼう。

●2002年12月9日:項目の中身の作成方法を設計中

 本サイトでは、非常に幅広い内容を取り上げているだけでなく、それぞれが深い考察を必要とするので、全部を作り終わるのに相当な時間がかかる。おそらく、かなり長生きしたとしても、全部の細かな内容を作るだけの時間はないだろう。まったく仕事をせずに、サイト内容の作成だけに集中すれば可能かも知れないが、今のところ実現不可能な前提である。
 全部を作れないとすれば、もっとも重要なのは、全部の概要だけでも作り終わること。概要だけでも発表しておけば、自分より後の世代の人々が、より細かな内容を作る際に役立つからだ。そのため、一部のコーナーの細かな内容を作る時間があったら、作ってないコーナーの概要を先に作ることが大事になる。それと同時に、重要な内容を優先する必要もある。本サイトの中では、論理的思考が該当する。このように2つの視点で、優先的に書くべき内容を決めている。
 こうした進め方を採用しているので、かなり書き進んだとしても、細かな内容はなかなか提供できないだろう。しかし、本サイトで取り上げた内容は、少しでも多くの人に活用してもらいたい。そのためには、何を用意すればよいのか考えた。
 真っ先に思い付いたのは、どんな項目が含まれるのかを知った読者が、各項目の中身を自分で作れるようにすることだ。たとえば、「評価目的」という項目があったとき、その簡単な説明を読んだ人が、評価項目の内容を自分で作れるようにする。本サイトでは、いろいろな能力や技術に関する説明で、必要な項目の一覧を数多く挙げている。その説明を読んだ読者が、項目の一覧を見ながら、一覧に含まれる項目を自分で作れるようにしたい。そのための作成方法を、全コーナーに共通の基礎内容として用意しようというわけだ。これがあれば、本サイトで提供している方法を、実際に活用できる人が少しは増えるだろう。
 ただし、この作成方法の説明が簡単ではない。読んだ後に実行できる形で、どの程度まで説明できるか、まだメドが立っていない。項目のタイプごとに作り方が違うし、扱う対象でも変わる。汎用的な作り方の法則を、見付けようと努力している段階。法則さえ得られれば、作成方法を設計するのは簡単だ。近いうちに何とかなればと考えている。
 もちろん、項目内容の作成方法を提供すると、誰もが活用できるわけではない。現状で活用できない人の一部が、活用できるようになる程度だ。勝手な推測だが、現状のままだと読者の1%(あくまで仮の数字)しか活用できないのが、5%(これも仮の数字)ぐらいには増えると思う。もしかしたら、2〜3%(同)にしか増えないのかも知れない。それでも、活用できる人を増やす効果があるので、用意する価値は大きい。
 この方法の良い点は、提供する内容が少ないにもかかわらず、活用できる人を増やすことができること。また、活用できる範囲が全コーナーに及ぶことも、重要な良い点である。以上の2つの点があるので、かなり効率的な方法といえる。
 現段階では、どのような内容になるかは確定してない。しかし、必要性の高さは認識しているので、できるだけ早目に何とかしたいと思っている。でも、いつになるかは確約できないので、半年ぐらいは待ってほしい。なお、半年と言い切ってよいかどうか、書きながら不安を感じている点も書き記しておこう。

●2002年12月8日:メモ段階での内容公表を検討中

 本サイトの内容作成が、当初に考えていたよりも遅れている。特に最近は、難しい題材を取り上げているので、更新ペースが相当に落ちている。このままだと、「準備中」と表示しているページが、なかなか埋まらない。
 実は、万が一のことも少しは考えている。たとえば、突然の交通事故で死亡するとかだ。そうなったとき、作成してないページの内容は、未公開のまま消えてしまう。それだけは何とかして避けたい。
 いろいろと考えた結果、対処方法を1つだけ思い付いた。正式に書くまでの間、箇条書きのメモとして公開する方法だ。準備中のページの内容は、箇条書きのメモとして入力してある。メモの行数はページにより様々だが、メモが数十行のページが3割ぐらいある。この3割のページを箇条書きのまま公開すれば、書きたいことの要点は伝わると思う。
 ただし、大きな欠点もある。ページの内容を実際に書く際には、自分なりに内容を深く評価している。この作業により、最初にメモした内容の中で間違っている箇所を発見でき、内容の質を高く維持できる。このような評価作業を通さずに公開することは、間違った内容を含んだ形で公開することに等しい。本サイトでもっとも力を入れているのが、内容の質の高さなので、それを守れないことにもなる。こんな感じで悩んでいる日々が、もう半年以上も続いている。さて、どうしたらいいのだろうか。

●2002年11月21日:小泉首相は改革する気がないようだ

 日経ビジネスの11月18日号に、英エコノミスト誌の記事の翻訳が掲載された。タイトルは「骨抜き竹中案はむしろ有害だ。小泉氏、改革の絶好機逃す」で、竹中大臣が一人で頑張っているとき、小泉首相が何も助けなかった行為を厳しく批判している。「死なせるべきゾンビ社会を死なせることこそ改革の柱であった以上、憂うべき後退だったというのに、小泉氏が取ったのは幽霊に化け姿をくらます手だった。丸1週間というもの、竹中氏が孤軍奮闘する中、首相のリーダーシップはついに不在のまま。これでは、10月30日に発表された改革案が骨抜きになっていたのも無理はなかった」とある。まさに、そのとおりだ。
 この時期にテレビでインタビューされた小泉首相の発言を聞き、唖然としたのを覚えている。改革する気のなさが伝わってきた。こうした態度は、リーダーとしての役割を“完全に放棄した”行為である。これが我々の国の首相だというのだから、本当に情けない。
 もっと驚くのは、こんな首相でも支持率が低下しないことだ。表向きだけのスローガンにだまされる人が、非常に多いという証拠だろう。今の状態では、本当に改革できる人材がいたとしても、権限のある立場に選ばれる可能性は極めて低い。分かっていたことだが、悲しい現状を再確認してしまった。
 掲載した日経ビジネスだが、翻訳記事だけが良いのではない。日本人記者の書く記事にも、鋭い部分に突っ込んだ良いものがある。そんなわけで、ずっと購読し続けている。

●2002年10月28日:日本最良の報道番組が終了

 少し前の話だが、テレビ朝日の報道番組「ザ・スクープ」が9月で終了した。この番組は、他の報道番組で扱わない事件を取り上げ、かなり鋭く突っ込んで報道する特徴を持っていた。日本のテレビ報道番組の中では、放送内容の質が最良だったと思う。ギリギリで最良なのではなく、他の番組を大きく引き離して最良だった。もちろん、放送内容の全部が良いわけではなく、他の報道番組と全体的に比較しての話で。
 番組で取り上げた内容の中で、もっとも有名なのは、桶川の女子大生殺人事件。被害者の女子大生や両親が何度も訴えたのに、上尾署の警官がマトモに相手をせず、最終的には見殺しにしてしまった。この真相を報道し、国会でも取り上げられて、警察の大問題にまで発展した。
 他にも、重要な内容を多く報道していた。田中真紀子氏が衆議院議員として人気があったとき、本当の姿を明らかにした内容は、多くの人を驚かせただろう。警察内部の裏金作りを内部告発しようとした人を、番組で収録する直前に警察が逮捕し、内部告発を邪魔した事件の報道も、他の番組ではマトモに取り上げてない内容だった。
 このように良い報道番組が、なぜ終了しなければならないのだろうか。マスメディアが機能していないと言われる日本の現状を考えると、こうした番組こそ無理しても残さなければならない。それだけの価値がある番組だったのに。
 番組のサイトは、まだ残っている。そこに書かれている言葉の端々から、番組終了の無念さが感じられる。終了したくなかったのに、終了させられたようだ。もしかして、裏からの圧力があったのだろうか。そうした圧力がスポンサーにも加わり、降りたのだろうか。疑問は増すばかりだ。このような良い報道番組が終わることで、日本のマスメディアの質はどんどん低下する。こうした番組こそ、無理してでも継続すべきなのに。
 実際には、番組が完全に終了したわけではなく、年間に数回だけ放映するという。ただし、放映回数がこんなに少なければ、手足をもぎ取られたのに等しく、実質的には終了と同じだ。どの時間帯でも構わないので、できるだけ早い復活を望む。

●2002年10月28日:扉ページの画像を変更

 今年になって、趣味の写真撮影を再開した。Macと写真が好きな仲間と一緒に、定期的な撮影会を開催している。今月は、長野県の穂高まで足を伸ばし、1泊での撮影会となった。
 今回の中で一番気に入った写真を、扉ページに貼り付けてみた。使用したデジカメは、8月に購入したミノルタ製のDiMAGE 7i。このカメラは、実際に撮影してみると、非常に良いカメラであることが判明した。もちろん、写真撮影が大好きな人にとって良いのであって、一般の人には向いていないと思う。
 扉ページの写真だが、面白い雲を見付けたので、太陽を入れて撮影した。レンズによるゴーストが出やすいように、左上に太陽を入れ、かなり暗く露出補正してある。結果的に、期待した以上の仕上りとなった。トリミングはもちろん、カラーバランスやガンマすら補正していない。画像サイズを小さくするために、Photoshopで縮小しただけ。実際には、何枚か撮影した中から選んだ1枚で、試行錯誤の結果でもある。加えて、視野率100パーセントの電子ビューファインダーのおかげだ。
 レンズの絞りが7枚羽根と奇数なので、太陽から2倍の14本の光線が出ている。UVフィルターを付けているため、ゴーストの量は、レンズ単体の場合より多いだろう。デジカメって、UVフィルターが効くのだろうか。今度、試験撮影で確かめてみなくては。
 それにしても、DiMAGE 7iを購入してから、写真撮影が楽しくなった。当初は、レンズ交換型の本格デジカメが登場するまでの“つなぎ”のつもりだったが、予想外に良い買い物だったと思う。

●2002年10月19日:米国の政治ドラマを研究材料に

 米国の政治ドラマ「ホワイトハウス」が、日本で放映され始めた。噂によると、ホワイトハウスでの意思決定の様子などが、かなり本物っぽく再現されているという。そうなら研究材料として利用できると期待し、毎回録画することにした。
 国家の政治に関わる活動の中身は、論理的思考、良い議論、適切な意思決定といった観点から評価すると、非常にレベルが低い。大金が動くだけあって、裏の駆け引きなどの質の低い行為に満ちあふれている。今のような仕組みでは、質の高い政治活動など実現できるわけがない。というわけで、この材料を利用する研究では、どのような点が悪いのかを調べ、質の高い議論や意思決定を実現するための仕組みを求める。当然、設計された仕組みが研究成果となる。
 研究材料として情報が得やすいのは日本だが、政治活動の質の面では、先進国の中でも相当に劣っているため、まったく適さない。欧米の先進国の中から選ぶというのが、最低限の条件となる。反面教師としての研究材料であり、ある程度の悪さも必要なので、ロビー活動が盛んな米国が最適だと考えた。このドラマがどれだけ役に立つかは不明だが、2回目まで見た限りでは、意外に期待できそうだ。良くない行為の例が含まれているという意味で。

 論理的思考の掲載の方だが、いろいろと忙しいため、当初の予定より大きく遅れてしまった。まあ少しずつは進んでいるので、ご安心を。年末までの間は、このテーマを一番重視して進めようと思っている。
 その中身には、既存の学問との関係や、ディベートの評価など、世間で正しく認識されてない内容が含まれている。大きなショックを受けた人もいるだろう。しかし、このような点を適切に認識しないと、個人も社会も大きく進歩しない。認識したうえで、次にどうすればよいのか考え、その結果を実行することが大事なのだ。

●2002年07月27日:論理的思考の続きは近いうちに公開

 急ぎの仕事があった関係で、論理的思考の内容を整理するのに時間がかかっている。それでも、近いうちに公開できる形で作業は進んでいる。4つに分割した内容の全概要(4ウェブページ分)は、1つずつ書きながら公開し、遅くとも8月末までに終えるつもりだ。予定外の何かが発生しない限り。
 ある程度まで体系化した論理的思考の内容を公開し始めたので、以前から公開し始めている「能力教科での教育内容の設計例」と合わせて、本サイトの究極の目的を明らかにできる条件が整った。というわけで「本サイトの究極の目的:知の上位体系の構築」を公開した。これを読めば、本サイトが様々な重要分野の内容を取り上げ、体系的に整理しようとしている理由が、理解できるだろう。

●2002年07月20日:ソフトウェア要求管理の本

 ニーズ分析とか要求管理のように、システム開発の重要な工程に関する本は、内容を詳しく見ずに購入する癖がある。何ヶ月か前に購入した単行本「ソフトウェア要求管理」(副題:新世代の統一アプローチ)を、読んでみようかと開いた。最初の何ページか読んでみて、内容が面白くないと感じたので、要所要所を斜め読みしてみた。すると、ダメな本であることが分かった。税抜きで5400円もするのに。
 ハッキリ言ってしまうが、この本に書いてある内容を読んでも、要求管理を上手にできるようにはならない。要求管理の作業は、問題解決の作業と同じなのだ。システム構築の目的を明らかにして、それを満たすようなシステムの概要仕様を求めるのが、作業の中心となる。目的を満たすために、どのような機能が必要なのか、それはどんなレベルを達成しなければならないのかなどを、総合的に明らかにする。すべての機能が、目的の達成に必要かどうかを検査するとともに、挙げた機能だけで目的が達成できるかも検査する。さらに、挙げた各機能の実現の容易度も考慮し、現実的なシステムかどうかも検査する。このように複数の面から検査しないと、良い概要仕様は求められないし、第三者がレビューできる形で仕様を整理できない。
 この本では、こうした視点が欠けているため、システム概要仕様を適切に求められるとは限らない。逆に、インタビュー方法や会議の開き方など、作業内容の中心部分から外れた点を数多く取り上げている。ユースケース図の使い方といった、重要度の低い内容が多い。全体的にこんな感じなので、もっとも大事な部分が抜けていて、それ以外の話が多い本となっている。
 この分野で、もっと良い本はないのだろうか。この程度の本しかないから、いつまで経っても、多くの技術者が要求管理を上手にできるようにならないのだろうか。そうだとすれば、非常に困った状況である。
 本と関係ない話だが、「要求管理」という言葉は個人的に大嫌いだ。「要求された機能を作ればよい」という感じがして、間違った印象を与えそうな言葉だからだ。「ニーズ分析」の方は、「分析」という言葉があるので、まだ許せるが好きではない。たぶん一番良いと思うのは、「システム目的&概要機能分析」という感じだろうか。長いし美しくはないが、より適切に内容を表していると思う。もっと良い言葉があればいいのだが……。

●2002年07月11日:悪い例を数多く見てもダメ

 世の中には数多くの電子会議室があり、様々なやり取りが発生している。そのほとんどは、話題が迷走してしまい、議論とはとても呼べない内容ばかりだ。たとえ高尚なテーマを掲げている会議室でも。
 ところで、そうした発言内容を読む行為は、ためになるのだろうか。残念ながら、その種の価値はほんの少ししかない。一般的な傾向として、悪い例を数多く見続けても、良い形で実行できる能力は身に付かないからだ。良い形でできるようになるためには、良い形を誰かに教えてもらうか、良い形を数多く見るしかない。逆に、悪い例を数多く見て、良い形を導き出せる人は、ゼロに近いほど少ない。ほとんどの人は対象外だ。この状況が変わらない限り(永遠に変わりそうもないが)、良い形を直接知るのが必須となる。
 もっとも理想的な経験は、良い形を最初に教えてもらって自分で試し、その後で数多くの良い例を見る順序だ。また、良い形を知った後で見る悪い例も、良さを理解するために役立つ。しかし、悪い例は少数だけ見れば十分で、数多く見るのは時間の無駄。悪い例を分析して、新しい良い例を開発するのでない限り。
 もう1つ、会議室の中で登場する知識や意見はどうだろうか。この点でも、あまり役に立たない。多くの人の発言は、根拠や成果などを明確にして、論理的に整理された形の内容ではないからだ。また、物事を適切に評価する方法も知らない。こんな状態なので、間違っている意見が非常に多い。そうした発言よりも、論理的思考を身に付けた人の意見を数多く読んで、その形式を身に付けた方がよい。これも前と同様に、悪い例を数多く見ても、良い形が身に付かないからだ。
 では、迷走する電子会議室の発言を読むことで、上記2つ以外に何が得られるだろうか。おそらく、悪い影響の方が多いだろう。相手の意見の良い部分を無視し、アラを探して突っ込みを入れるとか、話を本論から遠ざけて議論を邪魔するとか、皮肉を言って感情的な争いを引き起こすとか、セコイ行為を数多く知るようになる。このように、良い形が身に付かないばかりか、悪い形に詳しくなる。つまり、マイナス面の方が大きいわけだ。
 そうならないためにも、既存の電子会議室の発言を読むときは、次のように意識しよう。悪い例がほとんどだと理解し、各発言内容のどんな点がどのように悪いのか、どの部分をどのように修正すれば良くなるのか、冷静に分析しながら読む。そんな分析には、今月から公開し始めている論理的思考の内容が役立つはずだ。
 もう1つ注意点がある。セコイ行為が横行している会議室へ、マトモな内容を書き込んでも、良い反応は得られない。セコイ行為を日頃から行う人は、良い思考方法や議論方法を身に付けていないためだ。良い内容の発言なんて、本人が出したくても出せないので、期待しても無駄。ROMに向けた発言なら別だが、それでもセコイ反論は覚悟しなければならない。発言する前には、こういった点も意識しよう。

●2002年07月04日:論理的思考の研究結果を公表開始

 ここ何ヶ月の間、論理的思考の体系化を集中して研究していた。その第1段階がほぼ完成したので、今日から公表を開始した。というわけで、7月の更新は、このテーマを中心に据える。
 非常に残念なことだが、論理的思考の方法は、私の知る限り、これまで本格的な研究結果が出てこなかった。しかし、非常に重要なテーマである。それだけに、この数年間、何とか体系化できないものかと、真剣に研究を続けてきた。単に体系化するだけでなく、現実社会で使いものになるレベルを目指して。
 この内容は、その成果である。研究結果の内容が多すぎて短期間では全部を紹介できないため、より正確に表現するなら、成果の概略といえる。たとえ概略であっても、論理的思考の方法を身に付けたい人にとっては、かなり役立つだろう。
 論理的思考の方法は極めて重要だが、大学はもちろん大学院ですら教えてくれない。将来、世界中の学校の教育内容として当たり前に採用される日が来るのを、心の底から願っている。そんな日はなかなか来ないだろうから、論理的思考の方法を身に付けたい人は、細部まで深く読み、自分で試しながら身に付けてほしい。

●2002年06月20日:論理的思考の体系化を研究中

 ずっと更新していなかったので、ちょっとした中間報告を少しだけ。今月に入ってから、論理的思考の体系化の研究で、集中的に時間を使っている。やっと整理するメドが立ったので、「頭の使い方を良くする思考のヒント」で近いうちに公開できそうだ。こうした作業を進めていたため、更新に時間を割くことができなかった。更新を期待して訪れた人には、本当に申し訳ない。
 これだけだと更新したことにならないので、10年ぐらい前まで得意としていた技を、自己紹介のコーナーに追加した。かなりマニアックな内容のため、ソフトウェア技術に詳しい人だけしか意味が分からないだろう。該当する人だけ読んでほしい。

●2002年03月09日:本格自炊を始めて、もうすぐ半年

 昨日は、久しぶりに牛肉を食べた。肉ジャガを作ったからだ。久しぶりに食べてみると、牛肉はやっぱり美味しかった。でも、いつものように、肉が少なくて野菜の多い肉ジャガなので、牛肉を味わうのは少しだけだったが。自分で作る料理は、肉ジャガに限らず「野菜が多くて肉が少ない」を基本としている。
 こうして毎日自炊するなんて、以前は想像もしなかった。あるきっかけで、半年ほど前から本格的な自炊を始めた。毎日の2食に加え、酒の肴まで自分で作っている。外食するのは、飲み会を除くと、月に1食か2食ほど。特別な理由がない限り外食しない生活に変わった。
 以前にも自炊したことはあるが、本格的ではなく、外食の方が多かった。今は、毎日の2食に加え、酒の肴まで自分で作っている。漬物も出来合いを買わずに毎週作るし、みそ汁も毎日作る。
 自炊が長続きしているのは、新しい道具のお陰が大きい。その道具とは、タッパーウェアという会社の調理容器「タッパーウェーブ2000」だ。食材や調味料を入れ、電子レンジで温めながら料理する容器で、とても便利。料理に手間がかからず、少量でも容易に作れる。これを一式買い込んで、毎日使っている。
 もう1つ大きいのは、冷凍保存の積極的な利用。一人分しか作らないと食材が余りやすく、無理して食べるか捨てていた。これが自炊を途中でやめる大きな原因だった。しかし、冷凍保存の上手な利用方法を知ってからは、使う分だけ解凍しながら料理できるようになった。食材の種類に合わせて、火を通してから冷凍したり、アクを取ってから冷凍したり、下ごしらえしてから冷凍したりする。
 こうした知識を知らなかったので、料理の本を8冊も買い込んで勉強した。最近の本は親切で、包丁の持ち方、野菜ごとの洗い方や切り方、だしの取り方、イカや魚のさばき方などが、手順ごとの写真入りで説明してある。電子レンジ料理法や冷凍保存なども、専門の本が何冊もあって、とても助かった。料理は素人同然なので、これらの本なしでは、自炊などできなかっただろう。
 実は、最初の2ヶ月ほど、完全にハマってしまった。いろいろな料理を、面白がりながら作っていたのを覚えている。失敗も数多くあった。片栗粉を水に溶くのが面倒なのでそのまま入れてみたら、固まりになった困ったとか。いろいろな食材と調味料を組み合わせてみて、美味しくない料理も食べた。でも、新しい試みを思い付くと、未だに試したくなる。半分以上は調理結果が失敗かイマイチなのだが、どうせ自分が食べるんだと思うので、試さずにいられない。
 自炊で大きく変わったのは、野菜の比率が格段に増えたこと。酒の肴も野菜中心になり、健康的な食生活に変化した。酒の量が多いので、本当に健康的とは言えないかもしれないが、以前よりは良いと思いたい。困ったことに、食べる量が増えたので、また太り始めたみたいだ。やはり、健康的とは言えないようだ。
 自炊で一番良いのは、自分だけが食べるので、自分の好みの味に調整できること。肉ジャガなどは外で食べると甘すぎると感じるが、自分でなら砂糖を減らして作れる。また、食べたいときに食べたいものを作れる。もちろん、自分で作れるものに限定されるが、作れる料理を少しずつ増やすことで解消できそうだ。
 こうして自炊するのが当たり前になったが、最初は途中で挫折すると思っていた。ところが、始めの2ヶ月は完全にハマった。これが幸いして、最初のハードルをクリアーできたと思う。自炊が普通になった今は、きっかけを作ってくれた人へ、多いに感謝している。本当に、ありがとう。

●2002年02月24日:あの曲は「おさかな天国」だった

 ここ数カ月、本格的に自炊をしている。おかず、みそ汁、漬物などを自分で作る毎日だ。そのため、近くのスーパーへ行く機会が格段に増えた。
 何度も行ってるうち、魚介類の売り場にいつも決まった曲が流れているのに気付いた。「さかな、さかな、さかな、さかなーを食べーるとー、あたま、あたま、あたま、あたまーがーよくーなるー。さかな、さかな、さかな、さかなーを食べーるとー、からだ、からだ、からだ、からだーにーいいーのさー」というフレーズが頭に残って、思わず口ずさんでしまうほどだ。
 曲名すら分からないので、インターネットで検索してみたら、すぐに発見できた。曲名は「おさかな天国」で、かなり話題になっている曲だった。最初はCDを自費出版したら2万枚以上売れたので、大手のレコード会社(CD会社?)からも正式に発売されているという。大きなブームになる気配だとか。
 それよりも、この曲のファンが意外に多いことに驚いた。全部の歌詞を暗記した主婦が、子供にまで暗記させて一緒に歌っているとか、電子会議室へのいろいろな書き込みで盛り上がっていた。覚えやすくて、歌いやすい、有名な曲だったのだ。
 この曲を聴いてると元気が出るので、CDを買おうかな。もしスーパーに行ったときは、魚介類の売り場で聴いてみよう。けっこうハマるかも。

●2002年02月21日:激安のカセットデッキを購入

 ある友人と会うたびに出てくる話題がある。今持っているアナログの映像と音を、どうやってデジタル化するかだ。映像の方は機器がまだまだ高価なので当分は待つとして、音の方は早めに何とかしないと、デジタル化できなくなってしまう。音を入れてある媒体はカセットテープで、カセットデッキ自体が買えなくなりつつあるからだ。
 愛用していたカセットデッキは、もう十数年も前に壊れた。続いて、ウォークマン・プロも数年前に壊れてしまった。普通のウォークマンは親戚に贈答して手元にない。というわけで、カセットテープを再生する装置を持ってない。
 2年ほど前から、再生装置を何か買おうと思っていた。もちろん、もともと音が良くない媒体なので、安い装置で構わない。しかし、実際に探してみると、良い製品がなかなかなかった。ウォークマン型やラジカセ型は、ライン出力が付いてないし(ヘッドホン端子は使いたくないし)、カセットデッキ型は意外に高価で、かなり値引きした製品でさえ1万4800円もしていた。カセットテープのデジタル化ごときに高価すぎる。
 そんなことを考えながら、激安品のカセットデッキをときどき探していた。そしたら今日、ヨドバシカメラの西新宿オーディオ売り場で、税抜き6000円のカセットデッキを見付けた。ビクター製で、オートリバース、ドルビーはBとCに対応、定価2万4000円を75%引き。ミニコンポの構成品のようで、欠点といえるのは、レベルメーターと録音レベルの調整機能がないこと。カセットテープのデジタル化にしか使わないので、自分には関係のない欠点だ。それよりも、カセットデッキが6000円以下で買えることの方が重要で、迷わず買ってしまった。税込みで6300円となるが、10%(630円)のポイント還元があるので、実質は5670円と同じ。かなりの激安で大いに満足した。
 これで装置が揃い、カセットテープのデジタル化は、今年中に終わりそうだ。懐かしい音楽や声を聞きながら、気長に進めるとしよう。

●2002年01月22日:COOLPIX 5000は画質が良くない

 高額な製品を購入する前には、レビュー記事を読んで、その性能や使い勝手を調べるだろう。デジカメの場合、使い勝手は店頭で確かめられるが、撮影した画質の良し悪しは、サンプル画像を見るか、レビューなどを読まないと調べられない。ところが、日本のサイトや雑誌に掲載されるデジカメのレビュー記事は、レベルの低いものばかりで、ほとんど参考にならない。そうなる主な原因は、写真とカメラのどちらも詳しくない人が記事を書いているからだろう。
 仕方がないので、米国の良いサイトのレビュー記事を参考にしている。一番お勧めなのは、「dpreview.com」だ。ここのレビュー記事は本格的だし、実際に撮影されたサンプル画像も数多くアップロードする。実際の撮影画質を見て評価できるため、とても役立つ。
 最近のデジカメの中で一番期待していたのが、ニコン製のCOOLPIX 5000。35mm換算で広角28mmの3倍ズームを搭載し、500万画素の解像度で撮影できる。筐体サイズが小さいのも魅力だ。フラッシュ受光部の位置が悪いという欠点はあるものの、全体としては良い出来だと感じた。これで画質さえ良ければ、購入したいと強く思っただろう。
 そのCOOLPIX 5000のレビューが、上記のサイトにようやく掲載された。そしてサンプル画像をダウンロードしてみたら、ガッカリする結果だった。レビュー記事でも指摘されているように、ハイライト部分が完全につぶれてしまっている。この点も問題だが、レビューで指摘していない欠点を見付けた。明暗比の高い輪郭部分で、実質的な解像度が低下する傾向だ。サンプル写真を細かく見ると、意外に多くの写真で発生していた。
 欠点が比較的ハッキリと分かるのは、サンプル写真の4番目と5番目。とくに5番目の写真では、右上にあるクレーンの輪郭がギザギザな感じに見える。こうなるのは、斜めの輪郭線が2ドット単位で変化しているからで、解像度が半分に落ちたのと等しい。半分だと大したことがないように感じるかも知れないが、長さでの半分は面積で1/4となるので、500万画素が125万画素に落ちたのと同じだ。4番目の写真では、建物の最上部にある尖った部分で、縦に流れたような線が付いた感じに見える。これも同じ原因だろう。他に、7番目の写真も色収差が醜く出ているが、これはレビュー記事で指摘されている。
 実は、このレビューを読む前に、良くない情報を友人から聞いた。発売直後にCOOLPIX 5000を購入したニコン・ファンが、最終的にはオリンパス製品に買い換えたというのだ。COOLPIX 5000を使い始めてすぐに、画質の欠点に気付いた(感じた欠点が私と同じかは不明)。そのデジカメが不良品かも知れないと思い、新品交換してもらった。しかし、同じ画質だったので、差額を払ってオリンパス製のデジカメに買い換えてしまった。
 今までサンプル画像をいくつも見ているが、ニコン製とオリンパス製のデジカメは、画質が良い部類に入っていた。今回のCOOLPIX 5000の画質は、ニコン製品とは思えない。今までとは違う人が開発したのだろうか。同社の高級機なだけにガッカリした。
 今回のサンプル画像を見る限り、画質が良くないので買う気にはならない。画像処理ソフトはファームウェアに入っているだろうから、新しいソフトと入れ替えることで対処できるのではないだろうか。何とか、画質を向上したソフトに作り替えてほしい。もし画像が改善したと確認できたら、購入を検討しよう。

●2002年01月11日:宗教に関する考察を掲載開始

 3ヶ月ほど前になるが、本サイトの読者からのメールで、宗教に関する質問が来た。「本サイトでは様々な話題を取り上げているが、宗教に関する記述がほとんどない。どのように考えているのか、意見を伺いたい」といった内容の質問だった。
 返信メールにも書いたが、宗教に関してまったく興味がないのではない。大事な問題だと思っていて、以前に深く検討したことがある。しかし、問題点の把握までは終わったものの、有効な解決方法が求められなかった。本サイトでは、解決方法を提示するのが大事だと考えているため、解決方法を提示できない内容は、基本的に取り上げない。これが大きな理由だ。
 返事のメールを書いているうちに、過去の検討結果が以前よりも上手に整理できた。また、米国で同時多発テロ事件が発生したり、「文明の衝突」という本が登場したり、発展途上国の首脳などの発言によって、宗教が注目されている時期でもある。そのため、解決方法は求まってないが、検討結果を公表する価値が高いのではないかと思うようになった。
 というわけで、「未来社会への対応術」コーナーの中に、「未来社会と宗教との難しい関係」サブコーナーを追加した。タイトルのとおり、未来の社会で宗教がどのようになるのかを検討する。宗教の持つ長所と短所を分析し、それらが社会にどのような影響を与えるのか、とくに未来の社会への影響を中心に論じる。宗教に興味のある人にとっては、結構面白いのではないかと思う。ただし、何らかの宗教を深く信じている人にとっては、あまり聞きたくない内容になるかも知れない。
 この検討結果が、宗教の位置付けを考え直すきっかけになったり、未来社会に向けた対処を考えるうえで役立つことを期待しながら、少しずつ公開しよう。

●2002年01月05日:サイトのデザインを変更

 サイトのデザインを変更した。といっても、雰囲気が少し変わった程度で、各ページに含まれる要素と並び順などは、まったく同じだ。雰囲気を変えるのだけが目的なので、この程度の変更にとどめてある。
 今回の変更では、次のような3点を考慮した。1つ目は、以前と同じように軽く表示できること。これは、追加した画像データを小さく作り、できるだけ共通で使う方法で対応した。
 2つ目は、中身自体以外の要素を、各ページのHTMLに入れないこと。理想を言うなら、内容の中身、レイアウトや飾り画像や書体設定などの表現情報、他ページへのリンクといった関連情報の3つを明確に分離して作りたい。しかし、これが一番難しい。HTMLやCSSという規格自体が、表示内容に含まれる情報の分け方の点で評価すると、かなり悪い設計だからだ(詳しい内容は省略するが、機会があったら、もっと上手に分離した設計例を紹介したい)。こうした悪い規格を用いる際には、仕方がないとあきらめて、上手な分離を考えないで作る手(TABLEタグを使ってレイアウトを整える方法など)もあるが、自分はやりたくないのでやらなかった。そう考えても、悪い規格には逆らえないので、分離できない部分がいくつか残っている。
 3つ目は、後から何か変更するときに、変更が必要な箇所が少なくて済むこと。ある程度までならCSSを使えば実現できるが、HTMLやCSSの設計が悪いために、本格的と言えるレベルではできない。これも、できる範囲で妥協した。
 以上のような点を考慮したので、変更点は少ないものの、かなり苦労されられた。Mac、Windows、Linuxの各OS上の代表的なウェブブラウザで表示状態を確認しながら、問題がもっとも出ない設定を探し出したためだ。それでも、一部のブラウザでバグに当たってしまい、表示が変になっている。また、うまく収まらなかった箇所も残っていて、そのうちに修正するつもりだ。
 今回の変更では、Netscape 4.xへの対応をあきらめた。CSSのサポート度合いが低いため、画像のズレが発生してしまう。内容を読めないわけではないので、無視することにした。
 こんな感じで変えてみたが、苦労の原因を考えると悲しくなる。悪い設計の規格や、ウェブブラウザのサポートが悪い点などが、主な原因だからだ。こうした無駄な苦労は、どんな業界にでもあるのだが、コンピュータ業界はかなり多い方だと思う。

●2002年01月03日:今年の重点は濃い内容に

 iBookの環境整備もようやく終わり、本格的に使い始めた。作業環境の中心をMac OS Xに移行したため、ファイル操作の中心であるFinder(Mac OS用のGUI型シェル)の機能や操作が、今までのMac OS 9とはまったく別物だ。数多くのファイルを上手に管理したり、使い勝手を向上させるためには、新たな工夫を導き出さなければならない。使いながら工夫を考えていこう。
 いろいろなことをしているうちに、新しい年になってしまった。ここ数年の元旦に必ず思い出すのは、以前に知人から聞いた発言だ。それは「40歳を過ぎたんだから、今後はくだらないことに時間を使いたくない。少しでも価値の高いことに時間を使って、何かを残したい」という内容である。まったく同感だと毎年思い、自分の生き方を見つめ直す機会にしている。
 このサイトも、立上げてから約6年半になる。最初のうちには、ページ数が少ない上に、基本的な内容から書き始めたため、内容の充実度はかなり低かった。しかし、地道に更新し続けたことで、コーナー数も増加したし、濃い内容のページもだんだんと増してきた。仕事で疲れていて気力が低下した時期もあったが、何とか更新し続けてけてよかった。
 昨年あたりから、大物といえる内容を意識して取り上げている。システム開発では仕様書と設計術、新しい教育では能力教科の教育内容の設計例、思考のヒントでは思考方法と道具などだ。こうした内容は、中身を作るのが非常に大変だが、その分だけ価値が高い。今年の更新でも、このような濃い内容を優先したい。


下の飾り