川村渇真の「知性の泉」

文系および理系の視点と、論理的思考との関係


 既存の学問に含まれる分野や、それを学んだ経験の分け方の1つに、文系と理系(文化系や理科系とも表現)がある。多くの人が使っている分け方なので、論理的思考との関係を考察しながら、取り上げてみよう。

文系理系という分け方に明確な定義はない?

 まず最初に、文系と理系の中身を明らかにすべきだ。辞書やウェブページで調べると、主流となっている分け方が見えてきた。まず理系の内容を定義し、それに含まれない内容を文系としている。代表的な表現を用いると、理系は「数学と自然科学に関わる内容」であり、文系は「理系以外の内容」のようだ。
 文系理系という分け方以外にも、自然科学、社会科学、人文科学という3分割がある。文系理系の分け方に照らし合わせれば、自然科学が理系に、社会科学と人文科学が文系に属する。
 具体的な教科を挙げると、理系には、数学、物理学、化学、農学、医学、薬学、各種工学などが含まれる。文系には、文学や美術といった芸術、社会学、経営学や経済学、商学、法学、心理学、哲学などが含まれる。細かく明確に記述したものはなく、何となく使われている分け方のようだ。
 一部には、別な考え方も存在する。「数学の利用度の高い学問が理系で、それ以外が文系」と。この方が、多くの人が感じている内容に近いのではないだろうか。たとえば、既に経済学は数学を多用し、まるで理系のようだ。文系と思われていた分野で数学が使われるようになると、文系と理系の境界にますます不明確になる。
 ここでは、多くの人の感じ方に近いと思われる「数学の利用度の高い学問が理系で、それ以外が文系」を定義として話を進める。

文系の視点での考察が大事だと言うが、中身は不明確

 現実の世の中で生じる問題にも目を向けてみよう。最近では、判断の難しい問題が増えている。たとえば、クローン技術を人間に利用するとき、どこまで許されるのか、倫理的な面も含めて検討しなければならない。この種の問題だと、数学や科学技術だけでは解決できない。
 そんなとき登場するのが、「文系の視点」や「文系的発想」だ。科学技術の利用した結果に問題が発生したときも、同じように登場する。たとえば、「この種の問題は、文系的な視点でないと、適切に判断できない」という感じで。この中の「判断」が「考察」や「検討」の場合もある。
 では、文系の視点とは、どのような内容であろうか。残念なことに、こうした意見を出す人は、文系の視点の中身を説明しない。中身を明らかにしないまま、意見を述べている。「教養」や「文化」に関する意見とそっくりだ。自分が理解していると勘違いしている人に、共通する特徴である(この詳しい内容は「難しい内容の理解や哲学と、論理的思考との関係」を参照)。
 すると、大きな疑問が生じる。文系の視点という、自分で説明できない内容を持ち出している人の意見は、期待した成果を生むだろうか。おそらく、期待できる成果の内容も、説明できないだろう。実際、意見を述べている人は説明できてない。自分が理解しているいると勘違いしているだけだからだ。結論として、文系の視点に関わる意見は、中身が空で価値がないと判断するしかない。
 以上の評価をより明確に理解するには、本当に理解している場合を考えればよい。文系の視点とはどのような内容なのか、説明できるはずだ。その内容には、具体的な作業内容や手順、作業の中で考慮すべき点、作業で得られる結果の形式や特徴、期待される効果などが含まれる。さらに、期待される効果の限界も説明できる。こうした内容を説明できたとき、本当に理解していると判断する。
 この視点で、現実の意見を調べてみるとよい。文系の視点の中身に関しては、まったく述べられてない。理解してないで述べていると判断するのが妥当である。
 文系の視点といった言葉は、説明が非常に難しい。このような言葉を使うのは、自分の主張を通すためと推測する。明確にできない言葉を使って、説明した雰囲気を作り出す方法は、以前から何度も使われているからだ。「教養」や「文化」といった言葉を使って。しかし、今回のように分析してしまうと、説得力が極度に低いと分かる。

文系理系の分け方は、知の下位体系内でのこと

 どんな課題でも、質の高い結論を出すためには、論理的思考が欠かせない。また、課題の種類や検討方式によっては、評価技術や議論手法などの各種支援技術も必要だ。この話は、文系の課題にも理系の課題にも当てはまる。
 文系と理系を合わせたものは、既存の学問と等しい。それとは別に論理的思考や各種支援技術があり、知の体系としては上位に位置付けられる。これらを既存の学問に加えると、知の体系は次のようになる。

知の体系の概略
・知の上位体系
  ・論理的思考:基本要素、実用要素、強化要素
  ・各種支援技術:評価技術、議論手法、管理技術など多数
・知の下位体系
  ・既存の学問:数学、物理学、文学、経済学、社会学など多数 
    文系が強 <−−−−−−−−−−−−−> 理系が強
   [文学 社会学       経済学   物理学 数学]

 文系と理系の学問は、知の下位体系の中に含まれる。つまり、下位体系の中の分け方と捉えられる。文系と理系の区切りを明確にするのは難しいので、理系の要素が強いかどうかで並べるぐらいしかできない。
 理系の要素の強さを、数学の要素が多いことと定義すれば、数学が理系側の端に来る。文系側の端は文学や美術だろう。他の学問はその間に入る。現在の経済学は、理系の要素が強くなっているため、理系側に近付く。どの位置にいるかを細かく決めても、対象となる学問の内容が変わるわけではないので、細かな位置に意味はない。
 ここまでの説明で、知の体系から見た、文系と理系の分け方の位置付けが理解できたと思う。ここから先は、文系の課題と理系の課題の違いと、論理的思考方法との関係を考えてみよう。

理系に属する課題にも、文系の領域が含まれている

 まずは、理系の課題からだ。理系に属する学問は、数学を用いて思考する割合が多い。数学なので、白黒や良し悪しが明確に説明しやすい。数学で説明できないことは、不明なこととなる。もちろん、普通の言葉も用いるが、あくまで数学的な内容を補足する役割でしかない。内容の中心となるのは、数学に属する部分だ。
 このような特徴を持つので、課題を検討した内容は、かなり論理的となる。第三者が評価する場合も数学を用い、もし反論があれば、数学的な内容で示す。課題の考察を、非常に明確に進められる分野である。
 こうなる理由は、“数学というのは、論理的思考方法を用いなくても、論理的に思考を進められる、数少ない分野”だからだ。ただし、この特徴は、純粋な数学の領域だけに限られ、他の要素が含むと当てはまらない。
 それでは、理系の学問を実社会で利用する場合、どうなるだろうか。実は、これが非常に重要な点である。実社会には、人間や組織に関する様々な要素がある。こうした要素は、理系ではなく文系の特徴を持つ。つまり、数学では扱えない内容がほとんどだ。こうした要素が、理系の学問を実社会で利用する課題にも含まれる。
 1つの例として、スペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故を挙げよう。爆発が起こりそうなことは、原因部分を担当している技術者が知っていた。この部分の判断は、完全に理系の領域である。その技術者は、自分の判断を上司に伝えた。しかし、上部組織の判断により、最終的には無視され、爆発事故が起こった。
 この事故の話の中に含まれる、文系の領域を明らかにしてみよう。技術者が判断した作業までは、理系の領域である。それを上司に伝えるかどうかは、倫理的な問題であり、もう文系の領域だ。報告を受けた上司の判断でも、技術的な部分は理系の領域に、それ以外は文系の領域となる。さらに上の上司でも同様だ。
 これは実社会での課題だが、実は、純粋な理系の課題にも文系の領域が含まれている。数学的な内容を、言葉で補助する部分だ。しかし、それが大きな影響を及ぼすことはない。全体に含まれる割合がかなり低いのに加え、証明などの説明手順がほぼ決まっているからだ。純粋な理系の課題にも文系の領域があることは、“世の中の全部の課題に、文系の領域が含まれること”を意味する。
 文系の領域が多い課題になると、影響は無視できない。それどころか、文系の領域の方が大きな影響を及ぼす。課題の理系的な部分をどうするかは、文系の領域で判断するからだ。チャレンジャー号の爆発事故は、“理系領域の適切な検討結果を、文系領域の検討ミスで失敗に導いた”とも言える。世の中の失敗を調べると、このパターンが非常に多い。
 以上を総合すると、文系の領域をどのように扱うかが重要となる。理系の専門家だからといって、文系の領域を無視するわけにはいかない。

文系の課題には、論理的思考方法と各種支援技術を利用

 続けて、文系の課題の検討方法を考えてみよう。最初の方で述べたように、「文系の視点」や「文系的発想」には中身がない。実際、このような説明をする人は、課題を適切に検討できていない。
 その代わりとして登場するのが、論理的思考方法と各種支援技術だ。課題を適切に検討するために、まず論理的思考を用い、必要に応じて各種支援技術を利用する。検討作業の全体をコントロールするのが、論理的思考方法である。
 では、論理的思考方法や各種支援技術がない状態で、文系の課題を検討するとどうなるだろうか。基本的には、論理的に思考しようと努力するだろう。しかし、適切な道具がないため、検討の質が高まりにくい。とくに、難しい課題ほど、良い検討結果が得られない。
 その代表例は、哲学。課題対象の中身を説明するのではなく、他との関係や、大まかな雰囲気だけで説明したがる。とても理解しているとは言えず、言葉遊びのようだ。それなのに、非常に高尚な内容だと勘違いされている(この詳しい内容は「難しい内容の理解や哲学と、論理的思考との関係」を参照)。
 加えて、質の低い検討結果が出されたとき、その欠点が指摘されにくい問題もある。そうなる大きな理由は2つだ。まず、検討結果を文章だけで説明する傾向があるため、検討全体の構造や流れが見えにくい。これでは、間違っている点を見付けるのが大変だ。もう1つの理由は、物事を適切に評価する方法を知らないこと。評価という作業は難しいので、良い方法を知らないと、評価の質を高められない。
 現状がこんな状態にあるため、文系の課題に関しては、質の高い検討結果が極めて少ない。何も対処しなければ、同じ状態が永遠に続くだろう。打開するには、論理的思考方法と各種支援技術の利用しかない。

どの課題でも、論理的思考方法を用いて全体を把握

 ここまでの話を、分かりやすく整理してみよう。理系の課題では、文系と理系の領域を分けて表現した。文系の課題でも、同じように2層で分けることが可能だ。すると、次のような構造が見えてくる(理解しやすいように、説明で登場した順に並べてある)。

文系と理系の課題の大まかな構造
・理系の純粋な課題
  ・文系の領域:証明の進め方(内容量が少ない:以下同)
  ・理系の領域:課題の中身(多い)
・理系に関係する実社会の課題
  ・文系の領域:管理的な内容(多い)★
  ・理系の領域:技術的な内容(多い)
・文系の純粋な課題
  ・文系の領域:検討の進め方(少ない)★
  ・文系の領域:課題の中身(多い)★
・文系に関係する実社会の課題
  ・文系の領域:管理的な内容(多い)★
  ・文系の領域:本題となる内容(多い)★
★印:論理的思考方法の利用で、思考の質が高まる箇所

 実際に扱われている課題を調べると、文系理系で明確に分けられず、両方の要素が含まれることが多い。この整理結果は、特徴を理解するために単純化したものと捉えてほしい。
 この中で★印を付けたのは、論理的思考方法と各種支援技術を利用することで、思考の質が高まる箇所だ。1つの例外を除き、文系の領域の全部で、思考の質が高められる。例外とは、「理系の純粋な課題」の「文系の領域:証明の進め方」だ。これだけは、証明の進め方が過去の遺産という形で確立しているので、改善する余地があまり残っていない。
 対して「文系の純粋な課題」の「文系の領域:検討の進め方」は、課題の種類が多いのに加え、現状での論理的思考の度合いが低いため、かなり大きく改善できる。内容量が少ないにも関わらず、改善効果が大きいのは、検討の進め方が、検討結果に大きく影響するからだ。
 どの課題でも、2層の上側が上位となり、すべて文系の領域に属する。この部分で論理的思考方法を利用するため、課題全体を論理的思考方法で把握することになる。なお、「理系の純粋な課題」の「文系の領域:証明の進め方」でも、論理的思考方法すれば、似たような証明の進め方が求まる。その意味で、これも論理的思考方法で把握すると捉えて構わない。
 論理的思考方法による改善の大きさで比べると、文系の課題の方が圧倒的に大きい。「文系の純粋な課題」と「文系に関係する実社会の課題」の両方とも、上下2層で思考の質が高まるからだ。実際、既存の検討では、論理的思考の度合いが低くて、質の高い成果を出せないでいる。状況を改善するために、論理的思考方法と各種支援技術を利用すれば、文系の多くの課題で、良い検討結果が得られる。
 1つの例を挙げよう。文系の課題の一部では、倫理問題と片付け、効果的な対策を打たなかったりする。論理的思考方法を用いると、その中の解決方法の設計術を使い、組織の仕組みとして解決しようとする。関係者の倫理観に依存する方法ではなく、倫理観が低い人でも、悪い行為がやりにくい仕組みを用意する形で。
 文系の他の課題でも同様に、論理的思考方法と各種支援技術を用いることで、可能な限り最良の解決方法を求められる。文系の領域でこそ、大きな効果が期待できる。加えて、文系の領域には、社会の問題が多く含まれるため、社会の様々な問題を解決するのに役立つ。

論理的思考方法は、文系領域の検討の質を大きく改善

 今度は、課題として捉えるのではなく、文系と理系のそれぞれの領域で、どんな特徴があるのか見てみよう。そうすれば、論理的思考方法と各種支援技術の効果が、領域ごとで明確になる。
 論理的思考方法や各種支援技術を使う前である現状と、使った後の改善状態では、特徴が大きく変わるので、現状と改善状態の両方で特徴を整理する。それぞれで、検討の質、検討結果の良し悪しの判断、検討の全体状況の3つがどうなのか、まとめてみた。

文系と理系の領域における課題検討の特徴(全体での傾向)
・文系領域の特徴(現状:論理的思考方法を使わず)
  ・検討の質:非論理的な内容も含まれ、質が相当に低い
  ・検討結果の判断:良し悪しの区別が極めて困難
  ・全体状況:課題のほとんどで、かなり悪い検討結果
・文系領域の特徴(改善:論理的思考方法を使う)
  ・検討の質:論理的な内容が多くなり、質を高めやすい
  ・検討結果の判断:良し悪しが区別しやすくなる
      (どこがどのように悪いのか指摘できる)
  ・全体状況:課題の多くが、かなりマトモな検討に
・理系領域の特徴(現状:論理的思考方法を使わず)
  ・検討の質:数学を利用するため、質を高めやすい
  ・検討結果の判断:良し悪しの判断がやりやすい
  ・全体状況:課題の多くが、適切に検討されている
・理系領域の特徴(改善:論理的思考方法を使う)
  ・検討の質:複雑な内容で少し向上する
  ・検討結果の判断:複雑な内容の良し悪しが判断しやすく
  ・全体状況:複雑な内容の場合、改善効果が得られる
      (現状が良いので、改善できる余地が少ない)
注:文系や理系の課題ではなく、それぞれの領域での特徴

 現状での文系領域の検討の質だが、残念ながら非常に悪い。哲学やディベートの悪い点にも気付かないし、物事を理解しているかも見分けられない。「文系の視点」といった中身のない意見が、堂々と使われている。
 課題が難しくなるに従って、検討の質は大きく低下する。その大きな原因は、検討内容を適切に整理して把握できてないからだ。論理的思考方法のような道具を用いないと、適切に整理するのは極めて難しい。整理できてないと、検討結果の良し悪しを判断するのも困難になる。実際、社会の重大な問題に関して、適切に検討結果をほとんど出せない状態が続いている。
 こうした現状を大きく改善するのが、論理的思考方法と各種支援技術だ。文系領域の検討の質を、大きく改善してくれる。ただし、難しい課題の場合、検討の質を大幅に改善するためには、少人数での検討だと限界がある。検討結果を広く公表して、多くの人からレビューを受けた方がよい。こうした活動に参加する全員が、論理的思考方法を習得していれば、相当に質の高い検討結果が得られるはずだ。
 文系の領域は「理系に関係する実社会の課題」にも含まれているて、これも一緒に改善できる。つまり、論理的思考方法と各種支援技術は、文系と理系の両方の「実社会の課題」を検討するのに役立つわけだ。

 ここまでの話から、各種支援技術を含めた論理的思考方法は、(文系の課題ではなく)文系の領域で、検討の質を向上させる有効な道具だと分かる。理系の領域では、数学が論理的思考の基盤を作っている。それと照らし合わせるなら、“文系の領域にとっての論理的思考方法は、理系の領域での数学に相当する”といえる。数学ほどの厳密な検討は無理だが、論理的な度合いが極度に低い現状と比べれば、かなり厳密に検討できる。今後の改良によって、厳密さが少しずつ向上するだろう。

 もう1つ大事な点を、最後に加えておきたい。文系に属する課題のうち、相当に難しい課題は、理系と比べ物にならないぐらい難しい。どのよう考えたら検討できるのかすら、不明な課題だからだ(具体的にどんな課題なのかは、自分で考えてみて)。こうした課題は、論理的思考方法や各種支援技術を駆使するだけでは、まったく前に進まない。
 では、検討を進めるために何が必要なのか。これこそ、次の段階の重大テーマである。これが何を意味する話なのか不明な人は、気にせず忘れよう。

(2002年12月26日)


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