川村渇真の「知性の泉」

本サイトの究極の目的:知の上位体系の構築


本サイトのほとんどの内容は、ある“究極の目的”のために作り続けられています。その目的とは、「既存の学問に欠けている重大要素を含んだ、上位に位置する『知の体系』を構築すること」です。それは何なのか、どのような理由から生まれたのかを、簡単に説明しましょう。


重要能力の習得に、既存学問は大きく役不足

 学生時代を通して、1つの大きな疑問を常に持っていました。「学校で教えている教育内容を必死で勉強して、実社会で本当に役に立つのだろうか」という疑問です(同じように考えていた人は、意外に多くいると思うのですが)。もちろん、小学校で教えるような基礎的な内容ではありません。高校以上の教育内容に関してです。
 学生時代に何となく感じていた上記の疑問は、社会人になってから何年か経過して結論が出ました。「まったく役に立たないわけではないが、役に立つ度合いは相当に低い」という結論が。その後の自分の課題は、学校の教育内容に欠けている要素を見付けだし、それを習得することに変化しました。結果として、論理的な思考方法、評価術、各種設計手法、マネジメント技術など、重要な能力をいろいろと身に付けてきました。
 習得した内容が増えるにしたがって、既存の学問の位置付けが明確に見えてきます。それは「既存の学問には、非常に重大な要素が欠けていること」です。既存の学問を細部まで全部勉強するのは不可能ですが、大まかな内容は調べれば分かります。また、論理的思考や評価にどれだけ役立ちそうかも、容易に判断できます。その結果分かったのは、既存の学問をいくら深く勉強しても、論理的思考方法や評価術といった、人間の重大な能力を習得できない点です。実際、大学教官の多くも、論理的思考の基礎すら身に付けていません。
 論理的思考や適切な評価は、知の中心部分です。その能力を高めるためには、知を総合的に捉える必要があります。つまり、知の体系化が大切です。これに関しては、古代ギリシャの哲学者アリストテレスによる「オルガノン(論理学)」が始まりでしょう。それに対抗するフランシス・ベーコンの「ノヴム・オルガヌム」が続き、P.D.ウスペンスキーの「ターシャム・オルガヌム」も現れました。これら以外にも体系化が試みられていて、根本的に流れる考え方の方向は似たようなものです。
 こうした知の体系を見ても、重大な要素が欠けていることが分かります。もっとも重要である、個人の論理的思考能力の習得すら実現できていません。さらに、社会や組織のように人間が集まった環境で、知的な活動を確実に実現する方法が欠けているのです。その要素を含まず、細かな部分の論理を極めたり、抽象的な概念だけ追いかけています。現実レベルまで落とし込んでいないばかりか、現実から相当に遠いレベルでしか考えていません。こうした内容ばかりなので、いくら深く勉強しても、実用レベルの重要能力が身に付かない結果となります。
 以上の指摘を信じない人のために、この判断に使った方法を紹介しましょう。論理的思考方法や評価術などは、次のような手順によって、独立して習得できる形で作成できます。どんな条件を満たせば適切に実行できるか洗い出し、それを満たす工夫を考え出してから、体系的に“設計する”わけです。設計できてしまうと、論理的思考や評価に必要な内容が判明します。そうした内容が、既存の学問に含まれているか調べれば、学問の勉強によって習得できるか分かるわけです。もちろん判断結果は「含まれていない」です。だからこそ、既存の学問をいくら勉強しても、論理的思考や評価の能力が身に付かないのです。

学問に欠けている重大要素の種が実社会で誕生

 既存の学問に欠けている重大要素を埋める工夫は、学問の世界ではなく、一般社会で生まれ続けています。とくに、ここ数十年の間にです。もちろん、体系化された内容ではなく、個々の非常に小さな工夫の形でです。その意味で「重大要素の“種”が生まれている」と表現した方が適切でしょう。
 該当する工夫の中で、最近のもっとも重要な1つは「情報公開」です。これは、決定および実行の内容を広く公開することにより、決定者や実行者にはプレッシャーを、観察者には間違いの発見機会を与えます。情報公開は、より一般的な工夫である「第三者によるレビュー」に含まれます。レビューというのは、設計、計画、実行などの内容が適切かどうか、担当者以外の専門家が評価する方法です。内容の質を高めるために役立ち、様々な対象に対して利用できます。
 作業工程の設計方法も、重要な工夫の1つです。まとまった作業内容を複数の工程に分割して、個々の工程で行う作業内容を規定します。また、各工程の作成物も規定し、より多くの人が実行できる形に仕上げる技術です。必要に応じて、作成物が正しくできているか、検査する作業も入れます。
 情報を分かりやすく表現する工夫も、徐々に発達しています。対象となる内容の全体像を把握したり、構造を視覚的に見せたり、情報を整理して提示するなどの方法でです。まだまだ一部の人しか理解していませんが、知るべき情報や習得すべき能力が増える未来社会においては、非常に重要な点なのです。
 他にも工夫は生まれていますが、この辺にしておきましょう。どの工夫にも共通するのは、実社会で効果が得られるような内容を目指している点です。そうなるように、社会や組織まで含めた視点で作られています。

知の上位体系の中心は論理的思考

 今後の社会で我々に必要なのは、本当に重要な能力の習得です。論理的思考、適切な評価、建設的な議論、作成物の質を向上させるレビューといった、いろいろな能力です。これらが身に付くような内容こそ、これからの個人や社会に必要な重大要素といえます。
 もう1つ必要なのは、社会の各部が適切に運営される仕組みです。個人の重要能力を生かし、適切な意思決定が行われ、悪い行為を防止できる仕組みが必要です。これも、社会に必要な重大要素といえます。
 個人および社会の重大要素は、できる限り体系化して、総合的に習得できる環境を作ることが大切です。その中心となるのは、もちろん論理的思考です。どんな対象にも利用でき、考える限りは必ず使うからです。
 残りの内容は、論理的思考を手助けする要素として位置付けます。評価技術や議論技術が代表例で、他にも、説明技術、質問回答技術、依頼引受技術、意見調整技術、体系化技術、管理技術など数多くあります。これら全部を、それぞれを実用的なレベルの内容に仕上げます。また、個人の能力として面だけでなく、社会の仕組みとして実現する面も含めなければなりません。
 論理的思考でも各種技術でも、単にそれができるだけでは不十分です。多少の邪魔があっても、結果の質が保てるように、それぞれの内容を設計しなければなりません。ここまでやって、確実に実現できるレベルに達します。
 以上をまとめた全体像も、知の体系の1つです。では、既存の学問との関係は、どうなるのでしょうか。既存の学問は不要になるのではなく、主に知識として一緒に利用します。新しい知の体系と比べたら、既存の学問は基礎に相当するわけです。その意味で、既存の学問を「知の下位体系」と、論理的思考を中心とした新しい体系を「知の上位体系」と位置付けるのが妥当でしょう。
 上位体系が作られると、教育内容も大きく変わります。基礎である下位体系から始めて、少しずつ上位体系が入ってくる形に。ただし、小学校の低学年だけは、今とあまり変わらないかも知れません。

発想作業や人間的成長も上位体系でサポート

 知の上位体系に含まれるのは、論理的思考や各種技術だけではありません。新しいアイデアを思い付く発想作業も、サポートの対象となります。発想する力が見違えるほど変わることはありませんが、人々の発想能力を少し大きくする程度であれば、十分に可能です。当然ながら、論理的思考を身に付けた後で、学習することになります。
 もう1つ重要なのは、人間的な成長の支援です。これが一番難しいのですが、不可能ではありません。人間的な成長に必要な要素を洗い出し、それに役立つ経験を注意深く設計して、良い順序で体験させるわけです。もちろん、本人の様子を観察しながら、途中で修正したり中止する機能も必須です。
 経験する内容は、いろいろな要素が考えられます。たとえば、自分の行為が他人に良い影響を与え、その相手から感謝の言葉を直接もらう喜びは、良い方向に成長させる経験となります。別な例では、普通なら慌てるような緊急事態を何度か経験させ、そんなときに何を考え、どう行動すればよいのかを学ばせます。こうした経験があれば、緊急事態でも適切に行動できる人間に近づきます。同じような考え方で、成長に役立つ経験内容を設計し、意図的にさせればよいでしょう。
 以上のような知の上位体系は、コンピュータの機能として組み込みます。今までのように本を読んで学習するのではなく、コンピュータと対話しながら、様々な能力を身に付けていきます。こうしたコンピュータによる支援も、知の上位体系の一部となるわけです。

知の体系がようやく実用レベルに達する

 知の上位体系の構築は、どんな意味を持つのでしょうか。それは、現在の状態と比べてみると、よく分かります。
 現在は、知の下位体系だけしかないため、ほとんどの人が論理的思考の基礎すら身に付けていません。また、適切な評価やマトモな議論もできないでいます。学問を何十年と学んできた人でさえです。その結果、社会の様々な場面で、論理的な思考ができず、レベルの低い意思決定が繰り返されています。さらに、電子会議室などの議論の場では、いつも混迷してばかりで、良い検討結果に近付きすらしません。多くの人が、そんな場面を何度も見ているはずです。
 ところが、知の上位体系が確立されると、大きな変化が現れます。論理的思考だけでなく、評価技術や議論技術などを身に付けた人が増えます。さらに、適切な検討や意思決定ができる仕組みを、社会や組織の各部で採用します。その結果、たいていの課題に対して、最良解に近い結果が得られます。邪魔する行為を防ぐ機能も、それぞれの内容に含まれていますから、多少の邪魔では影響を受けません。
 以上のように、知の下位体系の内容は、個人の面でも社会の面でも、実用レベルに達していないのです。それも、少し足りない程度ではなく、大きく足りないのです。逆に、知の上位体系は、そんな状況を実用レベルへと引き上げます。大きく足りない状況から、一気に引き上げるわけです。これは「知の体系が、ようやく実用レベルに達すること」を意味します。また、実用レベルに達することで、社会が大きく進歩するのです。

 非常に大まかな説明ですが、本サイトの究極の目的は、上記のような“知の上位体系の構築”にあります。それに含まれるほとんどの内容が、まだ作られていないので、全体を体系化するとともに、個々の内容まで作らなければなりません。
 しかし、社会の進歩という面からは、極めて重要な内容となるだけに、自分のライフワークとして続けています。仕事以外の多くの時間を割いて。個人的には「大事なことに気付いた人は、それを世の中に残すのが人生の使命」と考えていますから。しかし、一番の理由は、こうした思考作業が“何物にも代え難いほど面白い”からです。そして、このような面白いことを見付けた自分は、本当に幸せだと思います。
 皆さんも、心底面白いと感じる何かを見付けてください。


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