川村渇真の「知性の泉」

ディベートは建設的な議論につながらない


議論をゲーム化したのがディベート

 議論の能力を高めようとするとき、真っ先に思い浮かぶのがディベートだ。与えられたテーマに関し、2つのグループに分かれて議論する。勝ち負けを明確に付けるのが特徴で、多くの人が参加してトップを争う大会が、いろいろな国で行われれている。
 確かにディベートでは、論理的な意見の交換を重視する。相手から指摘された項目に対し、論理的に反論しなければならない。また、対象テーマに関わる内容を細かく調べることも教えられる。指摘された全項目に反論したかや、述べた意見の内容で評価し、どちらが勝ったかを判定する。
 議論の内容を論理的に評価する点では、マトモな議論方法を習得するのに役立つ。また、対象テーマへの調査を重視するので、きちんと調べて議論に臨む姿勢も身に付く。しかし、最終的に勝ち負けが重視されるため、大きな欠点を持っている。
 対象テーマに関して調べる段階から、ディベートらしい特徴が現れる。調査で得られた情報を、自分の立場に照らし合わせ、有利なものと不利なものに分けてしまう点だ。自分に有利な情報なら、積極的に利用して勝ちに役立てる。逆に不利な情報なら、自分から公表することはない。それが役立つのは、相手の攻撃を予測する材料としてだけで、反論を考えるのに活用する。
 議論の過程も、ディベートならではの方法が採用されている。お互いが順番に、自分の立場を有利にする意見と、相手を攻撃する意見を述べる。攻撃されたときは、それへの反論を出さなければならない。このような過程を全部見て、勝ち負けを判定する。全体的には議論を用いた勝負で、ゲームのような形式になっている。

ディベートでは結論の質が重視されない

 ディベートを、建設的な結論を導くための議論方法という視点で評価した場合、いろいろな欠点が見えてくる。代表的なものを挙げてみよう。
 最大の欠点は、議論の末に得られた結論の質が評価されないことだ。議論手法としてみたとき、非常に大きな欠点である。建設的な結論を導くのが目的なら、もっとも重視すべきなのは、質の高い結論を得ることだ。だからこそ、質の高い結論を導き出せたときが、質の高い議論だと評価する。
 ところがディベートでは、議論の最中に言い合った内容を評価し、勝ち負けを決める材料とする。結論が評価されないばかりか、結論を得ようともしない。これでは、ディベートがいくら上手になっても、建設的な結論を得るための議論方法は身に付かない。
 2番目の欠点は、本格的な検討手法を採用しない点だ。建設的な結論を導く議論であれば、検討する工程の質を保つ意味で、問題解決などの検討手法を用いる。これが議論の羅針盤として役立ち、対象テーマに関して質の高い議論を達成できて、より適切な結論が得られる。意見が対立する場合は、お互いに自分の主張を言い合うだけで、良い結論がなかなか得られにくい。その点を解消するのが検討手法で、公正を保つための枠組みとして利用する。
 しかし、検討手法を用いないディベートでは、お互いに自分の意見を主張し続けるだけで、結論を導く工程へと到達しない。両方から出された意見は、適切な検討手法で評価されないままだ。こんな状態では、何時間かけて議論しても、質の高い結論が得られるはずはない。
 3番目の欠点は、自分に不利な情報を出さないことだ。これは勝ち負けを重視する限り、絶対になくならない。ディベートの最終目的が勝負だけに、必然的に生まれてしまう欠点である。
 以上のようにディベートは、建設的な結論を導く議論に必要な条件を満たしてはない。それどころか、「結論を出す」という議論の最終目的が欠落しているため、議論手法ですらない。あくまで、議論を用いたゲームなのである。

勝ち負けを重視すると建設的な結論は得られない

 ここで少し、ディベートの弊害について考えてみよう。ある組織内で、ディベートが最高に得意な人がいたとする。その人の所属部門は、非常に不利な立場にあって、今後の方針を決める会議へ出席しなければならない。会議へは、利害が対立する別部門の人も参加する。
 こんな状況で、ディベートの得意な主人公は、その能力を最高に発揮した。不利な立場の部門なので、通常なら悪い条件を押しつけられるはずだ。しかし、高いディベート能力のおかげで、不利な条件をのまずに済んでしまった。
 さて、この結果だが、本当に良かったのであろうか。確かに、主人公が属する部門だけを見れば、大きく得をしたであろう。しかし、組織全体で見た場合、改革が行われずに大きな損をしたことになる。
 では、何が悪かったのだろうか。最大の問題は、議論の重点が、部門間の勝ち負けになった点である。本来なら、組織全体の利益が最大限になるように、議論を進めなければならない。しかし、参加者の利害が対立する場合は、そう簡単には実現しない。何らかの手法や道具が必要で、それがないと勝ち負け重視の議論になってしまいがちだ。
 そんな状況で役立つのが、建設的な結論を導くための議論手法である。目的に適した検討手法を定め、それに従って議論を進めることで、勝ち負けの議論には陥らずに済む。検討内容の全体像を図や表で表現してみせるとか、検討手法に含まれる評価方法によって、出された情報が適切に評価されるとか、いろいろな要素を複合的に組み合わせて、質の高い議論を達成する。この点が重要なのだ。

建設的な結論を導く議論手法と正反対なのがディベート

 建設的な結論を導くための議論手法は、ディベートのような勝負には利用できない。その理由も重要なので、簡単に説明しておこう。
 問題解決手法などの検討手法を用いると、最良の解を求めるために、論理的で科学的な検討を重ねる。細かな手順も定められているし、途中の段階で議論内容を整理して見せる。このような方法で議論を進めると、与えられたテーマから導き出される結論は、解決が困難な問題を除くと、誰がやっても1つの結論に達しやすい。
 たとえば、タバコの有害性を議論のテーマに選んだとする。議論の参加者は、世界中から資料を集めるだろう。検討手法を用いるので、資料の信憑性を評価する工程が必ず入る。この作業が一番大変で時間もかかるが、重要なので手は抜かない。その後の工程でも論理的で科学的な評価方法を用い、最終的には適切な結論が得られる。明確に白黒の判定はできなくても、どちらの可能性が高いかは明らかにできる。
 1つの結論に収束しやすい点こそ、建設的な結論を導く議論手法の特徴であるし、目指している姿である。与えられたテーマで、正しいほうが必ず勝つような議論手法でなければ、適切な手法とは言えない。もちろん、参加者の多くが議論手法のルールを守らなければ、最適な結論など導けないので、おのずと限界はあるだろう。ただし、議論手法を設計する際には、邪魔する行為やルール違反を発見したり排除できるように、細かな部分を工夫する。それにより限界を広げられ、適切な議論を達成しやすくできる。
 このような特徴を持つので、2つのグループに分かれて議論しても、立場が不利なほうに割り当てられれば、まず負けてしまうのだ。これでは、勝ち負けを争うゲームにはならない。
 ここまでの説明から分かるように、ディベートは、建設的な結論を導くための議論手法と正反対の特徴を持つ。ディベートが重視するのは、途中のやり取りであり、議論の結論ではない。また、議論内容の質を向上するための検討手法も用いない。建設的な結論を導くための議論手法は、まったく逆である。参加者全員が対立するのではなく、最適な解を得るために協力する仕組みになっている。

ディベートに代わる議論習得方法が必要な時期

 以上の話で、ディベートの長所も短所も理解できただろう。議論の能力を高めようと思ってディベートの練習をする際には、欠点を的確に理解し、長所を生かさなければならない。
 今の世の中には、ディベートが役立つ場面もあるのは事実だ。ただし、あまりにも勝ち負けだけを重視すると、最良の結論から遠い結果となりやすい。議論テーマが社会のルールなどの場合は、良い世の中から遠ざかる傾向を持つ。結論の影響度を考慮し、よく考えて用いる必要がある。
 ディベートが、建設的な結論を導くための議論手法とは正反対なので、議論の能力を高める目的には安心して勧められない。ディベートがいくら得意になったとしても、建設的な議論が上手にはならないからだ。ディベートを学習した後で、問題解決手法などの検討手法、総合的な評価、議論内容の表現術など勉強すれば、万全とは言えないものの欠点は補えるだろう。
 もうそろそろ、ディベートに代わる議論習得方法が必要な時期に来ている。社会の進歩に見合うような、質の高い方法がだ。本コーナーで述べている内容を参考にすれば、新しい習得方法を設計できる。それが出来上がり、建設的な議論が社会が広まれば、ディベートの必要性は大きく低下するはずだ。
 それはともかく、ディベートの長所と短所は最低でも理解しておきたい。その上で、議論の能力を高めるようにしよう。もちろん、建設的な結論を導くための議論手法を中心に。

(1999年1月25日)


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