まとめ
人間は、動機と目的があって行動します。遺物も遺跡も、その結果として残ったものです。残された遺物の寸法や材質などを調べると「いつ、どこで」ということはわかるかもしれませんが、「なぜ」に対する答えは得られません。
例えて言うなら、ビデオやパソコンも同じことです。ハードを見ただけでは、本来の役割は見えてきません。古代の習慣も、残されたものの色や形などそのハードの部分だけを見ていたのでは、どんな動機で、何を目的としてそのようなことを行ったのかはわからないのです。
考古学は、「何が、どこで、いつ、誰が、どうやって、なぜ」を追求する学問です。この最後の「なぜ」という疑問は、いつも後回しにされてきました。この問題を放置していたのでは、発掘による新しい発見の機会があっても、気づかずに見過ごしてしまうかもしれません。
最近は、古い考古学の前提を否定するところから出発する、新しいパラダイムの「新考古学」が主張されています。事実を収集するだけでなく、事実をよりよく説明するための、新しい理論の出現が求められているのです。
これからはハードとソフトを統合し、「物」から「心」の問題に目を向け、特定の文化だけでなく異文化の比較からそれぞれを補完する、クロスカルチャー的研究が必要になっているのです。
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