源義経公生誕848年 ふれあい祭り


判官森での源義経公生誕祭2006

前 夜祭  栗 原寺出達式 く りでん廃線を惜しむ  願 成甲冑載兜式 神 楽奉納




くりでん義経号沢辺駅に到着
(10時40分 佐藤撮影)

惜しまれつ立ち去るものは判官のごとく美し栗原電鉄


くり はら田園鉄道廃線を惜しんで

2006年7月16日(日)午前10時過 ぎ、無事栗原寺での出達式を終えると、生誕祭一行は、くりはら田園鉄道(通称くりでん)沢辺駅に向かった。

実は今年の義経公生誕祭には、もうひとつの目的 があった。それは近々廃線が決まっているくりでんの最後の雄姿を見ながら、栗駒駅まで向かうという趣向であった。

くりでんは、元々細倉鉱山の鉱石の運搬の ために大正10年(1921)に運行されりようになった単線電車であったが、戦後には栗原地方の人々の通勤通学など、文字通り「栗原の人々の足」として重 用されてきたものである。

東北線石越駅と細倉駅の間25キロ余りを馬よりも遅いくらいのスピードで田園を分け入るようにしてのんびりと進む姿は、栗原地方 の風物詩のひとつにも数えられている。

近頃では、その長閑な姿を撮ろうと全国的の鉄道ファンがやってくるまでになっていた。しかし時代の流れには抗しがた く、自動車の普及によって赤字化が進み、様々な試みがなされてきたが、県の助成も打ち切りが決まり、ついに来年(2007)3月の廃線が現実に近づいてき たのである。

本日(7月16日)の「源義経公848回生誕祭」を、歴史的価値を持つ「くりでん」という近代の文化遺産を何とか存続させようと努力を続けて きた「くり でん応援クラブ」(会長 鈴木健平氏)が後援し、くりでん側も粋な計らいで「くりでん義経号」を運行してもらえることになったのである。

午前10 時35分、くりでん石越駅で「鎧神興出達式」を終えた静御前一行と「くりでん応援クラブ」の面々は、沢辺駅で待つ義経公一行と沢辺駅で合流。義経号に乗っ て一路栗駒駅に向かったのであった。



沢辺駅の駅長さんも記念写真に納まって義経と静の再会を祝す
(10時30分 佐藤撮影)

栗原の風を切りつつ幾十年「くりでん」廃止のニュース寂しき





義経公も静の到着を前に緊張の表情
(10時30分 佐藤撮影)
もしも今源九郎公(げんくろうぎみ)居ったなら祖国の変貌何と云ふかな





瀬 見温泉の弁慶さんと北の方は大いに笑う
(10時30分 佐藤撮影)
奥州の名もなき駅にげたげたと瀬見弁慶の高笑ひかな




待ちに待った再会の場




義経公の御神体を乗せた笈と兜が義経号に乗る(着座)
(10時35分 佐藤撮影)
人は皆おのがロ マンの人生をゴトゴト走るくりでんのごと



義経公を乗せた義経号は、いざ栗駒駅へ
(10時35分 佐藤撮影)
義経号ファンの夢乗せ静やかに初夏の栗原田園をゆく




2006.7.18 佐藤弘弥

義経伝説

くりこ ま荘HP