桜レポート2007 「桜・さまざま」

栗駒の種まき桜



栗駒桑 畑の種まき桜
(06年5月4日佐藤信行撮影

 7 宮城 栗駒の種まき桜 農事暦としての桜 

日本各地に「種まき桜」と名の付く桜がある。この場合の「種まき」とは、稲の種籾(たねもみ)を田んぼに蒔いて早苗を育てるための「種まき」のことを指す と考えられる。このことからも日本という国が、古代から営々として稲作に勤しんで成り立ってきた歴史が偲ばれる。

日本の農村において桜というものは、観賞用というよりは農事暦(カレンダー)の役割を果たしてきた。花芽が出る頃、花が咲く頃、花が散りはじめる頃、葉桜 となる 頃、それぞれに稲作作業の工程と結び付いていたのである。

春先、桜の枝に花芽が見えると、雪解けの田んぼを掘り起こし水が張られる。そこが苗床(なえどこ)となり、種籾(たねもみ)が蒔かれ、稲の苗が生育するの である。やが て種まき桜が開花し、花が散り始める頃、田植えが行われ、秋口まで続く米作りがスタートする。

最近は、田植えは機械化によって「結い」(ゆい)の風習がなくなってしまったが、米作りは各地域の人々が共同してやるのが普通のことだった。一軒の農家の 田んぼが植え終わると、次は隣の家の田んぼというように、地域総出で田植えが行われた。この時には、田植え歌などを唱いながらの農作業が行われたことだろ う。

芭蕉の句に「田一枚植えて立ち去る柳かな」(栃木那須郡蘆野)と、「風流の初や奥の田植え歌」(福島須賀川)というものがある。これは「奥の細道」の旅で 詠んだ句である。丁度奥州は田植え時期に当たっていたのである。日本人が厳しい農作業にも楽しみを見つけて稲作に励む姿が目に浮かぶようだ。



水田に映る栗駒山と種まき桜の雄姿
(06年5月4日佐藤信行撮影

桜の語源は、古事記に登場する木花開耶姫(このはなさくやひめ)から来ているとする説が広く受け入れられている。また「このはなさくやひめ」は、開麗(さ くうら)の約で「桜姫」はないかとする大槻文彦(1847ー1928)の国語辞書「言海」の説がある。

一般にサクラは、「サ」と「クラ」と分解され、「サ」はサキガケの「サ」であり、田の神(穀霊)象徴し、一方「クラ」は、神座(神が鎮まる場所)を暗示す るという解釈が定説化している。また白川静(1920−2006)は、シンプルに「『咲く』に『ら』をそえたもので、古くから咲く花の代表であった」(古 語辞典「字訓」「さくら」の項)と説明している。私なりに言えば、桜は山の神が、春になって田んぼのある里に降りて来て、田の神として桜の木に依りついて 花を咲かすということになる。

民俗学の折口信夫(1887-1953)は、その著「花の話」(全集第二巻所収中公文庫1975年刊)で、桜についてこんなことを言っている。

桜 の木も元は屋敷内に入れなかった。それは山人の所有物だからという意味である。だから昔の桜は、山の桜のみであった。遠くから桜の花を眺めて、その花で稲 の実りを占った。花が早く散ったら大変である。・・・万葉集を見ると、ハイカラ連衆は梅の花を賞めているが、桜の花は賞めていない。昔は、花は観賞用のお のではなく、占いの為のものであったのだ。
(佐藤注:現代仮名遣いに変換)

古事記の中に、ウワミズザクラの木で鹿の骨を焼いて占ったとあるから、桜は単なる鑑賞の花ではなく、その花の開花が一年の農耕を決める重要な役割を果たし ていたということが分かるのである。



栗駒桑畑の種まき桜
(06年5月4日佐藤信行撮影

宮城の栗駒地区は、宮城、岩手、秋田の聳える栗駒山南麓にある山間地で「ひとめぼれ」や「ササニシキ」の生産として知られる米所である。この地方でも農事 暦として「種まき桜」を見ながらの農作業が進められてきた。

この桜は「桑畑の種まき桜」(栗原市栗駒沼倉桑畑)と呼ばれ、民家の庭先にあるエドヒガン桜の古木である。花の幹の太さは、周囲5m、樹木の高さは9mほ ど、樹齢は四百年を越えるものと見られている。

十年ほど前に、樹木の中心の幹が折れ、樹勢が急激に低下し、枯死するものと危惧されたが、桜を思う周囲の人の心と樹木医の適切な治療によって、何とか息を 吹き返したものである。再生の根拠は、桜の幹に開いた穴を塞ぐように再生根が根を生やしていたことであった。

今日本各地では、農業の衰退が叫ばれている。農村には若い人の姿は見えず、後継者不足と農業の高齢化は深刻な状況だ。さらに農水省は、大規模農家育成策を 推進している。その為、小さな耕作面積しか持たない大多数の農家は、父祖伝来の田畑をどうするかの決断を迫られている。

日本各地にあったはずの「種まき桜」のいくつかは枯死してしまい、かろうじて生き残った桜もまた、都市化と農業危機の中で、「種まき桜」という名のみを残 すばかりになってしまった。各地の「種まき桜」が、失われてしまうことは、美しい日本の原風景が消えていくことと同じだ。

かつて山の神が里に下った田の神(農の神)が鎮座する依代(よりしろ)であった各地の「種まき桜」は、今後どのような運命を辿るのであろうか。

代掻きの馬は居ずとも田の里に花は今年も咲きつつありぬ


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2007.04.16 佐藤弘弥

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