06年4月17日、役行者ゆかりの吉野山に詣でる。吉野山の桜は、下から上に順に咲いていく。既に下の千本、中の千本は満開を過ぎかけ、上の千本に盛りは
移ろいかけていた。
金峯神社のある奥の千本はこれからで、固い蕾がわずかにほころびかけたところもあった。ここまで来たらと、西行庵まで足を伸ばしたが、朝日を浴びて桜が
煙っているように見えた。通称「とくとく清水」では、ペットボトルに清水を酌んで一服した。
「おーいお茶」捨てゝ「とくとく清水」酌む気持知るまい書斎人ども
などと、戯れの歌が湧いて、西行庵に辿り着くと、蕾の花の下で多くの人が腰を下ろして、桜の春を満喫していた。弁当を広げる人、記念写真を撮る人、西行さ
んを「北面の武士」と讃える人、中で西行庵の奥にある木彫りの西行像に手を合わせている母と娘が目に付いた。娘は年頃で、結婚前の母と娘の旅のように見え
た。
人生も桜も移ろいの中で咲きそして散るからこそ花なのである。咲いた母は子をなし、子は娘となって、また子をなす、人も花なのである。母子の祈りのなかに
花を見る思いがした。
妻子捨て出家した人西行を許すといふかこの母娘(ははこ)らは
義経隠れ塔に詣でると、下に展望台の御堂が建てられていた。水分神社を過ぎ、佐藤忠信花矢倉周辺では、行く春を惜しむように多くの人が金峯山寺の方角を眺
め、ため息をついていた。何故か、3年前に亡くなった母のことが思い出された。
いつの日か母に見せむと思ひしも一目千本眼(まなく)は二つ
吉野は桜の神の坐(ましま)す処である。望遠レンズ越しにみると、桜の回廊の中に迷い込んだ人々がうごめいている。年に一度、神は桜の迷宮に人が迷い込む
ことを許してくれる。それにしてもあの憤怒の表情の蔵王権現の心が桜であるとしたら何という落差であろう。美の奥深さをみる思いだ。
夢に見し吉野の桜拝みつゝ蔵王権現憤怒を畏るゝ
そんな吉野に、古来より、様々な文人墨客(ぶんじんぼっきゃく)が来ては詩歌を寄せ書画を物した。また大望ある人はここを隠れ里とし新しき世を模索した。
源義経もそんなひとりだ。吉野の神人義人は軍神義経の窮地に情けし、妻静、佐藤忠信らを吉水院に匿った。寒い吉野の冬の頃のことだ。しかし冬の日の悲しい
話は、春に季節を代えて、「義経千本桜」の物語として結実した。
愛おしき人と別れる辛さ知る人みな感涙の吉野かな
吉水院(現在の吉水神社)の辺りを見渡せば、義経と静の悲しい別れが思い出されて目頭が熱くなった。その時、わが祖佐藤忠信は、義経を逃亡させようと身代
わりとなり、一行の殿(しんがり)を勤め、この花矢倉で命を燃やし踏ん張った。
今は佐藤忠信と応戦し、首を取られた客僧の横川覚範(よこかわかくはん)の供養塔も中の千本に立てられ、敵も味方なく吉野山を彩る歴史のヒーローとして讃
えられている。日本人の和の精神を示す美しい話だ。
はらはらと吉野の風に舞ふ花を平和日本の象徴とせむ
いったい、日本人にとって桜の山である吉野山とは、どんなものだろう。一度吉野山の桜を観た人は、刹那の美を持つ吉野の桜をもう一度みたいと思うようにな
る。それはまるで人生のようにうつろで何より謎めいている。
咲くともな咲かぬともなし謎めきて吉野の桜人生のごと