義経伝説写真集1

藤沢の義経伝説を訪ねて

白旗神社 首洗井 荘厳寺 常光寺
 

常光寺


住所:藤沢市本町4−5−21
電話:0466−22−2266
最寄り駅:藤沢本町徒歩13分


荘厳寺を出て、JR藤沢駅に向かって80mほど進むと看板が見える。

常光寺


常光寺と弁慶塚

平野雅道

山号を八王山と言う。正式名称は摂取院常光寺、浄土宗の寺であり鎌倉光明寺の末寺である。本尊阿弥陀如来。開山は明蓮社光誉上人、創立は元亀三年(一五七二)である。元文四年(一七三九)火災にあい宝暦十二年(一七六二)に再建される。境内には天然記念物の樹林があり、全体が市の指定になっている。中でも県の名木百選に指定されたかやの大木が圧巻である。

山門のすぐ左手に六地蔵、そして浄土宗系の庚申塔が二基あり、教育委員会の説明板がある。本堂の東側は宿の旧家の墓地が多く、川上家・平野家(鎌倉屋)・三留家・平野家(平野屋)、今井家など。また住職野口家の親類にあたる「ヨネ・ノグチ」の墓標、戦中戦後の作曲家徳山環の墓碑もある。伝説の美女「亀女」の墓碑は今井家の中にあり、地蔵菩薩像の右隣に残っている。

常光寺の山号は少々変わっている。小川泰堂の『我棲里』の記録を要約すると、次のようになる。寺の後ろの山には八王子権現社があった。八王子権現は宿の総鎮守の山王の祭神大国主尊の子であり、山王社のある地は必ず八王子を祭る。これが山号の由来である。つまり地主の神が八王子権現社。今の庫裏の西の空地には庚申塔など数基あり、その場所が権現社だった。

その一角に弁慶塚がある。本来源義経とともに祭られここにあるのが不思議である。白旗横町の東に首塚があった。江戸期の記録に義経と弁慶が祭られたとありそこにあったものかと勝手に想像している。 

「弁慶塚」とあるが両側は削られ文字の判読が出来ない。故意に削ったものか?子供の悪戯で石でこする遊びがあった。公園のガキ大将の仕業であろう。
(「東海道五十三次 藤沢宿史跡ガイドブック」平野雅道著)

*この文書は、可満くらやミニ資料館の平野雅道氏のご厚意で掲載させていただいているものです。依って無断転載は固くお断りいたします。本資料を欲しい方は、可満くらやミニ資料館、電話0466−25−7459まで、ご連絡してください。



 

伝弁慶塚

藤沢の弁慶塚は寂しけりヤブ蚊の餌食となりて帰るも

かなり藤沢の歴史を詳しい人でも常光寺の裏に弁慶の墓があることを知る人は少ない。もちろんこれは伝承であり、住職も、「伝説として考えて貰いたい。」と念を押して案内いただいた。石の表面は削った上に弁慶の字が掘られている。ただこの土地はかつて白旗神社境内で、八王子社と呼ばれた社があった所とされる。奧には苔むした鎌倉石で造られた小さな古い祠が立っていて、「これは古いものですよ」と住職が言われた。事実、祭礼の時には、神輿に担がれた白旗大明神は、必ず通りからこの地に廻ってきてから帰る決まりになっているようである。(佐藤)

 


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2001.11.2 -2010.03.29 H.sato