義経伝説写真集1

藤沢の義経伝説を訪ねて

白旗神社 首洗井 荘厳寺 常光寺
 

荘厳寺


住所:藤沢市本町4−6−12
電話:0466−22−7345
最寄り駅:藤沢本町徒歩10分


義経公首洗井戸の旧街道を挟んで斜め向かいに当たる場所にあり。

荘厳寺はかつて白旗神社の別当寺であったが、明治維新以後分けられた。
 
 
 

源義経公の御位牌

「白旗大明神 神儀」の字が神々しい!!


この御位牌は、天保三年(1832年)に宥全和尚が作られたもので、それ以前にも義経公の位牌はあった模様である。木製漆塗りで、まさに後光がさしているほど神々しいお品である。


位牌の裏


「清和天皇十代御末源義経公 
御誕生平治元年乙卯歳 
文治五年乙卯歳閏四月三十日卒御歳三十七 
崇 白旗大明神 天保三辰歳 法印 宥全調之」




史料

白王山 般若院 

荘厳寺 

開創略誌

白王山般若院荘厳寺は、古義真言宗高野山派にして、元歴元年(一一八四)覚憲僧都により、三密修行の道場として、現在の国鉄藤沢駅中央の位置に開基され、又、建久九年(一一九八)川辺の丘に白旗神社を勧請する。その後寺勢衰え、堂宇荒廃し、嘉禎元年(一二三五)南都唐招提寺住職覚盛上人藤沢に来た折、荘厳寺の有様を見て、惜しみ、力を致して再興する。即ち中興開山の祖にして、謚号を大悲菩薩と云う。その後駅周辺の発展に従って、しばしば火災有りて再建するに無暇なり。依って五百十有余年の星霜を経るも、火災の近きと白旗神社への神勤の遠きを歎きて、延享四年(一七四七)八月三十一日、三十一世増明の代に、白旗神社の宮下に移り本堂を建立す。(数年前までは、その跡が見られた)然るに王政一新の時となり、神仏混淆の致さざる時となり、白旗神社の別当職を被癈し、四十三世原王照代徒弟英経が近藤内記と名を改め、白旗神社の宮司となり、荘厳寺は、明治八年二月に当地に再建される。白旗神社の宮下に移って以来百三十三年経ての事である。その後現在五十世に到る今日まで年数約八百年法灯連綿たり。

本尊 不動明王(運慶作と伝えられている)
寺宝 義経公位牌(前面には白旗大明神と書かれ、裏面に天保三年法印宥全調えと書かれている)
順徳天皇筆の掛軸二幅(八幡大菩薩春日大明神)
藤沢町絵図(天保十三年九月に書かれたもの)

年中行事 新年祈祷(正月元日より三日まで)
施餓鬼大法会(八月六日)
納め不動(十二月二十八日)
大師護摩供(毎月二十一日)
不動護摩供(毎月二十八日)
(高野山真言宗相模寺院めぐり:相模宗務支所編昭和59年3月刊より)

*この文書は、荘厳寺ご住職のご厚意で掲載させていただいているものです。依って無断転載は固くお断りいたします。



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2001.11.2 H.sato