新イチロー論
1 イチローと愛国心(新しきサムライ精神の発見)
WBC準決勝
日韓対決(06.3.18)の際に、イチローに対して、詰めかけた韓国チームファンから凄まじいヤジがなされた。
これに対して、イチローは、全然気になりませんでした。もっと大きかったらよかったと、涼しい顔で言った。
彼は日本チー
ムのプレッシャーをひとりで引き受け、むしろそれを楽しんでいるかに見えた。偏屈な個人主義者と思われていたイチローが、ナショナルな感覚を持つアスリー
トに変貌を遂げた印象に清々しい春風を感じた。通常、日本人はなるべく相手を刺激するような言動は避けて、試合に専念するものだが、今回
のイチローは現代日本人のイメージに変更を迫るほどの挑発的な発言を繰り返した。
これをやり過
ぎとみる向きもあるが、私はプロとしては当然のパフォーマンスと思っている。地味な日本人など返上すればよい。イチローがひとりヒールになることで、韓国
内のナショナリズムが刺激されて、異様な盛り上がりをみたようだ。良いではないか。それがスポーツの良さである。政治ではないのだから、遠慮して勝つなん
て、バカ丸出しの権謀術数は必要ない。
イチローの一
挙手一投足を見て、まるでサムライのようだ。と表する人が多い。言い得て妙である。サムライとは、戦士のことである。すべての責任を背負い、場合によって
は、死をも受け入れる。死というのは大げさだが、「王監督に恥をかかせてはいけない」というのは、ある種の忠義であり、イチローはそのようなサムライ精神
を現代に置き換えて見せることによって、ベースボールに、日本的スピリットを注入したことになる。
サムライ精神
あるいは武士道は、非常に明るく現状肯定的なものである。今日ともすれば、江戸末期の観念的武士道からのみ武士道を否定的に捉えて、戦争讃美やおどろおど
ろしい「死に狂い」的に解釈する向きも多い。しかし私は、今回のイチローの中に、新しいサムライ精神の発露を見いだしてもよいと考えている。
日本人は、と
かく戦後教育の中で、「己の過去の暗い過去の歴史を精算しろ」とばかり教わってきた。その結果、国歌、国旗も少し距離を置くことを当然のようにしてきた。
特に知識人とエリート教育を受けた人間にこの傾向は強いのであるが、そろそろたったひとりアメリカのベースボールの世界で戦っているイチローが見せたよう
に、サムライ精神という美風を堂々と主張しても、誰も文句は言わないのである。
それどころ
か、間違いなく韓国の人々も、「わが国もイチローのような世界的スーパーアスリートを生み出さなければ、日本チームにはやはり勝てない」ということを再認
識したに違いない。韓国チームと日本チームの差は、私にとってみればイチローのような飛び抜けた才能がどっちに居たかという差なのである。06.3.20
2 イチローとボブ・デュラン
ヤフースポー
ツを見ていると、アメリカのスポーツ記者が書いたユニークなコラムに出会った。
タイトルは
「イチローの復活」であった。原題は「Ichiro's
rebirth」である。この場合の「復活」は、普段私たちが使用する「復活」ではなく、「変貌」や「新展開」という意味に近いかもしれない。またこの記
者は言外に一度亡くなったキリストが、その三日後甦ったという意味の「復活」という意味も込めていたのではないかと感じるのである。
『・・・
「ワールドベースボールクラッシック」全体を通して、鈴木イチローの復活を目撃することは、ちょうど電気楽器に傾倒した後のボブ・ディラン見ているよう
だった。それは最初「衝撃」そのものだった。それから「狼狽」へと、やがて心を落ち着けてみると、まさしくそれは美そのものだった。イチローは少なくとも
ロボットではなかった。・・・』(佐藤訳 By Jeff Passan, Yahoo!
SportsMarch 20, 2006)
周知のよう
に、ボブ・デュランは、「風に吹かれて」や「ライク・ア・ローリングストーン」などの名曲を書き、今なおアメリカの音楽界で活躍を続けるアメリカの伝説的
なミュージシャンである。また世界中の天才の集まるアメリカにあって、天才の代名詞ともなっている人物だ。このコラムに触れて、そんなボブ・デュランとイ
チローを比べるという視点をとてもユニークに感じた。
それは
1965年ニューポートフォークフェスティバルでの出来事だった。それまで生ギター一本で、反戦的なフォークソングを発表し続けていたデュランは、この
フェスティバルで、突然電気楽器を使って、けたたましい大音響をバックに歌い始めた。フォークロックの誕生である。しかしながらこの時、それまでのデュラ
ンに生ギターをかき鳴らしながら肉声で歌うデュランのイメージが強すぎたこともあり、ファンはデュランの変貌について行けなかった。その結果激しい罵声が
ステージのデュランに浴びせられたのだった。
デュランとい
う人物は、「ライク・ア・ローリングストーン」という歌のタイトルに端的に示されるように「転がり続ける石」のように変貌し続ける稀有の天才ミュージシャ
ンである。イチローはそれに対して、ストイックに剣の道を追求する宮本武蔵のような孤高のアスリートのように思われていた。
それが今度のWBCによって、まったく180度変わってしまった。アメリカの記者にとっても衝撃だったようだ。そんなイチローのイメージ
の大転換を「ボブ・デュランを見るようだ」としたのは、最高の讃辞である。と同時に、イチローの突然の変貌振りがアメリカ人にとっても、好意的に受け止め
られていることの証しということになるであろう。
イチローの大
変貌の根源にはいったい何があるのか。それは彼がいうように日本という国の代表としてプレーをするのだという責任感からであろう。イチローは、「(WBCは)世界一を決める戦いでしょう。ならば国を背負いたい。背負わしてよ、という感じです」とも語った。この並々ならぬ
覚悟は、そう簡単にいえるセリフではないが、イチローのアイデンティティが、どの辺りにあるかということを理解するには格好の言葉である。
そもそも野球
というものは、9人で様々なポジションを分け合って戦うチームプレーのスポーツである。しかも野球には、ある瞬間には自己犠牲の精神が要求される。例え
ば、犠牲バントや進塁打というものがあるが、打席に立ってホームランや長打を打ちたい気持があっても、時には、流れのなかで自分を殺して後の者に託すとい
う瞬間がある。
イチローはWBCの優勝後の会見で、「目前の試合では、つぶれていい位の気持で戦った」と強い自己犠牲の精神を語った。但し、「つぶれ
ても良いくらいの気持ち」とイチローがいっても、彼のプレーには常にゆとりがある。それは準備が万全であるための余裕というものといってもよい。要するに
全力を出しながら、彼のプレーにはどこかにゆとりが見えるのだ。だから彼はケガが極端に少ない。
この「自己犠
牲の精神」は、野球というゲームの究極の本質であるというように思う。またこの精神は、源義経や織田信長に至るまでかつて日本のサムライたちが気風として
持っていた美しき精神でもあった。
第二次大戦の
不幸な一時期、この美風を曲解する向きがあり、それ以後、日本人はかつて誰しもが持っていたサムライ精神を捨ててしまった嫌いがある。野球というゲームの
究極には、その精神が宿っており、今回WBCにおけるイチローの活躍によって、私たちは廃れてしまったいた日本的
精神の美しさを再認識することができたのである。
結論である。
今回のイチローの変貌振りは、アメリカの記者のいうように確かに衝撃的であった。ここまで感情を包み隠さず、露わにしながら、イチローが、プレーするなど
誰が考えたであろう。アメリカの記者は、そんなイチローの変貌を、ボブ・デュランが電気楽器に傾倒したことに喩えて「REBIRTH」(復活)と表したのである。これはアメリカがイチローを改めて天才的なアスリートとして認めた証しであっ
た。確かに記者のいう通りかもしれない。ボブ・デュランにとって、「生ギター」から「電気楽器」への展開は、自己表現の限界からのブレークスルー(革新)
だった。それ以後、デュランの歌は、プロテストソング一辺倒の直接的な表現から、「ライク・ア・ローリングストーン」に示されるように、暗示的で、より哲
学的なものとなった。そしておよそ歌にはならないと思われるようなテーマまで扱われるようになって深みを増していった。そしてボブ・デュランの独特の音楽
世界が生まれたのであった。
さてわがイチ
ローはどうか。今回のWBCは、イチローにとって、いうならば、「ライク・ア・ローリングストーン的転回」であっ
た。今期もWBCの終了後間もなく開幕するアメリカ大リーグを舞台にイチローの世界がどのように展開するか、実に楽しみになってきた・・・。06.3.22
3
「サダハル・オー」からイチローに受け継がれしもの
WBCの試合前のバッティング練習で、イチローがテンポよくホームラン性の当たりを連発していた。それを後で見ていた若い川
崎内野手に王監督が寄っていって、「川崎よく見ておけよ。イチローは色々なバッティング技術を持っている。角度をつけてホームランも打つ技術もある。しか
し試合になれば、10あるうちの1や2の技術でプレーしているんだ。これがイチローなんだ」すると川崎は、食い入るようにイチローの打撃を見つめ続けてい
た。
確かにイチ
ローの技術については、大リーグ最高年棒のスーパースターアレックス・ロドリゲスが、「オールスターのホームラン競争にイチローはでるべきだ。」というほ
どの技術の持ち主で、大リーグ関係者もイチローがホームランを狙って打てば年間30本前後の力は十分にあると語る。
そんなイチ
ローが、王監督の偉大さを身を持って知らされたのは、昨年大リーグの試合において、一試合日本のホームランを打ってダッグアウトに入ると、「凄いねイチ
ロー、まるでサダハル・オーのようだ」という言葉を聞いたからだと言う。
日本人が思う
以上に、王貞治の名は、大リーグの選手やアメリカのベースボールファンにも浸透している。一本足打法をアメリカでは、片足を上げて打つところから「フラミ
ンゴ打法」と呼ばれている。王監督が巨人軍の時代には、その独特の打法のファンになったサイモン&ガーファンクルのアート・ガーファンクルなども、ニュー
ヨークからわざわざ観に来ていたという話は有名だ。
つまりアメリ
カのベースボール史の中でも、居合い抜きを練習に取り入れるなど、日本文化の神秘性を漂わせている王は、アメリカでも一目置かれる世界の球史にのこる伝説
的なヒーローなのである。そんな偉大な人物が、今回たまたまWBCの日本代表チームの監督になるのだから、イチ
ローが少年のようになって張り切るのもわかる。サダハル・オーのというヒーローのために全力を尽くすというのは、彼の精神性から言ってむしろ当然の選択
だった。
今回イチロー
は、偉大な先輩にバッティングのことについてこのように聞いたという。
「王さん、
(何かがきっかけで)バッティングがやさしくと感じたことはありますか?」
王さんは、少
し考えて、
「バッティン
グが、やさしい?・・・そんなことは一度もなかったな」と言った。
後にイチロー
は、この一言に勇気をもらったと語った。何故に、普通の野球人が言えば、当たり前のことを、王さんが、「やさしと思ったことはない」というと、その一言が
イチローに勇気を与えるのか。その理由は前人未踏の記録を持つ、偉大な打者でも、現役選手の間は常に打撃技術の研鑽に務めざるを得なかったというこの一点
が、イチローの打撃に対する迷いを払拭してくれたのである。
簡単に言え
ば、「バッティングは難しいもの、迷って試行錯誤するのも当然」と王監督が、現在のイチローのありのままを肯定してくれたからである。
もうひとつ、
イチローは「今回のWBCで王監督に学んだ」というエピソードがある。WBCでの優勝の会見の中で、王監督が、
「今回の優勝は終わりではなく、始まりです。私たちは次のWBCに責任を持つ立場になった」という旨の発言をしたことを、記者から口伝てに聞いたイチロー
が、「王監督らしい素晴らしい品格のある発言ですね。今回、監督の発言に重みというか品格を感じまして、大変勉強になりました」と語った。今回イチローが
王さん学んだ一番の収穫は、王貞治という人物の人格から来るこの品格というものだったと私は推測する。
その品格のエ
ピソードで第一に上げなければいけないのは、アメリカ戦での主審ボブ・デビッドソンの誤審であろう。終盤の七回だったか、小笠原の浅いレフトフライでタッ
チアップした三塁走者西岡は、楽々セーフと思われたが、二塁審判がセーフのコールをしたものの、自分に裁く責任があるとして、二塁審判のコール排除して、
アウトとした。日本は3対3の同点から4:3と勝ち越し点を上げたのを取り上げられ、最後にはあれよあれよという間に九回サヨナラ負けを喫してしまった。
試合後、王監
督は、「ベースボールが誕生した国アメリカで、このようなオーバーコールによる誤審があってはいけないと思う」ときっぱりと言った。実に理路整然としたそ
れで居て重い発言であった。きっとアメリカの関係者だけではなく、ベースボールファンそのものが、この王さんの発言に恥ずかしさを感じたことだろう。
イチローが、
品格を学んだというのは、おそらくこの時の、王監督の態度や言動をつぶさに見て肌で感じた実感だったに違いない。
日本におい
て、イチローや王貞治ほどの高みに達した打者は皆無である。今回イチローは、間違いなく王貞治の野球魂の継承者となった。それは決して言葉やマニュアルで
伝えられることではなく、魂から魂へと継承されていくものである。真言密教に灌頂(かんじょう)という儀式がある。これは密教の奥義を、師から弟子へと身
を持って伝えるものであるが、
その昔、若き
空海は、唐の都長安に行って、恵果という師と巡り合った。以心伝心、得体の知れない日本から来た空海に灌頂をしようと恵果がいうと、弟子千人の中から反発
するものも出た。しかし恵果は、空海に灌頂を与えて、間もなく亡くなったのである。その後、密教は、中国で廃れて消滅してしまう。しかし空海は、恵果から
受けた仏典を日本に持ち帰り、今や高野山は、真言密教のタイムカプセルのような存在として恵果の教えは今日まで受け継がれているのである。
もしかする
と、今回のWBCでの王貞治監督とイチローの出会いはそんな機会だったかもしれないとさえ思う。王貞治という孤高
の天才バッターの魂を受け継いだイチローはいったいどのように進化するのか、興味は尽きない。06.3.23
4 湯
川秀樹の天才論でイチローの感性を解く
「天才と呼ばれる人たちは、他の人から断絶した存在ではなく、いろいろな条件が相対的によかったが故に、客観的な価値の大きな仕事を成就することによっ
て、創造性を誰の目にも明かな形で顕現したのである。」(「天才の世界」 1973
年)
この言葉は、晩年、「天才論」について傾倒した「天才の世界」のまえがきに記されたものである。私はこの言葉を読みながら、何故か、WBCで激しい自己変
身を遂げたイチローのことを思った。そして湯川博士の目で、イチローを分析すれば、どのように映るかということを、無性に検討してみたくなったのである。
イチローが天才であるか、そうでないか、ということは、議論の余地はあるまい。誰がどのようにみても、彼は日本野球始まって以来の天才児だ。彼は7年連続
で首位打者を獲得し、アメリカに渡り、首位打者2回、年間最多安打262本など、華々しい活躍をして、アメリカ大リーグのヒーローになっている。
イチローの最大の特徴は、スピードである。また肩の強さも特筆される。日本に来て、イチローのプレーを目の当たりにした現ロッテバレンタイン監督は、イチ
ローをもしかすると彼は世界一の選手かもしれない、と語ったのは、有名な話だ。イチローは圧倒的なスピードで塁間を駆け抜けて、通常であれば、アウトにな
るものをもヒットにしてしまう。しかし足の速いだけの選手なら、日本にもアメリカにも大勢いる。しかしイチローに勝てないのは、微妙な野球に対する感覚が
違うためだ。そのため絶対スピードを生かし切れないのである。むかし日本の100mのオリンピック選手飯島が、プロ野球に入って、話題となったことがあ
る。しかし圧倒的なダッシュのスピードも、他のバランスとの兼ね合いがうまくいかず、いつしか不本意な形で、野球界を去っていったことが思い出される。肩
の強さも同じである。イチローより肩の強い選手はいるだろうが、イチローの取ってから投げるスピードやレーザービームと表される地を這うようなボールの伸
びには追いつかない。
イチローのプレーを見ていると、創造性というものを強く感じる。それはあたかも、叶わぬ夢が現実として実現していくようなイメージだ。彼のアートのようなプレーが、脳裏に強く焼き付けられるは、この創造性の故であろう。
湯川博士は、「大天才というのはみずからの矛盾葛藤のなかの、自己発展の衝動がものを生みだしている」と語っている。イチローのなかの矛盾は、打てない球
を打つという矛盾を覆して、10割の打率を達成することにある。しかし彼はこれまでどのようにしても、4割の壁を越えられないほどの自己矛盾を抱えなが
ら、打撃技術の向上に励んでいるのである。つまり3割3分の平均打率を大リーグで遺しているイチローは、6割7分の矛盾を背負っていることになる。彼に
は、これを打ち負かして、もっと上手く打ちたいという強い衝動が世界のどのバッターよりもあるように感じるのである。
もっと分かり易くいえば、「もっと打率を上げたい」いや「もっと打てるはずだ」という強い思いがイチローは世界中の誰よりももっているのである。イチロー
は高校時代に、「6割や7割は打てる」ということを語ったそうだ。おそらく高校野球のレベルのピッチャー相手であれば、虚言ではなく、本気でそのように
思っていたに違いない。
しかしプロのレベルになると、相手も強者(つわもの)である。流石のイチローも生涯で4割を越える打率を打ったことは、日本においても、アメリカにおいて
もない。
ここでイチローは自分にとっての壁があることを意識しているはずだ。それを言葉にすれば、「何故、私は4割を打てないのか?」そして「4割を打つ技術とメ
ンタリティとは、どんなものか?」ということを、顕在意識であれ潜在意識であれ、もっているはずだ。
さてこの壁を突破(ブレークスルー)方法は何か。天才は、その壁をどのようにして乗り越えようとするのか。
湯川博士は、このように言っている。
「天才なる人物が・・・強度な矛盾をかかえ込んで、しかも自己発展というか、集中的に自分の人生を展開させ、つかれたもののように仕事をやり続けていく人
物が、破滅しないで生きていこうとしますと、その巨大なヴァイタリティによる精神的エネルギーを・・・等価交換的に、社会的な価値の世界のなかに展開して
いく以外に道はない。」(前掲書「天才の世界」ニュートンより 三笠書房版 P282)
湯川博士の言う「等価交換的」という言葉を少し吟味してみよう。それは自己内部における矛盾が、ひとつの契機(あるいは動機)によっ
て、より高い社会性を帯びた価値を持つものに転化することを意味する。比喩的にいえば、卵のなかで成長した雛が殻を破って出てくるようなものだ。したがって雛の次の「等価
交換的契機」は、成鳥となって、卵を産む立場となる。
イチローにおける等価交換的契機は、日本プロ野球入団以後、これまで二度あったと推測される。すなわち一度目は、2001年の大リーグ挑戦である。それか
ら二度目は今年のWBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)への積極的参加である。いずれもイチローにとっては、背負った自己矛盾の増大を解消する
機会となった。
イチローは、この自己の中で増殖し膨らんでゆく矛盾の解消として、より大きな社会性を帯びた何かに挑戦することで、矛盾に満ちた自己そのものを突破してき
たのである。考えてみれば、イチローの大リーグ挑戦は、もちろん個人的な試練ではあったが、ピッチャー野茂英雄の成功に続く、日本野球から育ったバッター
イチローという視点でみれば、社会的な意味を持つものであり、湯川博士のいうように、「等価交換的」契機であったということになる。
今回のWBCへのイチローの積極的な参加の意味は、さらに大リーグを自分の世界に引き込んでしまうような天才特有の強い衝動によってもたらされたものと推
測される。それは世界のあらゆる事象を、自己の世界に引き寄せることによって、価値そのものを転換してしまい兼ねない創造的な衝動である。今回のイチロー
が一貫してみせた躁状態の心理は、おそらくイチローの感性が、そのポテンシャルの限界までも高めなければ越えられない壁を乗り越える時に見せた天才的感性
の一端であろう。
イチローは、WBCの勝利後、シアトルマリナーズに合流し、こんなことを語った。「WBCでの一打席はオープン戦での二十打席にも匹敵する。あのようなレ
ベルの試合で戦って得たものは大きい。まったく疲れはない」
このイチローの言葉を吟味すれば、異常なほどの集中力によって、もたらされた日本チームの奇跡の勝利は、イチローの自己矛盾を解消する等価交換
的契機となり得たことを意味するものだ。要するにイチローの感性は、新たな次元移行したのである。これを、ブッダが悟りを得た後、余韻を楽しみながら、菩
提樹の下で瞑想していたのに似ていると、言ったら大げさだろうか・・・。さてイチローにとって、次の「等価交換的契機」は、いつになるであろう。
06.3.24
今年、イチローがロックの矢沢永吉との異色対談で、面白いことを言った。
「最初、イチローという人格が、突っ走って先を行っていたんだけれど、鈴木一朗がそれをずっと追いかけて、追いついたという感じです」というものだった。
周知のように、「イチロー」というグランドネームの名付け親は、イチローの最大の恩人である故仰木彬監督だった。1994年からオリックスの監督となった
仰木氏は、振り子打法と呼ばれる一風変わった打法で、二軍でくすぶっていたイチローに注目し、鈴木一朗に「イチロー」という仮面を付けさせたのである。
すると、イチローは映画「マスク」の主人公のように別人となって活躍し始めた。連日ヒットを連発し、4割を越えるのではないかと騒がれ、結局日本球界史上
初の年間通算安打200本を越える216本をマークし、打率でも3割8分5厘の高打率で、首位打者となった。マスコミは、イチローを新しい時代のヒーロー
として取り上げ、一躍、時の人となった。
以後2000年まで、イチローは、7年連続の首位打者を獲得し、クールな求道者のイメージで、日本を代表するスーパースターに登り詰めたのである。
イチローがロックスター矢沢との対談で語った「イチローと鈴木一朗の分離」という話は、人格の形成という点で、心理学的な面からも、はっとさせるものがあ
る。ユングによれば、外の社会と接触を計るために「ペルソナ」という「仮面」をつけるという。このペルソナの由来は、ギリシャ劇で役者につけた仮面から来
ている。ユング心理学の中で、この言葉は、ひとつのキーワードである。ユングは、人生の成長段階において、社会的地位や職業名など、様々なペルソナを使い
分けて社会と適合していくと言っている。
つまり鈴木一朗が、イチローというペルソナを被ることによって、スーパースターとなった。しかしイチローの心の中では、「イチローは自分ではない」という
葛藤が生まれていたのである。人格のなかで、自己の本質と仮面が大きく乖離することは、実は心の状態としては大いなる危険である。有名になって、自分とい
うものを見失って転落する人間は星の数ほどいる。原因は、このペルソナ的自己(演じている自分)と本質の自己(生の自分)との極端な乖離にある。
その意味、イチロー自身が、この乖離に気づき、イチローというイメージに本当の自分を追いつかせようと意識していたことは、幸いであった。その意味でも、
イチローは天才なのである。例えば、最近のフィギュアスケートの安藤美姫選手には、人格の形成の上で、非常に危険なものを感じる。これも、ペルソナの問題
なのである。
おそらく頭のよいイチローは、ある時から、イチローという自己と鈴木一朗という自己を意識的に使い分けれるようになったのだと思う。その結果、イチローは
自分というものを見失うことなく、これまで順調な選手生活を維持してきたのだと推測する。
さてこれからイチローの心は、どのような方向に行くのか。それはWBCのイチローの劇的な変貌によって、おおよそ明らかになる。内向的なイメージの彼が外
向的な態度に変化したことは、彼の中で、ペルソナ的自己と本質の自己の統一がなされたことを意味するように思える。ユングの用語で言えば、これを「結合」
(コンウンクチオ)という。結合は、対立するものが結婚して、別のものを産み出す創造的な心の状態であり、錬金術のように無から有を創り出すようなもので
ある。また結婚した男女が、子供を設けることにも通じる。
イチローがWBCという儀式を通じて獲得した「結合」は、イチローに劇的な変貌を遂げさせた。おそらく、今後イチローの口からは、全体性、社会
性を帯びた言葉が発せられるはずだ。それは時に「責任」であったり、「品位」であったり、あるいは「国旗を背負う」という言葉であるかもしれない。イチ
ローは、社会が仮面を付けずとも、受け入れてくれる情況を、自らの普段の努力によって獲得した。イチローは、こうして誰に気兼ねすることなく、「自分本
来」という意味の「鈴木一朗」となったのである。 06.3.28
6 宮沢賢治創作の秘密とイチロー
WBCへの参加は、イチローにとって、大きな出来事だったようだ。これまでクールな人間と思われていたイチローが、別人のように自己主張をし、秋からかな
「躁」状態とも言えるような高揚した精神状態で最後まで戦い、世界一の栄冠を王ジャパンにもたらしたのである。
これほどまでに熱いイチローを見たのは、はじめてだった。何故か、私は宮沢賢治という日本人を連想してしまった。宮沢賢治については、多方面から様々な研
究が進んでいる。その中で、心理学の福島章氏が、「不思議の国の宮沢賢治」(日本教文社 1996年)という本を書かれていて、宮沢賢治の心理的な病跡を
研究している。
それによれば、宮沢賢治は、「躁とうつの波という病相期が、くりかえし、青年期以後の賢治を訪れていることである。この病相期は、・・・おおよそ六〜七年
の間をおいて出現している。」(P39)
そして、この時期に、賢治の生涯に大きな変化が起きていると同時に、作品の表現形式にも大きな違いが見られると指摘されている。
花巻から旅費だけをもって家出し上京した大正十年(1921)の時期、賢治は二五歳の若さであったが、賢治伝説ともいえるような有名なエピソードがある。
それは一ヶ月に三千枚もの原稿を書き上げたというものである。この時の精神状態は明らかに、異様なほどに高揚していたようだ。賢治は、小学時代の恩師八木
英三に次のように語っている。
「人間の力には限があります。仕事をするのには時間がいります。どうせ間もなく死ぬのだから、早く書きたいものを書いてしまおうと、わたしは思いました。
一ケ月の間に、三千枚書きました。そしたら、おしまいのころになると、原稿のなかから一字一字とび出して来て、わたしにおじぎをするのです。・・・」(宮
沢清六著「兄賢治の生涯」新文芸読本「宮澤賢治」河出書房新社 1990年刊)
この時、賢治は精神の異様なほどの高揚期にあった。理由は様々考えられるが、一番大きかったのは、日蓮系の国柱会という在家宗教教団に入会し、布教活動な
どを含めて積極的に参加したことがあげられる。
この入信は、賢治にとって、単に信仰を持ったという以上の大きな意味を持つことであったに違いない。賢治の父は、親鸞を祖とする浄土真宗の熱心な信者であ
り、地元花巻で、家業の質屋、古着屋を営むかたわら、自らで中央から講師を呼び講習会を開くなどした信仰心の篤い人物だった。賢治にとって、この入信は、
父の呪縛から自力で逃れる契機であったと推測する。もっとずばりと言えば、賢治にとって、東京に来て自活したことは、父親の権威からの自立あるいは解放ほ
どの大きな意味があったのである。
また日蓮その人の教えは、「立正安国論」を時の為政者北条時頼に献上し、蒙古来襲を預言するなど激しいものである。それは現実の政治に対してより積極的に
参加しようとする教えである。若き賢治が、父が信仰していた阿弥陀浄土を説く他力の思想から、日蓮の法華経解釈による独自の信仰を受け入れることこそが、
若き賢治に異様なほどの高揚感をもたらしたのであろう。
このように一ケ月、三千枚を書いたという若き日
の賢治の創作時の心理は、まさに「躁」の時期であった。福島氏の説によれば、この時に書いたと思われる初期の童話の特徴は、短編が多く、即興的で一気呵成
に書き上げること、しかも文体もリズミカルで歌謡性に富でいること、内容的には幻想的な傾向があるなどと指摘する。なるほどと思う。「銀河鉄道の夜」に代
表される後期の作品は、長編であり、入念な構成や推敲が重ねられた上で発表されている。もちろんそこには、賢治の無意識が介在しているのだが、そこには人
間賢治としての創作的意思を強く感じるのである。特に「銀河鉄道の夜」については、幾度も書き直しと訂正が繰り返され、初期の作品にはない重厚な作品に仕
上がっている。しかもこの作品には、死の影という陰鬱なイメージが漂っていて、うつ的な精神状況にあることが明確である。
もちろん、三千枚を一月で書くのだから、考えていたらとても書けるものではない。ペンをもって原稿に向かった瞬間言葉があふれ出るようになって執筆したと
しか考えられないのである。
もっともイチローも面白いことをWBCの終了後に語った。
「私は目で見て打っていません。もっとも、WBCの予選の頃は、目で見ていましたが、今は違います。」
一見、何を言っているか、分からなくなる。そもそも、ボールは、ピッチャーの手を離れて、速球であれば、150キロ、変化球であれば、110キロから
130キロ台のスピードで飛んでくる。瞬きの間に18mほどの距離を飛んで来て、キャッチャーのミットに収まってしまう。常識で言えば、目で見ないで打て
るはずはない。ではイチローは、天才を気取ってはったりを言っているのか。そうではない。イチローは、ボールの軌道を直観で感じて球を捉えているというこ
とを言いたいのであろう。別の言葉で言えば、心眼という言い方もできる。つまり直観である。直観は、真っ「直」ぐに「観」ることである。いやみるというよ
りは感じるということに近いであろう。
おそらく極度に昂揚した精神が集中力をもたらし、思考とか、目測とかいうものを超えた意識がイチローの中には感覚としてあるのである。ここに宮沢賢治が軽
躁状態で、原稿を自分の思考回路を通さないようなスピードで書いたのと相通じるものがあると思うのである。
宮沢賢治の創造活動には、ある一定の周期でやってくる躁うつの気分の転換期こそ、実りの多いターニングポイントであった。このエッセイで、イチローの病跡
を追う紙面はないが、おそらく近い将来イチローの生涯も、病跡学(パトグラフィー)的研究がなされるに違いない。063.3.29
7 WBC・イチローとマツイを分かつもの
「ディオニソュソスに魅せられて」という梅原猛氏の文章がある。これは、ニーチェの「悲劇の誕生」という芸術論をベースに、梅原氏自身が自らの人生を振り
返った短い自伝だ。その最後に、こんな下りがある。
「(前略)フリードリッヒ・ニーチェは、文化をアポロン型とディオニソュソス型に分ける新しい視野を創出した。アポロン型は理性的、ディオニソュソス型は
衝動的あるいは熱狂的と解せられるが、生命そのものは多分に衝動的である、熱狂的であり、ニーチェのいうように、文化はディオニソュソス精神を失うと衰弱
してしまう。(後略)」(梅原猛著「ディオニソュソスに魅せられて」岩波書店 1998年)
この文章を読みながら、イチローの内的な意識の変化について、何かひらめくものがあった。それは一人の人間の中には、アポロン的なものとディオニソュソス
的なものが同居していて、ある契機がやってきて、それが二つの選択肢となって、道のようにして分かれ、結局、どちらかを選択しなければならないような状況
がやってきるのではないか、ということだった。
この説をもって、イチローを考えてみれば、元々イチローを知っていた人間から見て、イチローには、元々衝動的で情熱的な側面があった。だから破片かしてい
るとは思えないというように見えるはずだ。一方、あまりイチローを知らない人間からすれば、常に理性的で自分の感情を抑える冷静なイチローばかり見ている
ものだから、「クールなイチローが大変身した」となるのである。
人は誰でも、より高い次元に自分を高めようとする時、普段と同じ理性的な練習や研鑽態度を越えた精神性が必要になる時がある。つまり冒険的で、とても敵わ
ない大敵に挑戦するような熱狂的な感情の発露だ。例えば、ミケランジェロの彫刻に、ゴリアテという巨人に立ち向かう若きダビデ像がある。あの精神である。
ミケランジェロは、自らのダビデ像に、権力と戦うフィレンチェ市民の気概を全身全霊で彫り上げたのである。ピカソも、祖国スペインにドイツの爆撃機が襲来
して無差別爆撃が行われたのを怒り、あの「ゲルニカ」という世紀の大作を不眠不休で制作したと言われる。これもディオニソュソス的感情の爆発だった。
イチローは、つい3月29日のインタビューで、「日の丸を背負った時、私はこれまで自分の気持ちをコントロールできていたが、それがコントロールできない
状況がやってきた。私はそれを抑えることができなかった」と語った。これはまさに、アポロンだったイチローが、WBCの代表となり、より大きな大敵と戦う
という時に、ディオニソュソスに変身したことを物語るものではないかと思うのである。
アポロン的な感性は、平常時、自分の人生がまっすぐに開けている時には、問題なく機能するであろう。しかしアポロン的な感性が機能しなくなるターニングポ
イントというものが、誰にも必ずやってくる。人生の岐路のことだ。この時、人は、アポロン的な感性をいったん、振り捨てて、自分の目指す到達点を意識し、
ディオニソュソス的な衝動をもって挑戦しなければならない時がくる。
今回のWBCで、イチローとマツイが比較されるようになった。当初から「イチローは、オリンピックはアマチュア中心だから参加しないが、本気で世界一を争
う大会が実現すれば、私は出ます」と断言していた。一方マツイは、複数年契約で大金を貰う契約をしたばかりの遠慮もあってか、迷いに迷った挙げ句、結局、
出場しないことになった。いずれにしても、マツイにとって、今後その決断がよかったのか、どうかの答えは近々でるであろう。ただし、私は正直に言ってディ
オニソュソスになれなかったマツイは、何か大きな人生のチャンスを失ったような気がするのである。
人には、必ずイチローにとってのWBCのように派手なものでなくても、必ず「人生の岐路」と言えるようなものがくる。その時の態度として、困難な局面を打
開するのは、アポロン的な感性ではなく、ディオニソュソス的な決断が必要だと思うのだが、どうであろう。 06.3.31佐藤