イ チローの不調と悟りの本質




最近のイチローの不調を見るにつけて、「悟り」というものの、奥の深さを感じた。

昨年イチローは、ある種の「悟り」のような境地に達したと言われる。その時、イチローは奇妙な感覚を得た。ピッチャーに対峙し、左打席に立った時、左足を わずかに外側に引いてみると、両手で支えていたバットが、それまで立っていたものが、寝たというのである。

イチローの頭の中では、投手の投げる軌道がはっきりと見えて、「これなら無敵だ」と思ったようだ。それ以来、イチローは、4割を越える脅威的な打率を残し て、3割7分台で、二位に大差を付けて、2度目の首位打者を獲得した。年間262の安打数は、大リークの記録を数十年振りに更新する脅威的なものだった。

そして今シーズンは、シーズン前より絶好調で、大リークで、久しく記録されていない4割を越えることも期待されていた。ところが、開幕の4月は、好調を持 続していたものの、その後は一進一退を繰り返し、最近では25打席無安打など、3割を割りそうなところまで、打率が低下している。

私は打撃の技術は詳しくないが、「悟り」という直観というものが、日々変化を遂げていて、昨年の夏には「悟り」であった感覚が、今年の夏の次元では、「悟 り」の感覚ではなく、平凡な感性に堕していることもあるということを言いたい。

そして「悟り」という感覚が、何も絶対的な感覚ではなく、ある時、ある次元での、「真実」であるに過ぎないということを言いたい。であるとすれば、バット が寝ていることが、イチローの打撃感覚を縛っているのではないかという仮説が、そこから浮上している。

どのような事かと言えば、かつて、イチローは、バットを立てて構えていて、上からボールを潰すような格好で打っていた。言って見れば上から、ボールを切り ようなスイングであった。これをダウンスイングと言って、かつては王さんもそのようなイメージのスイングをしていた。

しかし今のイチローのスイングはバットが寝ているために頭の位置も少し投手に対して下から斜めに見上げるような感じに見える。その為に、バットの軌道も ボールの軌道に対して、瞬時の予測を立てて、インパクトを迎えるような形にならざるを得ない。この予測時間こそが問題である。

別の言葉で言えば、昨年絶好調時の集中力では正しかったことが、少し調子が鈍ってきている時には、昨年の「「悟り」の瞬間で感じた寝たことで生じた「軌道 の予測」に狂いが生じているのである。これは無敵と感覚が奢りとなって、イチローの本来の感性を縛っているようにも感じる。

現在の不調を脱するためには、イチローは、バットがボールの軌道に入りインパクトするまでの時間を短くしなければならないと思われる。そのためにには、昨 年獲得した感覚をいったん捨てる必要があると思われる。つまり軌道予測計算を一切忘れて、直観でバットを振り下ろすようにすべきではないだろうか。現在の イチローの不調は、もしかすると年齢による動体視力の低下や運動神経の萎縮なども影響していることも十分考えられる。

私が言いたいのは、昨年正しいと思われたスイングに対する「直観」が、ある種の「悟り」であったとしても、今年は通用しないこともあるという現実である。 昨年の悟りは今年の悟りではない。そのように「悟り」とは、危うく相対的な感覚であるということではないだろうか。


2005.8.10 Hsato

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