2004年6月13日 腰越の浜
群 読 の 儀

腰越状群読の儀
(2004年6月13日午前8時30分撮影「スタジオティー」立石)

小雨降る浜に集ゑば雨止みて無念の情の群読終ゆる

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6月13日、8時半、腰越の浜にて、腰越状群読の儀を挙行する予定であった。ところが、宿で眠っていると、未明から明け方にかけて、窓を叩く雨音で目覚める程の大雨が降った。雨天決行のつもりであったが、この雨脚の強さでは、滝の下で呪文を唱えるような状況になってしまいかねない。もしかして浜での群読は、難しくなるのか・・・。朝のまどろみの中で、そんな否定的な思いが脳裏をよぎった。

群読の儀に参加している人たちの中には、御年九十九才の柳沢翁の他にも高齢の方が居られる。またご婦人も大勢参加されている。「そうなると、最悪の場合は満福寺の御本堂をお借りしてやるしかないかも・・・」などと、こんな歌を詠みながら、起きあがった。
 

さてもさてもどうしたものや今朝の雨涙腺弱き判官殿かな

 
群読の儀開催直前、腰越の浜に緊張感が漂い始める

さて、朝食を終えた7時40分頃になると、誰かの声がした。
「雨が上がった。雨が上がっているよ」
サッシの窓を開けてみれば、重たい雨雲が空を覆ってはいるものの、雨はピタリと上がっている。嘘のようだ。宿を出る8時には、たまに小雨が落ちてくるが、問題なく群読が出来る空模様になっている。

予定では徒歩で、片瀬の宿から、ゆっくり龍ノ口の前を過ぎて、腰越に入る予定だった。しかし、いつ雨が降るとも限らない。そこで、急きょバスで移動することにして、片瀬からバスで小動岬の東岸にある浜に向かうことにした。バスは、片瀬海岸を廻り小動岬を抜けて、あっという間に目的地に着いた。満福寺で待機していた地元の参加者の方々と砂浜で落ち合う。およそ双方で百名ぐらいの人々だった。

狭い腰越の浜は、たちまち義経公の思いを自分の声で読んでみたいという人々の熱気で熱くなった。奥州から来た人たちは白い羽織を羽織っている。地元の人にもその羽織が配られた。その襟元には、右に「奥州義経公」、左に「相州義経公」と縫い込まれている。ここには奥州栗駒の判官森(胴塚)と相州藤沢の白旗神社(首塚)が結ばれたことを象徴する意味が込められている。また背中と袖口には、義経公(源家)の紋として一般化している笹竜胆の紋が付いている。

空は今にも泣き出しそうである。砂浜に「兜神輿」(朱色の笈に兜を挿したもの)が安置された。この神輿には、五年前に御首と御胴を神儀によって合祀した義経公の御霊土がご神体として収められている。向きは当然、頼朝公の鎮座して居られる鎌倉の方角だ。その周囲に源氏の白旗が十数本掲げられ、御香が焚かれる。一瞬にして浜に緊張が走った。

ゆっくりと源義経役の高橋弘之さんと弁慶役の高橋安敏さんが登場する。弁慶が吹く法螺貝の音が、「群読の儀」の開催を告げる。緊張が極点に達した。もはや雨も風も関係ない。腰越状を読み終える五分間に集中するだけだ。
 

願わくば腰越状読む五分間雨よ鎮まれ我が意を汲みて

演出家の白石征氏の号令がかかる。
「では皆さん。昨日のように素直に言葉をはっきり読んでください」
各自、前日の群読の稽古を思い出しながら、書き込みいっぱいの台本を出す。
 
 
水無月の二十三日腰越の浜で兄弟和解期し読む

 
声を合わせて群読の儀スタート

因みに私の台本にはこんなことが書かれてあった。
 

-義経が静に語り始める。

義経「源義経おそれながらもうしあげます。
このたび名誉にも兄君の代官に撰(えら)ばれ、
怨敵(おんてき)平家を討ち滅ぼし、
父の汚名(おめい)を晴らすことができました。
よって兄君に褒美をいただけるものとばかり思っておりましたところ、
あらぬ男の讒言(ざんげん))により、未だ慰労(いろう)の言葉すら頂いておりません。」

-群衆が声を揃えて謡う。

群衆「義経は、手柄をこそたてもしましたが、お叱りをうけるいわれは何らありません。
悔しさで、涙に血がにじむ思いでございます。
兄君、どうか私の言い分に耳をおかしください。 」

-弁慶が義経の心を代弁するように声高に叫ぶ。

弁慶「梶原の讒言のどこに正義がございましょうや。
今鎌倉の目と鼻の先にいながら、お目通りも叶わず、
この腰越で、無為に数日を過ごしております。
兄君、慈悲深きお顔をお見せください。
誠の兄弟としてお会いしたい。
それが叶わぬのなら兄弟(あにおとうと)になんの意味がありましょう…。」

-義経の心は泣いている。

群衆「今のままでは義経は虚しくてなりません。
このまま私は、胸の内を語ることも許されず、
また憐れんでもいただけないのでしょうか。」

-義経は母を偲んで幼き頃を思い出している

義経「この義経、この世に生み落とされるや、間もなく、
父君は討たれ、孤児(みなしご)となり、
母君に抱かれ、大和の山野をさまよい、
安らかに過ごした日々は一日たりともありませんでした。 」

-いつも民衆は義経の味方だった。今も昔も。

群衆「その当時、京の都は戦乱が続き、身の危険もありましたので、
数多の里を流れ歩き、里の民の世話になり、
何とかこれまで生きながらえてきました。」

-軍事の天才義経は戦場(いくさば)で水を得た魚のように飛び跳ねた。

弁慶「その時、兄君が旗揚げをなさったという、心ときめく噂を聞き、
矢も盾もたまらず、私もはせ参じ、
はたまた宿敵平家を征伐せよとのご命令をいただき、
まず手始めに、木曾義仲を倒し、次に平家を攻め立てました。」

-平家打倒は義経にとって困難ではなく希望の光だった。

義経「その後、ありとあらゆる困難に堪え、平家を討ち滅ぼし、
亡き父の御霊(みたま)をお鎮め、
兄君に歓んでいただきたい一心で励んで参ったのです。
義経には、それ以外のいかなる望もありませんでした。 」

-義経に私心はない。

群衆「また、さむらいとして最上の官位である五位の尉(ごいのじょう)に、
任命されましたのは、ひとり私だけではなく兄君と源家の名誉を考えた上でのこと。
義経には野心など毛頭ございません。」

-朝日の如き希望は失せ絶望の夕闇が義経の心に迫っている

義経「にもかかわらず、このようにきついお仕置きを受けるとは。
この義経の気持ち、どのようにお伝えすれば、分かっていただけるのでしょうか。
度々神仏に誓って偽りを申しませんと、起請文(ふみがき)を差し上げましたが、
お許しのご返事は、いまだにいただいてはおりません。」

-静かにゆっくりと余韻を残して

群衆「私にとっては、ただただ、長い不安が取り除かれ、静かな気持ちを得ることだけが望みです。
もはやこれ以上愚痴めいたことを言うのはよしましょう。どうか賢明なる御判断を。
源九郎義経・・・ 」

3
終わった。途中で雨も降り出すこともなく終わった。どこからともなく、拍手が起きた。当事者にとって、それが成功であるか、失敗であったかは、分からない。確かに前日の稽古ことを思えば、格段の進歩だった。初めの頃、みんな声が出ず朗読というものに戸惑っていて、私自身、これで「できるだろうか」と不安が過ぎった。
小雨降る浜に集ゑば雨は止み無念の情の群読終ゆる

 
午前8時45分「群読の儀」終了

演出家の白石氏は、それでも文句ひとつ言わず、「上手に読むと思わず、小学生に戻ったつもりで。」と言われ、そのセリフの持つ意味を、素人の私たちに伝えた。どこに義経の真意があるのか。その言葉が持つ意味と響きを的確に説明した。棒読みすれば、5分もかからず終わるものを、何度も何度も繰り返し、読み合わせた。次第に、みんなの意識に変化が起こった。それに連れて、声も出るようになった。

面白い論議も起きた。最後の「源九郎義経」を「げんくろうよしつね」と読んだ私に、
『そんな読み方はないはずです。自分の名前だったら、「げんくろう」なんて読みますか。「みなもとくろうよしつね」と読みでしょう』と反論した人がいたのだ。

私はそれに対してこのように答えた。
「これは、5年前に劇団民芸の岩下浩さんが、私の現代語訳一字一句を自分なりに調べ上げて、声に出されたものです。知っての通り、岩下さんは、木下順二さんの「子午線の祭り」でも弁慶役をこなし、日本でNO1の弁慶役者と言われているような名優です。しかも、岩下さんは「ゲン・クロウ・ヨシツネ・・・」と余韻が残るように読まれていますので、是非そのように読んで欲しいと思います。」

白石氏は、「どうでしょうか。花押のようなもの、つまり印と考えれば、『げんくろうよしつね』で良いと思うのですが。」と、明快に言われた。確かにそうだ。花押は印であるから、声に出して読む必要もない。それで「げんくろう」で行くことになった。後で聞いた話だが、「あの論議は面白かった」、「あれがあってまとまったんじゃないの」との声があった。どうも、そんな事などがあって返って、群読参加者の意識が高揚したようだ。まさに白石マジックだった。終わった後、白石氏は、参加者一人一人に微笑みかけながら、「良かったですよ」と祝福の握手をされた。
 

腰越で思いの丈をつらつらと綴りし人の趾偲びたり
 
久方に義経と弁慶が腰越の満福寺に入る 
(2004.6.13佐藤撮影) 

腰越に義経弁慶戻るとて里人集ひ拍手は止まず

つづく



★資料

6月13日 午前8時00分  江ノ島の紀伊国屋前に集合(点呼・笹竜胆の白旗が目印)
        8時15分  紀伊国屋出発(徒歩)
        8時30分  腰越の浜で「群読の儀」(小動岬東岩礁前の砂浜付近)
        8時50分  腰越の「満福寺」に出発
        9時00分  龍護山満福寺にて「義経公追善法要」
        9時45分  腰越より白旗神社へ向け出発(バス)
       10時20分  白旗神社大鳥居の前に集合
       10時30分  白旗神社「源義経公鎮霊祭」参加       

○群読の儀
http://www.st.rim.or.jp/~success/kosigoeJ_gundoku.htm

○朗読テキスト現代語訳「腰越状」
http://www.st.rim.or.jp/%7Esuccess/kosigoeJ_daihon01.html

○タイムマシンに乗って義経さんの首実検を見にゆく
http://www.st.rim.or.jp/%7Esuccess/kubi_time_ye.html


2004.6.25 Hsato

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