「腰越状」 (朗読岩下浩)

「腰越状」(朗読岩下浩:音楽マイルス・デービス「イン・ナ・サイレント・ウェイ」より)

朗読台本「腰越状」(岩下浩版) 

源義経おそれながらもうしあげます。

このたび名誉にも兄君の代官に撰(えら)ばれ、
怨敵(おんてき)平家を討ち滅ぼし、父の汚名(おめい)を晴らすことができました。
よって兄君に褒美をいただけるものとばかり思っておりましたところ、
あらぬ男の讒言(ざんげん))により、未だ慰労(いろう)の言葉すら頂いておりません。

義経は、手柄をこそたてもしましたが、お叱りをうけるいわれは何らありません。
悔しさで、涙に血がにじむ思いでございます。

兄君、どうか私の言い分に耳をおかしください。

梶原の讒言のどこに正義がございましょうや。
今鎌倉の目と鼻の先にいながら、お目通りも叶わず、この腰越で、無為に数日を過ごしております。

兄君、慈悲深きお顔をお見せください。 誠の兄弟としてお会いしたい。

それが叶わぬのなら兄弟(あにおとうと)になんの意味がありましょう…。

今のままでは義経は虚しくてなりません。
このまま私は、胸の内を語ることも許されず、また憐れんでもいただけないのでしょうか。

この義経、この世に生み落とされるや、間もなく、父君は討たれ、孤児(みなしご)となり、
母君に抱かれ、大和の山野をさまよい、安らかに過ごした日は一日たりともありませんでした。

その当時、京の都は戦乱が続き、身の危険もありましたので、
数多の里を流れ歩き、里の民の世話になり、何とかこれまで生きながらえてきました。

その時、兄君が旗揚げをなさったという、心ときめく噂を聞き、矢も盾もたまらず、私もはせ参じ、
はたまた宿敵平家を征伐せよとのご命令をいただき、
まず手始めに、木曾義仲を倒し、次に平家を攻め立てました。
その後、ありとあらゆる困難に堪え、平家を討ち滅ぼし、亡き父の御霊(みたま)をお鎮め、
兄君に歓んでいただきたい一心で励んで参ったのです。
義経には、それ以外のいかなる望もありませんでした。

また、さむらいとして最上の官位である五位の尉(ごいのじょう)に任命されましたのは、
ひとり私だけではなく兄君と源家の名誉を考えた上でのこと。
義経には野心など毛頭ございません。

にもかかわらず、このようにきついお仕置きを受けるとは。

この義経の気持ち、どのようにお伝えすれば、分かっていただけるのでしょうか。
度々神仏に誓って偽りを申しませんと、起請文(ふみがき)を差し上げましたが、
お許しのご返事は、いまだにいただいてはおりません。

私にとっては、ただただ、長い不安が取り除かれ、静かな気持ちを得ることだけが望みです。
もはやこれ以上愚痴めいたことを言うのはよしましょう。どうか賢明なる御判断を。
源九郎義経。

現代語意訳 佐藤弘弥



 
5年前の岩下浩氏の腰越状の朗読を再度聴いて
 
皆さま、五年前のテープをデジタル化し、HPに掲載しましたので、是非御拝聴ください。5年前に劇団民芸の岩下浩氏にお願いし、朗読していただいたものです。

岩下氏は、NHKで放映した「武蔵坊弁慶」(1986:歌舞伎の中村吉右衛門さんが主演)で、常陸坊海尊を演じ、また劇作家木下順二氏の最高傑作という呼び声の高い「子午線の祀り」では、武蔵坊弁慶を演じている名優です。

周知のように腰越状は、文治元年(1185)3月24日、壇ノ浦にて、平家軍を撃破し、討ち滅ぼしたにも拘わらず、梶原景時の讒言(ざんげん)もあって、兄頼朝の不評を買い、酒匂に5月15日には着いていたにも拘わらず、鎌倉の目と鼻の先の腰越の地に留め置かれ、ついに5月24日、心情を切々と綴った書状を大江広元に託したのでした。これを聴いていると、胸が潰れそうになります・・・。

この腰越状は、「平家物語」にも「吾妻鏡」にも「義経記」にもそれぞれ全文記載されていて、まさに判官贔屓の源流となりました。その意味で義経伝説のすべてはこの腰越状から始まったと言っても過言ではないでしょう。この心情を前にしては、敵も味方もないということです。鎌倉の武者たちのなかには、義経さんを慕う人間も多く、何で義経さんがあのような運命を負わなければならなかったかと思っていたに違い有りません。鎌倉幕府の正史と言われる「吾妻鏡」の著述には、この腰越状の挿入にしても、静御前が鶴岡八幡宮で舞を披露した箇所や、義経さんの子供を殺されて捨てられることなど、判官贔屓の心情が伺えます。

岩下氏の朗読を何度も、何度も聴きましたが、聴く度にそのもの凄い迫力に圧倒される思いがしました。芸というものの力でしょうか。

5年前、岩下さんの自宅で、深夜まで及んだ「腰越状」の録音のことが懐かしく思い出されます。岩下さんは、あらかじめ和紙に、私が現代語訳した腰越状を筆でしたためられていて、その上に朱色の筆で、調子や拍子をまるで能や狂言の台本のようにして書いてあるのでした。さすがに、戦後最高の名優であるお二人(故滝沢修氏と故宇野重吉氏)の薫陶を受けた役者は違うとつくづく思いました。そして岩下氏は、部屋を薄暗くし、心のテンションを高めると、一気に鬼の形相となり、義経さんが乗り移ったようになって悔しさをマイクに向かってぶつけられたのでした。

それから5年後、このような素晴らしいパフォーマンスが世に出ることになったのも、この所のIT技術の進歩というものがなければ出来ないことです。あさっての3月24日は、平家が滅亡をした壇ノ浦の戦いがあった日に当たります。源平双方の戦死者の冥福を祈るとともに、岩下浩氏の「腰越状」を、この時期にお聴きいただく、縁の不思議を感じます。是非お聴きください。最後になりましたが、友情にて出演いただいた岩下浩氏に感謝申し上げると共に、その鬼気迫る名演に対し改めて拍手をお送り致します。

2004.3.23 佐藤弘弥
  腰越状朗読の岩下浩氏の熱演に捧げる二首
 行けとても行けぬものかな腰越の浜飛ぶ鴫(しぎ)に思ひ託すも
 凛としてかつ切なくて悲しくて腰越状の岩下浩の叫び

*注意 音声は、インターネット・エクスプローラー付属のマイクロソフトのメディアプレーヤーで聴くことができます。ネットスケープでは、バージョンを問わず聴けません。

尚、マイルス・デービスの「In a silent way」をオーバーダビングしたヴァージョンには、創作舞踊の小松芳泉さんによる振り付けがなされ、「腰越の舞」として1999年8月28日平泉の高館義経堂の前でご自身により披露されました。
 



2004.3.23 Hsato
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