「新セイカでポン」レポート(大会後)

[11/02] [11/03] [大会]

【村松さんからの暖かいお言葉】

 さて、決勝戦はアンケートを書くためもあって、かなり後ろの席でプロジェクタを通して観戦していたので、大会終了後に TBR さんたちと合流しようと前の方に移動していきました。その途中で、村松さん(*)のお姿を見かけたので挨拶をしなければと思い、しばらく話をさせていただきました。

 村松さんは、「ありがとうございます」を連発されてましたが、「こんな素晴らしいゲームを生み出してくれて有難うございます」と言われなければならないのは私たちの方です。浜松から来たこと、明日仕事のため今日帰ることを聞かれたので答えて、そのたびに恐縮されてましたが、そこまでさせるための魅力が「パネルでポン」にはあるのです。いざとなると言葉足らずになってしまう性格のため、そのことを伝えきれなかったのは申し訳ないと思っています。

 TBR さん達と合流したあと、会場をあとにするときに、運営側の皆さんが出迎えてくれました。最後までしっかりした対応をしてくれる人達だと感じ、「来年も是非開催して下さい。参加しますから」という言葉が自然と口から出たものです。


(*) SFC 版「パネルでポン」のディレクターで、Intelligent Systems の「パネルでポン」の公式サイトの管理もしている、私が尊敬するクリエイターの一人。物腰の柔らかい優しい人です。以前、お会いしたときよりも白髪が目立っていたので、気苦労が多いのかなと心配ではあります。
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【娘育成計画】

 帰りは、19:00 ぐらいから 20:15 ぐらいまでの間、参加者の一人の高校生の子(名前聞き忘れちゃった), TBR さん, UCO さん, KnK さん, 前田さん, 私の六人で、京都駅近辺の中華料理屋で軽い打ち上げ会を行いました。

 このとき、前田さんの娘さんに英才教育を施そうという話題が出ました。実際、うちの親戚の子は小学校二年ぐらいのときから「パネルでポン」を遊んでましたし、参加された高校生の子も初プレイは小学校二年のときだとのことでした。

 ただ、前田さんの娘さんはまだ一歳であるため、最速でも八年後で、そのときに SFC が起動するのかなというオチがついていたりしました。

 もっとも、「パネルでポン」が世に出たのが 1995 年で、来年で発売から 10 年になります。そのことを考えると、八年後でも十分可能なんじゃないかなあという気はします。少なくとも、そのときにまだ「パネルでポン」をプレイしている人はたくさんいるでしょう。私がどうかは非常に微妙なところではありますけれど。


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 最後になりましたが、このような大会を開催してくれた「京都精華大学の有志の方々」に感謝いたします。「(旧)セイカでポン」の存在は知っていましたが、なかなか都合がつかず参加できていませんでした。そのことは、今でも悔いています。

 来年また開催してくれるかは微妙だそうですが、「パネルでポン」というゲームが、約 10 年ものときを経過しても多くの人に愛されているということ、その人たちが今でも腕に磨きをかけているということを肌で感じとれたことは、とても嬉しいことです。

 また、新たな「パネルでポン」が、新しく出るゲーム機のどれかで誕生することを信じています。そして、そのときは、今回集まったメンバーがどこかでオフを開催していることでしょう。というか、10 周年オフもやりたいよね


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