川村渇真の「知性の泉」

浮遊思考記録−2002年11月


●2002年11月16日

一見すると良さそうだが、実質的に中身のない意見

 世の中の多くの人が、社会を変えようと様々な意見を述べている。その中には、一見すると良さそうなのだが、よく考えると中身のない意見が存在する。そんな意見の特徴を少しまとめてみた。

 最初に1つの例を挙げよう。たとえば「難しい仕事を集団で成功させるためには、人を見抜く力が必要だ。かの△△△氏は、人を見抜く力が抜群で、難題だった○○○を成功させた。このように、人を見抜く力あれば、難しいことも何とか成功させられる」といった意見。この中の「△△△」の部分には、歴史上の有名な人物の名前を入れることが多い。
 一見すると良い意見のようだが、少し分析すると、役に立つ中身が含まれていないと分かる。まず、一番肝心な点の説明が含まれていない。△△△氏に人を見抜く力があったかどうかに関してだ。見抜く力があると判断できた根拠が、まったく説明されていない。加えて、○○○が成功した理由が、本当に人を見抜く力だったのかどうかに関しても、まったく含まれていない。そのため、実質的に中身のない意見となっている。
 ここで挙げた例と違い、実際の意見内容は文章がもっと長い。しかし、上記のような肝心な点の説明にはまったく触れてないものがほとんどだ。もし信用できないなら、似たような意見を何個も調べてみればよい。発言が長くなっているのは、大事でない内容を多く含んでいるためである。

 中身のなさを明確に理解するためには、どのように改良したら価値が高まるのかを考える方法も役立つ。改良方法は明らかで、人を見抜く力があると判断した理由と、それが成功に役立った理由を、納得できるレベルで述べるだけだ。
 これを実現するためには、判断基準が必要となる。1つ目は、人を見抜く力があると判断するための基準だ。それを満たせば、力を持っていると判断する。こうした基準が用意できると、別なパターンの例も話題に加えられる。人を見抜く力は持っていなかったものの、運が良くて成功した例や、人を見抜く力を持っていたが、運が悪くて失敗した例などだ。
 そして当たり前だが、こうした判断基準こそが、意見の中で一番価値のある内容となる。それが含まれていれば、中身のない意見と正反対の、中身が非常に濃い意見に仕上がる。
 ところが、この判断基準を作ることこそが極めて難しい。こうした話に登場するのは、「人を見抜く力」といった、定義が難しい内容だからだ。他に、「洞察力を持っている」や「正しいものをかぎ分ける力」や「将来を見通せる力」などいろいろあるが、同様に難しい。また、どれに関する意見でも、判断基準に触れていない点は共通している。非常に難しいから、まったく触れないのだろう。

 判断基準が含まれてない意見なので、もう1つの特徴も見えてくる。判断基準を書けないということは、意見を述べている本人も、判断する能力を持っていないという特徴だ。この点は極めて重要なので、少し突っ込んでみよう。
 分かりやすく説明するために、前述の例を用いる。意見の中で「人を見抜く力が必要だ」と述べている。しかし、述べている本人は、「人を見抜く力」がどのようなものなのか分かっていない。分かっていないのに「必要だ」と述べている。これは凄い意見であるし、ある意味で滑稽でもある。
 さらに、述べている本人が判断する能力を持っていないため、誰かから実例や人物を判断してくれとお願いされても、何もできないことを意味する。もちろん、恥をかきたくないのでテキトーに判断することも可能だ。しかし、そうした場合、お願いした人が優秀なら、すぐにボロが出る。たとえば、次のように質問して。「持っている人と持ってない人の違いを、分かりやすく説明してください」などと。

 以上のような視点で意見を評価すると、中身のなさが明確になってくる。実際、これに該当する意見は、簡単に見付かるほど多い。そうなる理由だが、おそらく、自分の意見を冷静に評価していないのだろう。また、論理的な思考能力の低さも、ある程度は関係しそうだ。
 こうした内容の意見を述べたがる人には、さらなる特徴がある。似たような話を数多く発言し、何度も何度も繰り返す。中身のない話ばかりなので、一向に進歩せず、何年経っても似たような話ばかりしている。
 外から冷静に見るとこんな状態だが、発言している本人は意外に満足していたりする。意見を述べた成果ではなく、述べること自体が目的だからだろう。その理由は、意見によって何かを良くしようという意識よりも、表面的にでも良い格好をしたい意識が強いためだと思われる。

 これに該当する人間は、そう簡単に直せないので、述べられた側が上手に対処するしかない。もちろん、誉めるのは最悪で、似た話を今まで以上に聞く羽目になる。意見の欠点を指摘するのがイヤなら、無視するのが一番だ。
 どのように対応するにしても、聞く側にとって大切なのは、意見の中身を見分けること。実質的に価値があるかどうか、意見のパターンごとに評価してみよう。その際には、「この意見を知ることによって、何が得られたか」や「どんな点が改良できるのか」を考えればよい。このように思考することで、話している本人は進歩がなくても、聞く側は確実に進歩できる。

●2002年11月18日

良い意見を言う人の本音が見えるとき

 インターネットが当たり前になった今日では、良い意見を述べている人を数多く目にする。該当するのは、社会の悪い部分を指摘したり、改革に関する提案を含むような意見だ。
 インターネットでの発言では、本人の顔や行動が見えない。良い意見を述べているものの、本音ではどう思っているのか、意見だけからは判断できない。多くの人は、他人から良い人間だと思われたい。そのため、他人から良く思われたいだけの目的で良い意見を述べる人もいる。そんな人は、述べた内容を心から願ってない。こうした本音を、見分ける方法はないのだろうか。

 ある程度で構わないなら、判別する方法がある。それは、会議室での行動を分析する方法だ。注目するのは、素晴らしい意見が他人から出されたときの、判別対象者の対応(発言行動)である。
 正しく理解できるように、素晴らしい意見の中身を規定しておこう。素晴らしい意見なら何でも構わないのではなく、判別対象者が発言している内容に大きく関わっていて、それよりも格段に良い内容の意見である。しかも、ほとんどの人が素晴らしいと思えるような意見だ。
 判別対象者が、自分の発言した内容を心から願っているなら、素晴らしい意見が出されたとき、賞賛や賛成の意見を述べるだろう。どんな人が発言した意見であっても。心から願っているなら、当然の行動といえる。
 逆に、判別対象者が、他人から良く思われるために意見を述べているなら、どのように行動するだろうか。それは、他人の素晴らしい意見への対抗意識やねたみの度合いと、本人の性格で決まる。対抗意識やねたみが強いほど、本人の性格が悪いほど、セコイ行為として現れる。
 考えられる行動を、いくつか挙げてみよう。自分の過去の発言と矛盾しないように、軽く誉める。素晴らしい意見を無視して、それに関しては何も発言しない。大したことはないと軽く一蹴し、それ以降は無視する。良い点にはまったく触れず、欠点を探してケチを付ける。発言者の人格などを取り上げ、意見以外の面を悪く言い、意見の印象を低下させようとする。これらのうち、後ろ側の行為ほどセコイ度合いが大きく、情けない対応である。
 この中で、素晴らしい意見を無視する行為は、何も問題ないのだろうか。残念ながら、そうとは言えない。素晴らしい意見に賛同しないのは、素晴らしい意見の採用を邪魔しているのに等しい。皆が無視したら、そのまま消え去ってしまうのだから。

 以上の観察は、1つの素晴らしい発言への対応だけ調べたのでは見分けにくい。しかし、何個かの素晴らしい発言への対応を集めると、判別対象者の意識が見えてくる。他人の素晴らしい意見を無視し続けたり、欠点だけを取り上げるようだと、自分が普段から主張している良い内容を、心から願っているわけでない。良い人間だと思われたいために発言している可能性が、非常に高い。
 該当する人の中には、特定の相手の素晴らしい意見に対してだけ、誉める人もいる。誉める相手は、自分の意見を誉めてくれる相手に限定している。つまり、自分が誉められたので、相手に誉め返している行動である。これを冷静に見ると、発言内容自体の良し悪しではなく、誰が発言したかで、誉めるかどうかを決めている行動だ。このタイプの人も、自分の普段の意見を心から願っているわけではない。
 米国人の思考や行動に詳しい友人に聞いたのだが、米国では素晴らしい意見を適切に評価して誉める人が多いそうだ。それに比べて日本人は、対抗意識やねたみの感情が強く、素晴らしい意見が出ても、無視したりケチを付けたりする人が多いという。これが本当かどうか分からないが、いろいろな会議室での発言を分析すると、素晴らしい意見が出ても、無視したり欠点だけ指摘する人を、非常に多く見かける。
 日本人に多いか少ないかに関係なく、無視したりケチを付ける人は、普段の自分の主張を心から願ってはいない。本人が告白しなくても、実際の行動が語っている。

 素晴らしい意見が正しく評価され、適切に取り上げられるためには、何を改良すればよいのだろうか。この点こそ、重要な問題である。
 もっとも有効なのは、「建設的な結論を得るための議論手法」コーナーで紹介しているような、良い議論手法を採用することだ。とくに電子会議室では、顔合わせの会議よりも議論の質を高めにくいので、このような議論手法の採用が有効に働く。
 ただし、発言者の全員に、こうした手法を習得させるのには時間がかかる。仕方がないので、議長役などの一部の人が先に習得し、他の人に教えるのが現実的な方法となる。また、このような手法を採用すると、悪い意見が採用されなくなって(このこと自体は良いことだが)、文句を言い出す参加者も現れる。こうした人への上手な対処も手法の中に含まれているので、十分に習得しておく必要がある。
 議論手法を採用した場合でも、前述の本音の見分け方は役に立つ。心から願ってない人を見分け、あまり相手にしない方が賢明だ。その分の労力を、心から願っている人に向ければ、良い議論結果を得られる可能性が高まるのだから。


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