川村渇真の「知性の泉」

浮遊思考記録−2002年12月


●2002年12月25日

セコイ行為の見分け方と、その基礎となる分析方法

 インターネットの普及により、電子会議室に匿名で参加できる人の数が、爆発的に増えた。発言内容の中には、セコイ行為もかなり多い。明らかにセコイ行為だと、誰もが気付く。しかし、言葉遣いが紳士的なセコイ行為だと、気付く人が少ないようだ。そこで、セコイ行為の見分け方を整理してみた。

 まず基本として、言葉遣いの良し悪しに惑わされてはいけない。見かけの言葉遣いを取り除いた、発言の中身だけに注目する。それも、細かな中身ではなく、中心となる意見に。
 中心となる意見が見付かったら、他人との意見で、その関係を調べる。セコイ行為を行うときは、必ず相手がいるからだ。関係で見るのは、誰に対しての発言なのか、賛成なのか反対なのかだ。特に注目すべきなのは、相手の意見のどの部分に対応しているかで、意見の中心部分か枝葉部分かを見極める。
 セコイ行為は、相手への反対という形で現れるので、反対意見だけに注目する。その中でも、相手の意見の枝葉部分に対応している意見だ。中心部分を無視して、枝葉部分にだけ文句を言ってるなら、セコイ行為となる。
 もう1つの注目点は、大事な問いかけに対する無視だ。セコイ行為をする人ほど、自分にとって都合の悪い話題を無視する傾向が強い。重要な点に関して、誰かが質問したり、詳細を求めたりした、問題点を指摘したとき、その回答発言を探す。もし見付からなければ、その相手を、セコイ行為の調査候補とする。該当する人の発言を、詳しく調べてみればよいだろう。

 セコイ行為の代表的な例を知っておくと、見分ける際に役立つ。単純なものと、いくつか挙げてみよう。相手の意見の欠点ばかり指摘して、良い点は無視する。意見に欠点が見付からないときは、相手の人格や言葉遣いを悪く言う。自分の意見の欠点を相手から指摘されても、無視し続ける。関係のない発言の中で、反対意見を遠回しに述べる(堂々と反論すればいいのに)。
 次は、もう少し見分けにくい例を挙げよう。自分が発言してた内容に関して、誰かが素晴らしい意見を述べたのに、完全に無視する(発言し続けて関心があるのだから、コメントすべきなのに)。意見の中身ではなく、述べた相手によって態度を決め、特定の相手だけ攻撃したり、一部の相手だけ誉めたりする。
 見分けにくい行為ほど、1個の発言で見分けられない傾向が強い。会議室内での行為が変だなと感じたら、その人の発言を複数並べて、全体的な傾向を調べてみよう。そうすれば、セコイ行為を発見しやすい。

 実は、以上のような内容を発見できた別な方法がある。もっと根本的な見分け方といえる方法が。それは、良い行為をする人なら、どのように発言するかを考え、実際の発言者の行為と比べる方法だ。同じか近い行為なら良い行為と判断し、かけ離れているならセコイ行為と判断する。これは非常に有効で、初めて見たセコイ行為でも発見できる。
 たとえば、誰かが素晴らしい意見を出したときの、他の参加者の対応だ。素晴らしい意見に関係する話題について、積極的に発言していた人なら、どのように行動するだろうかと考える。もし良い成果を本当に望んでいるなら、素晴らしい意見を誉めるだろう。もし小さな欠点を指摘するとしても、素晴らしい点は大きく誉めるはずだ。
 ところが、実際の発言者が、完全に無視したり、何も誉めないで欠点だけ指摘したとする。この場合、どちらもセコイ行為と判断できる。こうしたセコイ行為をするのは、自分が良いことを言うのだけが目的で参加し、良い成果など望んでいない人に多い。
 このように発言内容を細かく分析すると、各発言者の参加目的が大まかに見えてくる。もちろん、主催者も含めて。そして、主な発言者の発言内容を分析すると、会議室の狙いや特徴も見えてくる。非常に有効で面白い方法だ。

 良い人の発言内容を予想し、それと比べる方法は、少し改良するだけで、別な目的にも使える。本サイトでの例を挙げるなら、難しい内容を理解したかどうかの判定だ。
 この場合は、発言内容を予想するのではなく、物事を理解しているとしたら、どのような説明が可能になるかを考えた。理解しているなら、理解対象の中身を説明できるだろうと。それを、理解しているような態度の人の発言と比べてみた。その結果、中身については説明してないので、理解していないと判定した。
 この比較方法は、私がよく使う分析方法の1つだ。いろいろな対象に利用できるため、かなり重宝している。身の回りの対象を取り上げて練習すれば、少しずつ使えるようになるだろう。この機会に試してみてはいかがだろうか。

 最後に、セコイ行為が行われる場所に関しても触れておこう。基本的に、どんな会議室でもセコイ行為が発見できる。掲げているテーマには関係ない。どんなに高尚なテーマを掲げていても、言葉遣いがいくら紳士的であっても、数多くのセコイ行為が見付かる。その実例は至る所にあるので、いとも簡単に探せるはずだ。
 そんな発言例を反面教師にして、自分だけはセコイ行為をやらないようにしよう。セコイ行為をする人が多い現状では、それだけで貴重な人材となるのだから。

●2002年12月30日

本サイトの内容をパクる人々

 本サイトで私は、他のサイトや一般の雑誌などでは読めない、非常に濃い内容を中心に述べている。教育などの一般的な話題を取り上げる場合でも、世間の認識と同じ内容ならあえて触れず、認識が異なる内容に絞っている。その結果、枝葉でなく“主要な部分”に関しては、他の多くの人とは異なる意見になりがちで、同じどころか似た内容すら滅多にない(中身はまったく違うのに、タイトルだけ似ているのはあるが、これは似ているうちに入らない)。
 こうした内容は、一部の人には魅力的に映るようだ。適切に行動する意識を持つ人は、私の名前を出すとか、本サイトにリンクする形で、本サイトの内容を紹介している。このような行為は、その人が知的な成果を尊重している証拠である。
 逆に、本サイトの主張を、自分で考えた意見のように述べてる人もいる。簡単に表現するなら、パクリである。こうした行為は、その人が知的な成果を尊重していない証拠となる。いくら知的な内容を述べていたとしてもだ。
 知的な人生を送りたいと願っている人は、「パクリ行為をすることが、その他の知的な成果を無にする」ことを知っている。パクった経験のある人は、このことを真剣に考えるべきだろう。

 本サイトのパクリに関する情報は、私が自分で見付けることもあるし、友人から教えられることもある。両者を比べると、友人から得られる情報の方が多い。かなり前から情報が入っていて、パクリは意外に多いようだ。
 パクった内容は、オンライン雑誌やメール・マガジンなどに載っている。有名な人や出版者が関係する出版物でも、パクった内容が掲載されていた。掲載する側がパクリを見分けられないので、執筆者の良心に期待するしかない。そのため、パクリの防止は難しい。
 どのような人がパクっているのか、代表的な職種を挙げてみよう。まずは、教育関係の官僚だ。しかも、自分にとって都合の良い部分だけをパクり、教育にとって重要な部分は無視している。次は、教育分野の研究者だ。こちらも自分の立場が危うくなる内容は避け、一部だけパクっている。他に、コンサルタントも多い。雑誌などで記事を書くとき、鋭いことを何か言いたいが、自分では何も考え出せずに困り、パクってしまうのだろう。
 本サイトの内容を全部読んでいれば、いろいろな人のパクリを見付けられるかも知れない。こうした楽しみ方も、意外に面白かったりして。

 パクリを見付けたときには、どうすればよいのだろうか。パクった本人に注意したい気持ちになるかもしれないが、安易に実行してはいけない。他人の知的な成果をパクるような人間は、セコイ行為が得意な可能性が非常に高い。マトモな返事を期待できないのはもちろん、相手から攻撃的な返事が来ることもある。パクった人へ注意する前に、こうした特徴を知っておこう。
 パクった人へ注意する行為には、なかなか興味深い面もある。相手の反応によって、その人の本性を見る機会となるからだ。セコイ行為にまったく動じない人なら、こうした楽しみ方も可能である。
 パクった人に注意する以外にできることは、パクリ情報を広めることだけだろう。もちろん、本人から攻撃されない形で。こうした方法でパクリ情報が本人に伝われば、改心するきっかけを作れるかもしれない。もちろん、実際に改心するのは、その可能性のある一部の人だけだが。
 パクった人の中には、絶対に認めない人もいるだろう。「自分が以前から考えていた内容で、たまたま同じ意見の人が他にいただけだ」と。このように開き直られると、反論するのは難しい。また、追求し続けて改心させるのも難しい。開き直るような人は、多くの人が信じていなくても、どんなに白々しくても、とにかく主張し続ける傾向が強いからだ。

 知的な内容をパクる行為だが、科学の論文では、昔から存在している。発表の場が少ない時代は簡単に探せたが、インターネットの普及により、発表の場は無限に広がった。これにより、パクリが見分けにくくなった。
 おそらく今後は、パクリが今以上に増えるだろう。そのため、パクリを指摘する情報の価値も、だんだんに向上すると思う。

 私の個人的な期待としては、本サイトで提供するような内容を好んで読む人には、知的な成果をパクる人になってほしくない。パクリ行為は、知的とは正反対の行為だからだ。


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