川村渇真の「知性の泉」

浮遊思考記録−1999年03月


●1999年3月14日

災害などの募金は、どのように使われたか公表すべき

 阪神大震災が発生した直後には、いろいろな組織が募金をしていた。その中には、テレビ番組を利用して振込先を知らせているものもあった。かなりの人が募金したので、相当な金額が集まっただろう。
 今でも疑問に思っているのは、募金したお金がどのように使われたかだ。募金に協力した人に知らせる努力をしても良いのではないだろうか。もちろん、寄付した人全員に郵送したら大変なコストと手間がかかるので、現実的ではない。現在は、インターネットという便利な道具がある。ウェブページを利用すれば、見れる人は限られるものの、非常に低コストで情報を伝えられる。誰かが既に持っている場所の一部を間借りすれば、余分なコストはほとんどかからない。
 ウェブページでの公表で問題なのは、アドレスを知らないと見れない点だ。そのため、募集するときにアドレスを知らせるべきだろう。過去の募金は仕方がないとしても、今後に募金する場合は、使った結果を報告するアドレスを明示した方がよい。
 もう1つ、使い方を明示することも重要だ。誰に対してどのような行動をするのか明らかにすれば、協力する人がどの組織へ寄付するかを選べる。募金組織が被害者に直接渡さないなら、集まった寄付金をどんな組織へ渡すのかを明らかにする。また、援助する相手を特定する手もある。60歳以上のお年寄りに渡すとか、在日朝鮮人に渡すとか、特徴を持たせた募金も可能だ。相手を絞り込む場合には、理由をきちんと説明した方がよい。たとえば、在日朝鮮人に渡す場合は、「差別によって十分な援助が受けられない可能性があるので、こんなときこそ積極的に応援してあげよう」という具合にだ。募金した側の活動が明らかになるほど、自分の意向を反映させて寄付する組織を選べる。
 もう一歩進めて、いろいろな要望を募集する手もある。どのように使ったら相手のためになるのか。どんな組織へ渡すと良いのか、アイデアや注意点を出してもらう。募集している人が参考になる意見も集まるだろう。電話で受け付けると大変だが、電子メールなら手間をかけずに実行できる。
 寄付した人は、本当に正しく使われたのか、多少の疑問を持っているだろう。そんな気持ちを解消する意味で、集まったお金を渡した相手の詳しい情報も公開した方がよい。相手組織の住所、渡した部署や担当者、日付や時刻などだ。渡したときに写真を撮り、それも掲載すると良いだろう。用途ごとの金額に関しても、できるだけ細かく報告したほうが、信頼度を向上させられる。いろいろと工夫して、活動した内容を証明できるようにしてほしい。
 以上のように、募金した人との関わりを深めるのも、今後の募金活動では重要視したほうがよい。せっかく便利な道具があるのだから、それを有効に生かして、募金活動をもっと“進歩”させたいものだ。

●1999年3月18日

本サイトへの反論メールが1通も来てない

 このサイトを見ている何人かの知人から、「こんな内容を書いていたら、反論したり嫌がらせのメールが来ないのか」と尋ねられることがある。似た方向性の意見を主張しているサイトを見ると、どうやら反論や嫌がらせのメールが届いているようなのだ。ところが本サイトには、1995年6月29日の公開日から今まで、そんなメールは1通も来ていない。たいていは応援のメールで、他に質問のメールが少しある。
 反論ではないが、文句を言うメールが1通だけ来たことがある。サイトを公開して少し経過した頃だ。メールの主旨は、「まじめな内容を書きやがって、気に入らねーなぁ」という感じだった。ただし、すべてローマ字表記で書いてあったでの、真っ向から文句を度胸がなかったのだろう。本当に情けないメールだった。
 反論ではないが、意見を述べたメールも何通か来た。もっとも記憶に残っているのは、「和暦は欠陥システム」と述べたページに関する内容で、「天皇制に触れていないけど、そこに触れると一部の人の怒りを買うので、触れずにお茶を濁したのか?」という意見だった。最後に「和暦は欠陥システムという意見には賛成」と書いてあった。触れなかったのには、理由がある。暦の方式を選ぶ場合、歴史的な背景などを検討する必要はない。日付を表現する仕組みとして、どちらが優秀かどうかを検討すればよいだけだ。それ以外の点を持ち出すと、適切な議論を邪魔して、マトモな結論は得られない。こんな内容で返事を返した。
 また、「お茶を濁す」との表現を使っているが、これも適切ではない。「お茶を濁す」とは、重要な箇所に触れずに済ますことである。このテーマでは、日付を表現する仕組みとしての優劣が最重要点であり、それに触れない場合に「お茶を濁した」と言うべきなのだ。この場合は、メールの送り主のほうが言葉の使い方を間違えている。欠陥システムには賛成の意見だったので、この点に関しては、返事のメールに書かなかった(今ここで公開してしまったが)。
 以上のような状況で、残念ながら、反論のメールはまったく来ていない。もし来たら、論理的かつ科学的に論破しようと思っているのに。実は、これまでの人生経験を通じて(とくに以前勤めていた会社の中で)、ダメな意見を数多く聞いてきた。分析魔の自分としては、そんな意見の大部分が分析済みであり、きちんと論破できる準備は整っている。だから、たいていの意見には即座に対応でき、いつ来ても大丈夫な状態だ。
 本サイトの内容に反論する代表格といえば、非論理的をモットーとする人。この種の人の意見は、非論理的という特徴があるので、論破するのは非常に簡単なのだ。しかし、論理的な話が通じないので、どんなに鋭い意見を言っても無駄だと予想する。そのため、本人に返事のメールを書くよりも、本サイト内で公開しながら返事を出したほうがよいだろう。
 非論理的をモットーとする人から反論メールが何通も来たら、論破した内容を公開するための専用ページを用意しようと思っている。「こんな意見を持っているとダメだぞ」というサンプルとして、本サイトの読者に読んでもらったほうが面白いだろう。読者が、似たような意見を論破する資料としても役立つはずだ。
 という訳で、非論理的をモットーとする人(該当者の特徴は「よく使われる用語の解説」を参照)からの反論メールを待っている。こちらはたいてい忙しいので、急いで返事を出すことは難しいが、きちんと論破したいと思う。また、非論理的をモットーとする人なので、論理的な意見は最初から期待していない。だから、論理的な意見が言えなくても気にせずに送ってほしい。もちろん、バシッと論破するので、その点だけは覚悟しておいたほうがよいだろう。


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