川村渇真の「知性の泉」

浮遊思考記録−1999年02月


●1999年2月7日

低レベルの管理職が永遠に続くサイクル?

 米国に何年か行っていた知人が、久しぶりに電話をかけてきた。1年ほど前に帰国し、日本で働いているという。新しい仕事を探すために、外資系を中心に何社かの入社試験を受けたそうだ。その中には日本企業もあり、その面接試験で非常に面白い経験をしたと話してくれた。
 その会社とは、日本の大手金融機関の投資関連の子会社で、業界ではそこそこの規模らしい。面接試験には、希望する部署の部長とその部下が参加した。部長は専門的な内容を理解しておらず、部下が耳打ちしながら話を進めていったという。残念なことだが、日本企業にはありがちなパターンだ。
 知人が働いていたのは、米国と日本の両方で、日本では外資系だけである。そのため、部長に対して、部署の今後の方針をストレートに尋ねた。すると部長は、「外部のコンサルティング会社に検討してもらっている段階」と回答した。これを聞いた瞬間、知人は腰を抜かしそうになったそうだ。そう感じるのも無理はない。方針を自分で決められないのなら、その部長が存在する価値はないからだ。
 知人がもう1つ思ったのは、方針が決まっていないのなら、どうして人材を募集するのかという疑問だ。方針が決まらなければ、必要な人材のスキルを明確に規定できない。それなのに人材を募集するとは、何を考えているのだろうか。あまりにもレベルが低すぎる回答なので、それを聞いた時点で、入社する気はまったく消えたそうだ。
 試験全体の時間配分もひどすぎると言っていた。全体で1時間半しかないのに、適性試験のようなものに1時間もかけた。残りの30分が面接試験で、それですら相手は時間を持て余していたという。知人のスキルを確認するような質問は非常に少なく、世間話のような質問が多かったそうだ。何のために面接しているのか“まったく”分かっていないのではと、知人は相当あきれていた。
 あきれるのも無理はない状況だ。旧態依然とした日本企業では、仕事の能力ではなく、愛想の良さと年齢で出世が決まる。金融機関のように保護され続けた業界では、その傾向が強い。部長が何をすべきかなど深くは考えていないし、考えた内容を実行できる人材が選ばれているわけでもない。それに、そんな組織では、能力の高い人ほど社外に逃げていく。
 自分は今まで、大企業を中心に数社で勤めたことがある。どの企業でも、良い上司は見かけなかった。自分の上司が悪かったというのではなく、そもそも上司としての能力を持っている人が非常に少ないようだ。役職が上がるほど、本当なら仕事が大変なのだ。方針や具体案を決める範囲が広くなり、責任も重くなる。部下を管理するのに加え、良い方向に育てなければならない。
 これらを実現するためには、それなりの能力が必要となる。部下の管理には、きちんとしたプロジェクト管理の技術が役立つ。何でも細かく管理するのではなく、部下の性格や能力に応じて、管理すべきポイントを絞り込まなければならない。部下を育てる部分では、その業界で必要とされるスキルを理解し、部下ごとに現状の能力を照らし合わせ、向上すべき点を明確に指示する必要がある。つまり全体として、上司としての仕事を、よりシステマティックに行うべきなのだ。それができて、管理職として一人前といえる。
 しかし実際には、上司に必要とされる能力など考えていない。その最大の原因は、管理職に求める能力を企業側が理解していないためだと推測する。必要な教育もしないし、適した人材も選ばない(選べないが本当かも)。その役割は役員や人事が持っているので、その能力が低いと評価せざるを得ない。
 実は、これは重要な問題である。レベルの低い上司の下では、優秀な部下が育ちにくい。その部下がいつかは上司となり、優秀な部下を育てられない。このサイクルがずっと続き、レベルの高い人が一向に増えない。サイクルを絶つには、役員や人事による大きな変革が必要。残念なことに、それができないのが多くの日本企業なのだ。
 なぜできないのかも、非常に面白い点である。たいていの日本企業は、属する人が大きく変わらない。トップや役員は下から上がってきた人が中心で、外部の人に大半を入れ替えるなんてことはしない。同じ人がやり続けるので大きな変革は難しく、前と同じ低いレベルが続く。企業が倒産するまで..。
 上司としての仕事の仕方も、システムとして設計してみれば、実用的な内容が求められる。実は数年前にやったので、大枠は出来ているのだ。この内容も、近い将来に公開できればと考えている。優先度の高いテーマを抱えているので、最大の問題は、書く時間をどうやって確保するかだ。

●1999年2月17日

所沢の野菜ダイオキシン汚染の報道で感じた疑問

 テレビ朝日のニュースステーションが2月1日に放送した、所沢の野菜のダイオキシン汚染が、世間を大きく騒がせている。不買運動が起こったり、農家が役所やテレビ朝日に抗議したりと、全国が注目する大きな問題となった。実は、2月1日の放送を見ていた。その内容を知っているので、その後の騒動が少し変だと感じている。
 まずは、2月1日の放送内容を整理してみよう。この日の放送を見ていて大変な内容だと感じ、途中からビデオに録画して、後から再生してメモ書きに残した。残念なのは、その後に誤って上書き録画したため、注目の放送の録画は消えてしまったこと。しかし、メモ書きは残っているので、番組を見なかった人のために公表しよう。ビデオを再生しながらメモしたので、細かい部分に少しぐらいなら間違いがあるかも知れないが、だいたいは正しいはずだ。少し整理し直した結果は、以下のとおり。

2月1日のニュースステーションの特集内容(自分のメモ書きより)
1、国会の予算委員会で、公明党の大野議員が質問した
  ・農産物のダイオキシン汚染に関して、農家も市民も不安に感じている
  ・中川農水大臣は、県と相談して早急に検査したいと答弁
2、所沢では、市民がデモまでしている
  ・所沢で生産された野菜は怖くて食べていない、と市民が呼びかけ
  ・きちんと調査して結果を公表してほしい、と役所に要望を出す
3、所沢の土壌がダイオキシンに汚染されていると4年前に判明
  ・所沢市は、ダイオキシン汚染の調査結果を隠した?
4、化学物質研究者の松崎氏が意見書を出している
  ・所沢市の土壌のダイオキシン汚染度は、農業をしてはいけないレベル
  ・外国(ドイツ?)での基準値と比較しているようだ
5、JA所沢では1年前に検査したのに、結果を公表しない
  ・日本食品センターに依頼して、野菜のダイオキシン汚染を調査
  ・結果が出たにもかかわらず、未だに公表していない
6、環境総合研究所の調査結果を番組で公表した
  ・まだ集計の途中段階だが、重要なので公表する
  ・研究所の人が「はっぱもの」を調査したと言った
  ・日本の平均の汚染濃度は諸外国の10倍である
  ・所沢の調査結果は、高い方の値は上記の5〜10倍もある

 以上の内容から分かるのは、所沢のダイオキシン汚染は、ニュースステーションが発掘したのではなく、国会や地元市民には既に認識されていた点である(メモの1と2を参照)。地元で騒いでいたにもかかわらず、メディアにはあまり大きく取り上げられていなかった。火を付けたのはニュースステーションだが、それまではメディアが重要視していないようだ。
 放送内容の中で注目したのが、メモ4番の意見書である。農業をしてはいけないレベルというのは、凄い状況だと思った。この点に関し、現時点ではもっと驚いている。なぜなら、いろいろなマスメディアがこの放送を取り上げたにもかかわらず、意見書のことが(自分の見た限りでは)まったく取り上げられていないからだ。こんな重要な意見書を、なぜ取り上げないのだろうか。汚染の数値も重要だろう。それと同じぐらい、意見書の内容は重要ではないのだろか。内容が間違っているなら、その点を指摘すべきであろう。無視するのはなぜだろうか。まったく理解できない。マスメディアはきちんと仕事をしているのか!
 もう1つ、野菜の汚染が基準値(のような値?)よりも低いから安全だと連呼する状況には、どうしても納得できない。WHOの基準値が最近下げられたように、今後も基準値が下げられる可能性がある。また、環境ホルモン(内分泌撹乱化学物質)のように、ごく微量でも影響を及ぼす例も発見され始めている。そもそも、基準値より低ければ大丈夫という発想がおかしい。ダイオキシンは強力な毒物なのだ。まだ判明していないリスクを最小限に押さえる意味で、汚染度が少しでも低いほうを買うのは、消費者として当たり前の選択だろう。いくら大丈夫だといわれても買いたいとは思わない。また、他の地区の野菜の汚染度も知りたいし、その結果を見て購入する野菜を選びたい。
 これを機会に、汚染度が低い地区の農家は野菜の汚染度を調べ、数値を公表しながら低ダイオキシンをウリにして販売したらどうだろうか。今より高く売れるかも知れない。こうすれば、ダイオキシン問題の解決へのプレッシャーにもなり、いろいろな対策の実施が早まるだろう。
 ともかく、マスメディアの低レベルな現状を見ていると、本当に情けなくなる。唯一の救いは、今回のニュースステーションの放送により、食物のダイオキシン汚染問題が大きく注目されたことだ。これにより、産業廃棄物処理、ゴミ減量、材料のリサイクルなどを含めて、改善する方向に進むことを期待する。その意味で、2月1日の放送は非常に意味があったと思う。改善を促進させるためにも、マスメディアの人々はもっとレベルを向上してほしい。


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