「ある」と「ない」

 
高館での思い


桜の蕾がふくらみかけていた!
高 館
(1998.4.17) 



とかく人というものは「ある」を好み、「ない」ことを忌み嫌う傾向がある。何でも無いより、あった方がいい、と思うのが人情であるが、果たしてこの感覚は正しいのであろうか?

桜が蕾をふくらます頃(1999年4月17日)、私は二人の友人とともに、平泉の高館へ上った。そこは衣川の館ママ、異説あり)とも呼ばれる源義経終焉の地である。そこで800年の昔(文治5年=1189年4月30日)、時の英雄であった義経は、妻子を自らの手であの世に送った後、自ら腹を切り、館に火を放って、三十一歳という若さで果てたのであった。それから810年の歳月が流れ、かの人は伝説の人、「源義経」となった。

今そこは、小高い丘になっており、頂には江戸時代伊達家が建てた義経堂が建っていて、義経公の若々しい木像が安置されている。その義経公は、いつでも拝観に行く者を頼もしくも優しい面差しで迎えてくれる。そこから東方に目をやれば、遙か向こうに束稲山(たばしねやま)がそびえている。眼下を見れば、右手には北上川が雪解け水を満々とたたえて流れ、左方をみれば、前九年、後三年の役の戦場となった古戦場を二つに切り裂くように古道が北に向かってまっすぐにのびている。その道に沿って、桜並木が続いている。しかし今年の桜の開花は遅いらしく、街道を彩るまでには至っていない。蕾の赤みが往時の華やかさをわずかに伝えているだけだ。そこに見えるのは、昔のままのみちのくの自然と春の風だけであった。何もない。本当に何もない・・・。ただ春の風が、私の頬を撫でながら、通りすぎていくばかり。私はその風に母なるものを感じ、不思議な感覚に襲われた。そして思わず「何も無いって、本当に贅沢だな」という言葉を洩らしていた。

この私の感覚は、ここに来たものでなければ味わえないものかもしれない。同時にそれは、物にあふれた過ぎて、「ある」ことばかりを崇めているような間違った物質主義に陥っている日本社会に対する強烈な嫌悪感でもある。私は日本という社会において今ほど何も「ない」という感覚の復権が必要となっている時はないと思う。

都会の景色を見ればわかる。昨日のテレビで、こんな報道があった。「都内志向のマイホーム」というタイトルだったかどうか、よく覚えてはいないが、ともかく一度マイホーム取得の為に田舎に引っ込む傾向があったが、地価の下落と共に、人間が都内に戻りつつあるというレポートだった。そこでは何と12坪の土地に四階のマイホームを建てた夫婦のことが紹介されていた。しかも12坪とは言っても、東京都内であるから、田舎と比べれば、べらぼうな高い値段である。私はこの感覚が分からない。狭い土地に張り付くように四階の家を建てて、山のようなローンを抱える夫婦の幸せっていったいどんなものだろう。

首都高から東京の狭い土地にひしめき合うように建っている建物をみると、私はいつも蜂の巣をイメージして強烈なむなしさに襲われてしまう。逆に平泉高館から景観を観るたびに、本当に豊かな気持ちになり、思わずただ一言「ありがたい」とか「何もないってなんて素晴らしいのだろう」と思ってしまうのである。

何もないということが、いかに貴重で稀少で、かけがえのないものであるか、平泉高館に上り大河北上と束稲山を望みながら、しみじみと味わうことのできた旅だった…。佐藤
 


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1999.04.20