平泉高館周辺写真集20

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平泉周辺の写真をみることによって、高館をめぐる景観の意味について考えてみたい。
(少しずつ増やしていきます。また文章も追加されますので、随時ご覧下さい。)


2003年11月23日撮影

柳の御所の変貌を憂う

柳の御所2003年11月23日

柳の御所から束稲山を観る
(2003年11月23日佐藤撮影)
柳の御所からの景観は川の移動と盛り土によって変貌した。やがてここを自動車が猛スピードで走り抜けるのか・・・。

柳の御所2003年3月21日

柳の御所から束稲山を観る
この時にはまだ、盛り土が低く、川は移動させられたが、僅かに川面が見えている!
(2003年3月21日佐藤撮影)

秋暮れて変貌凄き御所跡の工事現場に桜木凛と

冬間近の11月23日、平泉に向かった。柳の御所に着くと、跡空は青々と晴れていたが、栗駒山 の方から雪雲が絶えず流れていて、頬に当たる風が冷たい。柳の御所は、余りにも変わってしまった。変わらないのは、柳の御所に立っている垂れ桜だけであ る。その日は、日曜日だというのに、工事は高館直下で、休みなく続けられていた。近づいてみれば、盛り土は、新高館橋の所まで完成した平泉バイパスの高さ にまで積まれていた。もはや平泉の高館の景観は存在観を失ってしまった。いったいこの3年間、内外で盛んに論議された平泉の景観とはなんだったのか。問題 として盛んに論議された「柳の御所?高館」のバイパス工事は、誰がどのように観ても、景観破壊そのものである。この工事の最大の問題点は、東北有数の観光 地でありながら、観光として訪れる人々の思いを無視して当初の計画が推し進められたことだ。このままでは平泉を訪れる観光客はますます減り続けるだろう。

柳の御所の東端から南側を観る
(2003年11月23日佐藤撮影)

空見れば変わらぬ青さ山見れば変わらぬ緑・平泉に立つ

平泉バイパス工事は、柳の御所を少し歩いて、かつて北上川の岸辺との境界だった付近に足を伸ば した。そこはもうすっかり盛り土がなされていて、バイパスの一部となっていた。南に目を向ければ、小高い丘となったバイパスの焦げ茶色の土が、晩秋の日を 浴びて眩しかった。かつて個々には、今頃ともなれば、水鳥たちが仲よく憩う姿が見られたものだ。しかし今や、柳の御所から見える景色といえば、土の上にア グラをかいたように見える束稲山の悲しそうな姿だ。木枯らしがときたま、ひゅーひゅーと冬雲に乗って吹き付けてくる。本当にこれでいいのか。バイパス工事 の計画変更によって、柳の御所は残ったが、ここに800年の長い年月をもって形成された景観は、見る影もなく破壊された。そこにあるのは、日本中どこにで もある大河の岸辺の平凡な景色だけだ。

柳の御所の東端から北側を観る
(2003年11月23日佐藤撮影)

バイパスの殺風巨大な盛り土を古都の守りと誰思ふべし

北に目を向ければ、日曜日だというのに、工事は 高館直下で粛々と続けられていた。よくもまあこれだけの土をどこから運んできたのかというほど膨大な盛り土が積まれて、まったく違った景色がそこには現出 していた。高館の彼方を雪雲が猛スピードで、束稲山に向かって流れていった。柳の御所という聖地は今や巨大なコンクリート塀に囲まれた惨めな「史跡」とな りつつある・・・。

新高館橋から盛り土されたのり面を観る
(2003年11月23日佐藤撮影)

文明を奢りし輩神領に足踏み出せり障り畏れず

少し柳の御所から歩いて、新高館橋に行った。そこには工事を説明する看板が並んでおり、以下に 立派な景観までも考えた工事あることが力説されている。南側を見れば、すでにこの新高館橋までは、四車線のバイパスが完成している。さらにこの道幅は、拡 げられて26mにされるようだ。北を見れば、もっと巨大なバイパスの姿がまだむき出しの土のままほぼ出来て来ていた。すでに北上川の岸辺ののり面が形成さ れている。100年に一度の洪水に耐え得るとの設計のようだが、2002年にヨーロッパでは、1000年に一度の大洪水が起きた。ダムと護岸を高くすると いうことで、勝利を収めたかに見えた欧米流の治水思想が御本家の欧米で破産し、見直されている時、原子力発電同様気が付いたら、日本だけになっていた、な どという失態がなければいいが、と祈るような気持ちで、この大げさで愚かな計画を前にして悲しくなった。

新高館橋から北に伸びる平泉バイパスを観る
(2003年11月23日佐藤撮影)

青々と秋空映す北上の大河もただの水路となりし

何度もいうことだが、この平泉バイパス計画に、平泉ならではのアイデンティティがあるのか。国 土交通省が平泉に限らず、全国でこれまで志向してきたことは、景観の標準化あるいは平準化でしかなかった。最近では、少し地域の特性を計画に入れるという 方法が採られているようにも聞くが、少なくてもこの平泉バイパスのどこにもそんな配慮はない。景観委員会の提言を聞いて植栽で済ませることで、この巨大な コンクリートの固まりを隠せるものではない。多摩川や荒川と、いったいどこがどう違うのか。これでは日本中の至る所の大河の岸辺は同じ景色になるのではな いか・・・。新高館橋の中央付近まで歩き、カメラを通して周辺を改めて見た時、思わずはっとした。この河は、かつてここに住んで縄文文化を形成した先住民 の神の河だったのだ。多くの恵みをもたらす、エミシの人々憩いの水辺だった。その日高見川は、河道を勝手に移動させられたにもかかわらず、天を映してどこ までも青くきらきらと輝いていた。でも近くに、エミシの子たちはもちろん、最近まで美しい声でさえずっていた水鳥たちの姿は、どこにもなかった。いったい 水鳥たちはどこへ行ってしまったのか。

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2003.11.24 Hsato