皆さまご承知のように、衣川は、平泉と衣川という川幅にして10mもないような川を挟ん
で平泉と境を分けている地域です。この衣川をヨルダン川と表した方
がおられましたが、確かにこの衣川は、エミシとヤマトを分かつ境界線でした。この川を挟んで、エミシの雄安倍氏とヤマトの源頼義・義家親子が覇権を争っ
て、前九年の役で対峙したのは有名な話です。平泉を建都した清衡は、何故自分の血の繋がった安部一族の都衣川ではなく、平泉を都としたのでしょう。そこに
限りない歴史のロマンがあります。
衣川の地は、歌枕として有名で、多くの歌人によって、歌に詠まれました。古の歌人たちは
「衣川」あるいは「衣
の関」と聞くだけで、歌心をそそられ、訪れてもいない衣川を夢見て、歌としました。平泉と衣川は、歴史的にも一帯の場所であるに関わらず、ともすれば、こ
れまで平泉にだけ、光が当てられてきた嫌いがあります。
しかし逆に言えば、こ
こに掲載した写真を見れば一目瞭然なように、開発の進んでいない衣
川地域の方が、往時の
栄華を偲んでゆっくりと歩ける風情というものが残っています。かつて日本のどこにもあったような、でもどこにもない、何とも懐かしい景色が、衣川には
点在しています。もちろん衣川の河口付近は、堤防工事などで、かなり様相は変化しつつありますが、景観を意識した村造りを実行していけば、素晴らしい景色
となるでしょう。平泉では、ウォーキングトレイル(遊歩道)のようなものを、人工的に作っているようですが、むしろ何も手を加えず、このままの衣川を見
せて、どんな歴史的エピソードがある跡なのかを板碑で掲示すればそれでいいのです。
かつての衣川には、桜の木が多く、桜の園のような地域でした。古道の沿道や衣川の岸辺に
桜並木を植えたならば、きっと往時の衣川の雰囲気が蘇ると思います。そこで例えば、長者原から一首坂に続く古街道を桜並木として、かつての安倍貞任と源義
家の戦を偲んで「貞任街道」とでも名付けたらどうでしょう。
今、長者原廃寺跡の発掘が進んでいて、平泉の世界遺産登録の影響が徐々に出始めていますが、必
要以上の発掘は
せずに、必要最小限で留めるべきでしょう。失われつつある日本の里村の景色がここにはあります。衣川の歌枕のロマンによって、吟行に訪れる歌人や俳人も、
是非行ってみたいと思う地域です。その為にも、観光開発プランは、せっかく残っている景観を最大限活かす形で進めるべきです。世界遺産のコアゾーンなどと
いうおよそ、この地域に相応しくない企画に踊らされることなく、腰の据わったプランが必要かと思います。くれぐれも衣川の平泉化は避けて欲しいものです。