衣川の景観

衣川の平泉化は避けるべき!!

真冬の奥大道(七日市場)から関山中尊寺を観る

真冬の奥大道(七日市場付近)から関山中尊寺を拝む
(2001年12月31日佐藤撮影)

木 も山も我もそなたも奥州の冬の真白に埋もれをりけり


皆さまご承知のように、衣川は、平泉と衣川という川幅にして10mもないような川を挟ん で平泉と境を分けている地域です。この衣川をヨルダン川と表した方 がおられましたが、確かにこの衣川は、エミシとヤマトを分かつ境界線でした。この川を挟んで、エミシの雄安倍氏とヤマトの源頼義・義家親子が覇権を争っ て、前九年の役で対峙したのは有名な話です。平泉を建都した清衡は、何故自分の血の繋がった安部一族の都衣川ではなく、平泉を都としたのでしょう。そこに 限りない歴史のロマンがあります。

衣川の地は、歌枕として有名で、多くの歌人によって、歌に詠まれました。古の歌人たちは 「衣川」あるいは「衣 の関」と聞くだけで、歌心をそそられ、訪れてもいない衣川を夢見て、歌としました。平泉と衣川は、歴史的にも一帯の場所であるに関わらず、ともすれば、こ れまで平泉にだけ、光が当てられてきた嫌いがあります。

しかし逆に言えば、こ こに掲載した写真を見れば一目瞭然なように、開発の進んでいない衣 川地域の方が、往時の 栄華を偲んでゆっくりと歩ける風情というものが残っています。かつて日本のどこにもあったような、でもどこにもない、何とも懐かしい景色が、衣川には 点在しています。もちろん衣川の河口付近は、堤防工事などで、かなり様相は変化しつつありますが、景観を意識した村造りを実行していけば、素晴らしい景色 となるでしょう。平泉では、ウォーキングトレイル(遊歩道)のようなものを、人工的に作っているようですが、むしろ何も手を加えず、このままの衣川を見 せて、どんな歴史的エピソードがある跡なのかを板碑で掲示すればそれでいいのです。

かつての衣川には、桜の木が多く、桜の園のような地域でした。古道の沿道や衣川の岸辺に 桜並木を植えたならば、きっと往時の衣川の雰囲気が蘇ると思います。そこで例えば、長者原から一首坂に続く古街道を桜並木として、かつての安倍貞任と源義 家の戦を偲んで「貞任街道」とでも名付けたらどうでしょう。

今、長者原廃寺跡の発掘が進んでいて、平泉の世界遺産登録の影響が徐々に出始めていますが、必 要以上の発掘は せずに、必要最小限で留めるべきでしょう。失われつつある日本の里村の景色がここにはあります。衣川の歌枕のロマンによって、吟行に訪れる歌人や俳人も、 是非行ってみたいと思う地域です。その為にも、観光開発プランは、せっかく残っている景観を最大限活かす形で進めるべきです。世界遺産のコアゾーンなどと いうおよそ、この地域に相応しくない企画に踊らされることなく、腰の据わったプランが必要かと思います。くれぐれも衣川の平泉化は避けて欲しいものです。

New資料 写真集20 (.11.23柳の御所)
New資料 写真集21 (.11.23高館景観)
New資 料 写真集22
(11/23衣川へ  )
New資 料写真集23(11/23衣川  )



2004,1,4 Hsato