蝦夷の馴属と奥羽の拓殖
も く じ |
皆さま、本日、めでたく、喜田貞吉翁の「蝦夷の馴属と奥羽の拓殖」(蝦夷論)入力終了しました。すると今日新聞を見ましたら、福島大学教授工藤雅樹氏の「古代蝦夷」が吉川弘文館から 刊行されたとのニュースを新聞で拝見し、奇妙な布置(コンステレーション)を感じました。 喜田翁らの研鑽から、早八十六年という長い年月が過ぎ、東北古代史の水準は、少しづつ上がって参りました。例えば、悪路とは地名であると、喜田翁が記述し、そのことを、念頭に置いたであろう高橋富雄氏は、陸奥話記の阿久利川を、アクリではなく、アクトと発音する地名で従来磐井川と考えられていた説を改め、栗原郡の一迫川か三迫川の付近との説を提示されました。
今や、高橋富雄氏や新野直吉氏の多くの著作は、既に東北古代史の古典に入る優れた論功であり、我々にとっては、常に念頭に置くべき文化遺産そのものです。新たな地平に進みつつある東北古代史の学術的レベルを思いながら、今日の喜田論文のデジタル化を皆さまで祝いたいと思います。 喜田論文が今後とも、東北文化を研究するものにとって、多くの示唆と霊感を与え続けると 私は確信しております。皆さまどうぞご活用ください。 最後に根気のいる入力作業に協力してくれた二川、渡辺、両女史に心よりの御礼を申し上げます。 2000年8月24日 佐藤弘弥
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