蝦夷の馴属と奥羽の拓殖 
も く じ
 
一席
二席
緒言
聴講の注意
講演の要領
蝦夷の旧棲地の範囲
考古学と蝦夷の遺蹟
コロボックル説
石鏃降る
コロボックルの本体
古伝説上の異種族
10 地名の研究と蝦夷
11 古代言語の比較と危険
12 五韻相通と反説の濫用
13 東西石器時代遺跡の比較
14 土器の紋様の相違
15 石鏃製作の相違
16 東西の両種族
17 古記録研究上の注意
18 古伝説の価値
19 神武東征と蝦夷
20 蝦夷の勇桿
21 安倍貞任の祖先と長髄彦
22 蛭子と蝦夷
23 出雲系の神と蝦夷
24 日高見国と蝦夷
25 大倭日高見の国
26 武内宿禰の日高見探検
27 四道将軍の派遣と蝦夷
28 始馭天下天皇御肇国天皇
29 日本武尊と日高見の国
30 北上川は日高見川
31 日河と日上湊
32 奈良朝ごろの日高見国
33 日本武尊の新研
34 小碓尊と日本武尊
35 シナの史籍祖宗の偉業
36 日本最古の文書
37 毛人五十五国
38 海北九十五国は事実
39 衆夷六十六国
40 祖宗の偉業と東夷の征服
41 日高見の国の移動
42 毛人五十五国の範囲
43 白河・菊多の関の設置
44 種族的研究の困難
45 容貌と種族
46 武士道と蝦夷
47 蝦夷の武勇
48 佐伯部と久米部
49 佐伯部と蝦夷
50 佐伯部の忠誠
51 蝦夷と兵士
52 日本人の懦弱蝦夷の強勇
53 異族と兵士
54 佐伯部と従者
55 東人の範囲
56 坂上田村麻呂は東人
57 頼光の四天王と東人
58 入鹿の従者と東人
59 板東武士と上方武士
60 東人の信義
第一席講演の概要
参考書
夷俘囚
夷俘は夷族
俘囚は日本人なりとの説
俘囚と夷俘とは同じの旧説
「江次第抄」の説
「大日本史」と俘囚
俘囚はもと王民との説の解
10 俘囚中の日本人
11 元王民たりし俘囚
12 俘囚と夷俘の区別
13 俘囚は夷種なるの証
14 王民の語の解
15 夷俘と俘囚とは同種
16 夷俘は生蕃、俘囚は熱蕃
17 夷俘の語の前後の相違
18 俘囚の起源
19 虜と俘囚
20 斉明朝ごろの蝦夷の三種
21 王朝の対夷政策の一
22 以夷制夷
23 前九・後三の役と俘囚
24 前九年役は実十二年役
25 前九役と旅純攻囲
26 俘囚安倍に代る俘囚清原
27 蝦夷の敗退は一致の欠乏
28 王朝の対策政策の二
29 「延喜式」の俘囚料
30 俘囚料と俘囚の数
31 夷地における日本人
32 遺利を東国に求む
33 奥州と黄金
34 安倍氏の俘囚なる証
35 安倍氏の由来
36 宗任と俘囚
37 前九の役は征夷の軍
38 武士と東夷
39 俘囚の文化
40 清原氏の俘囚の証
41 御館藤原氏の俘囚なる証
42 夷狄秀平
43 匈奴基衡
44 清衡自ら夷をもって任ず
45 鎌倉武士と東人
46 江戸っ児と東夷の称
47 武士の理想はアイヌタイプ
48 巡査と薩人郎等と蝦夷
49 田村麻呂の研究
50 坂面伝母礼麿降を請う
51 伝母礼麿は田村麻呂
52 系図の不信
53 陸奥・出羽は夷の地
54 蝦夷と隼人と服属年代
55 鎌倉奥羽の蝦夷
56 安藤氏
57 夷の島と渡島
58 粛慎人
59 渡島の帰属
60 南北朝ごろの蝦夷の三種
61 日の本と唐子
62 北海道の拓殖と渡党
63 日の本蝦夷の解
64 チュプカグル
65 唐子の解
66 講演の要領概括
67 北方の強
68 奥州の国造
69 東国文化の由来
70 齋部中臣両氏と房総半島
71 天智朝の夷地探検
72 石城・石背の建置問題
73 爾薩体と都母
74 達谷窟
75 利仁将軍
76 悪路王の研究
77 悪路と阿久利
78 悪路は地名
79 六郡の地域
80 安倍高丸は悪路王



 
入力終了のご挨拶

皆さま、本日、めでたく、喜田貞吉翁の「蝦夷の馴属と奥羽の拓殖」(蝦夷論)入力終了しました。すると今日新聞を見ましたら、福島大学教授工藤雅樹氏の「古代蝦夷」が吉川弘文館から 刊行されたとのニュースを新聞で拝見し、奇妙な布置(コンステレーション)を感じました。

喜田翁らの研鑽から、早八十六年という長い年月が過ぎ、東北古代史の水準は、少しづつ上がって参りました。例えば、悪路とは地名であると、喜田翁が記述し、そのことを、念頭に置いたであろう高橋富雄氏は、陸奥話記の阿久利川を、アクリではなく、アクトと発音する地名で従来磐井川と考えられていた説を改め、栗原郡の一迫川か三迫川の付近との説を提示されました。
確かにそこは、旧伊治城のすぐ側で屯が岡に近い地点で地名として阿久戸(あぐど)という地名が現在でも残っています。こうして前九年の役が起こった地点が比定されたのでした。
       
先人の研究者の思いをこのように繋いで、歴史の事実は、はじめて明らかになるのでしょう。 その意味でも、やはり古典というものの価値は、大切です。

今や、高橋富雄氏や新野直吉氏の多くの著作は、既に東北古代史の古典に入る優れた論功であり、我々にとっては、常に念頭に置くべき文化遺産そのものです。新たな地平に進みつつある東北古代史の学術的レベルを思いながら、今日の喜田論文のデジタル化を皆さまで祝いたいと思います。 

喜田論文が今後とも、東北文化を研究するものにとって、多くの示唆と霊感を与え続けると 私は確信しております。皆さまどうぞご活用ください。

最後に根気のいる入力作業に協力してくれた二川、渡辺、両女史に心よりの御礼を申し上げます。

2000年8月24日

佐藤弘弥

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200008.24 Hsato