リハビリ制度180日に反対します

当 サイトは、リハビ リ医療が最長180日で 打ち切られる制度に反対し、この 制度の改 定を訴える運動を支持します。不自由な体を押して、この運動の先頭に立つ東京大学名誉教授多田富雄先生とそのお仲間の皆さんが全国各地で懸命な活動を続け ておられます。皆さまもこの問題に目を向けていただければ幸いです。
 
緊急レポート 3月10日 両国 リハビリを考える市民の集い

リハビリ棄民 あふれる日本



佐藤弘弥



3・10これからのリハビリを考える市民の集い
(両国 KFCホール 07年3月10日佐藤撮影)

会場には全国から患者さんとその家族、リハビリ医療の現場で苦労をして いる関係者など367名が参加して熱気溢れる議論が展開された。

ぎすぎすと経済優先リハビリも180日「棄民」溢るる


 は じめに 東京大空襲の日 両国

07年3月10日昼過ぎ、私はJR両国駅に降り立った。両国駅周辺を見渡すと、両国国技館の偉容も江戸東京博物館の巨大な影も視界から消え失せて、62年 前の東京大空襲のイメージがまざまざと甦ってきた。

その惨劇は、昭和20年3月10日0時15分時頃に起こった。深夜の両国界隈に突如として空襲を知らせるサイレンが鳴り響き、暗いはずの夜空は焼夷弾に よって、あっという間に、昼間のような明るさとなった。それはやがて起こる地獄絵図の舞台を暗示させる不気味な光だった。

暗い夜空の彼方から爆音を響かせた無数のB29爆撃機が、あっという間に押し寄せくる。そして無差別絨毯爆撃は開始された。逃げまどう下町の住民たちは、 逃げ場を塞がれ、火に捲かれ、次々に殺されていった。隅田川を見れば、無数の死体が隅田川をくすぶりながら流れて行く。その死体の中を、かき分けるによう にして火を避け生き残った人もいたという。

わずか2時間半で、東京は死の街となった。この市民に向けられた無差別爆撃という「戦争犯罪」によって、関東大震災の5万八千人を遙かに凌ぐ10万人以上 の人間が犠牲となり、生き残った人々も家族を無くし、家を亡くし、焼土となった故郷の街を夢遊病者のようにさまよい歩いたのだった。それでも愚かな日本政 府は戦争終結を決断できずにいた。こうして東京大空襲は、生き残った人々の心に、永久に癒えることのない傷を遺したのである。しかしながら、東京大空襲を 生き残った人々が一様に言うのは、米軍への怨みではなく、軍国主義の指導者への批判でもなく、「二度と戦争をしてはいけない」というたった一言の祈りの言 葉である。

多田富雄氏

多田富雄氏の冒頭の挨拶
(両国 KFCホール 07年3月10日佐藤撮影)

トレードマークの蝶ネクタイ姿で冒頭挨拶をするダンディな多田先生

訥々と会場響く電子音・・・多田富雄氏の生命(い のち)の叫び


 1  多田富雄氏の挨拶と問題の所在

東京大空襲と同日という因縁を感じながら、私は両国・KFCホールで開催された「3・10 これからのリハビリを考える市民の集い」に参加した。この集ま りは、06年4月に改定された診療報酬改定によって、推計で20万人以上の患者に影響が及んでいることを考えてみようという趣旨で開催されたものである。

この集いは、全国にインターネット中継され、京都の児童劇団「やまびこ座」の児童劇団の寸劇(リハビリコント)から始まり、主催者代表として、「リハビリ 診療報酬改定を考える会」代表で世界的免疫学者の多田富雄東京大学名誉教授が開会の辞を述べられた。自ら脳梗塞で言葉を失った多田氏がどのようにして語ら れるのかと思っていると、車椅子のまま、檀上に上がった多田富雄氏は、コンピューター音声で「・・・これは弱者の人権を守る大事な闘いです。この問題を無視したら私たちの人間性が破壊されます。 私も命がけで闘います。白紙撤回まで闘いましょう」と力強く呼びかけられた。それが神からの啓示のように会場いっぱいに響いた。その後、会 は、シンポジウム、来賓の政治家の発言と予定時間を越えて2時間以上続いたのであるが、檀上の左最前列に陣取ったまま先生は、4時半近くまで、一人一人の 意見に真剣に耳を傾けられていた。また発言の際には、その都度不自由なご自身の顔を、発言者向けて敬意を表した表情をしておられた。見ているだけで自然に 頭がる思いがした。


さて今回の診療報酬改定は、何が問題なのであろうか。簡単に言えば、改定の骨子は、それまでは個々の疾患の状況によって臨機応変に行われていたリハビリ医 療が、疾患別にリハビリ日数に制限を設けたことである。第一に脳血管疾患→180日、第二に運動器疾患→150日。第三に心大疾患→150日(これは治療 開始からの日数)。第四に呼吸器→90日、などとなる。

この寝耳に水の改定によって、全国の医療現場で急激な混乱が生じた。最初の被害者のひとりが、あの国際的な社会学者の故鶴見和子氏だったと思われる。

このリハビリ日数制限反対運動の先頭に立っておられる多田富雄氏は、次のように語っている。

・・・鶴見和子さんは、一一年前に脳出血で左半身麻痺となった。一〇年以上もリハビリテーショ ンをたゆまず行い、精力的に著作活動を続けていたが、今年(06年の事 注佐藤)になって、・・・二箇所の整形外科病院から、いままで月二回受けていたリ ハビリをまず一回だけに制限され、その後は打ち切りになると宣告された。医師からは、この措置は小泉さんの政策ですと告げられた。その後間もなくベッドか ら起き上がれなくなってしまい、二カ月のうちに、前からあった大腸癌が悪化して、去る七月三〇日に他界された。直接の原因は癌であっても、リハビリの制限 が、死を早めたことは間違いない。」(「世界」「リハビリ制限は、平和な社会の否定である」06年12月号 通巻759号)

06年に発行された「環」(藤原書店)26号には、鶴見和子さんの遺言とも言える次の言葉が掲載されている。

・・・老いも若きも、天寿をまっとうできる社会が平和な社会である。したがって、生き抜くこと が平和につながる。この老人医療改定は、老人に対する死刑宣告のようなものだと私は考えている。


 2 リハビリ医療とは何か!?

鶴見和子氏の死は象徴的な意味を持っている。もしも鶴見氏が一般のリハビリ医療を受けている人物であったら、多くの死の中に埋没してしまっていたであろ う。しかし偶然ではあるが、このリハビリ改定の被害者のひとりで反対運動の中心にいる多田富雄氏と鶴見和子氏は旧知の間柄であった。

二人は「邂逅」(かいこう)という往復書簡を共著として03年に藤原 書店から刊行している。当初この著作は、対談集ということになる予定だった。しかし多田富雄氏が01年5月2日、脳梗塞に倒れられたために、往復書簡と なったものである。

多田富雄氏は序の「鈍重なる巨人(妙)」において、脳梗塞に倒れ、体がまったく動かず、言葉も発することができない状況の中から、リハビリ医療によって、 ある日突如として「麻痺していた右足の親指がぴくりと動いて」涙が流れたことなどを、感動的な言葉で綴っておられる。その上で、リハビリの医学について、

この学問はまだ歴史が浅い。学問としては未完成です。・・・東大の医学部でも、診療科があるだ けで、講座として独立してはいません。それに対象が一人一人違う。同じ脳梗塞でも部位によって違う症状が出ます。さらに同じような右麻痺でも個人によって 症状が違うのです。脳腫瘍やリウマチでは当然違った病状となるはずです。基礎になる類型学がまだないのです。それなのに、リハビリの医学はその多様性に対 処しなければならないのです。普遍性を目指す科学にはなりにくい学問です。

と記しておられる。

それに対し、鶴見和子氏は、自らの歌集の題と同じ「回生」というタイトルで次のような手紙を多田氏に送った。

「斃(たお)れてのち、熄(や)む」というけれど、わたしは人間は「斃れてのち、はじまる」と 思っています。わたしは一九九五年十二月二十四日に脳出血で倒れました。しかし幸いなことに命をとりとめ、運動神経は壊滅状態で左片麻痺になったけれど も、言語能力と認識能力は完全に残りました。倒れてからいっときも意識を失うことがなく、その晩からことばが短歌のかたちで湧き出してきました。しかしそ のときはまだ車椅子の生活で、歩くことはできませんでした。ところが、一九九七年元旦に、日本のリハビリテーションのくさわけの上田敏先生から・・・「一 度診察してあげたい」と申し出てくださったのです。これは天の恵みでした。・・・

  回生の花道とせむ冬枯れし田んぼにたてる小さき病院

(中略)杖をついて監視つきで歩くようになりましたら、こんどは「活性化」が起こったんです。・・・考えてみると「内発的発展論」というものは、・・・上 田先生のおっしゃる「積極的リハビリテーション・プログラム」というものとまったく理論的に、思想的に一致するものだと思うのです。(後略)


この二人の往復書簡による対話の中には、リハビリ医療の本質がある。人間は言うならば複雑系の極みのような存在である。リハビリ医療は、この人間に対する 未知の学問領域である。そんな中で、リハビリ医療の現場にいる医療関係者や若い理学療法士たちの必死の努力によって、やっと日本におけるリハビリの医学 が、普遍的な科学になろうとしていた。その矢先も矢先の06年4月に改定された診療報酬制度は、リハビリ医学確立の流れに思いっきり冷水を浴びせるような ものであった。いやそれどころか、リハビリ診療の本質である個々の症例の多様性を無視し、画一的なリハビリ診療しか認めない事実上の「リハビリ医療」に対 する禁止宣告である。別の言い方をすれば、それは、聖域なき構造改革を謳い、なりふり構わぬ財政削減政策を推し進めてきた小泉政権の「骨太の経済政策」か ら生まれた社会福祉政策そのものではなかったか。

その結果、起こったことは、リハビリ医療現場の混乱とリハビリを必要とする人々(社会的弱者)の「私たちを棄民として切り捨てるのか!?」という悲鳴にも 似た叫びである。最近「リハビリ難民」という有り難くない新語が生まれているが、失政によって起こったこの新たな社会的矛盾を是正するのは、やはり政治家 の責任なのである。



シンポジウムの模様
(両国 KFCホール 07年3月10日佐藤撮影)

厚労省と与党自民党と公明党は欠席した。

「美 しき日本」を解けば健常者のみ生きられるそんな世なるか

 3  政治家の責任を問う

ところが、3月10日の両国には、厚労省も不参加。与党自民党、公明党も不参加という有様である。祝電だけは、自民党中川幹事長から届いていたようだが、 与党として、この診療報酬改定法案に賛成したという負い目があって、参加しずらいということかもしれない。しかし、この改定以降の現場の混乱や最大の被害 者である患者たちの悲鳴を聞けば、今回の改定が、誰の目からみても、無理があったということである。だとすれば、被害が拡大しないうちに、反省すべきを反 省し、直ちに状況の是正を計ることが政治家の良心というものではないかと思うのである。

参加した政治家は、民主党が、ネクスト厚労大臣の鈴木寛参議院議員、共産党が小池晃参議院議員、社民党が阿部知子衆議院議員である。鈴木議員の父親は、リ ハビリ中で人ごとではないと語っていた。小池、阿部両議員は、医者であるから、問題の所在については認識されているように見えた。

ともかく、この改定がこのまま継続する期間が長くなればなるほど、リハビリ難民化する患者の数は増え続け、鶴見和子氏の悲劇が積み重なっていくことが予想 される。これは明らかな失政であり人災である。一刻も早く、超党派の議員が、結集し、知恵を絞り、現状を打開しなかればならない。何故ならば、こうしてい る間にも、リハビリを打ち切られたことによって、生きる希望を失い、寝たきりになり、あるいは本気で死ぬことを考えざるをえないような人が刻一刻と増えて いると予想されるからである。

62年前、東京大空襲という惨劇に遭いながら、それでも戦争の終結を決断できなかったために、日本人は世界で最初の核爆弾による攻撃を受けた。その結果、 広島、長崎においては、人類史上、永久に刻印されるような悲劇的な事件が起こった。もちろん大空襲と報酬制度改定問題は、質の違う問題かもしれない。しか し政治的決断という意味では、同質の意味合いを持つ問題である。政治の現場で、法律として通ったものが、多くの人の検証から、それが間違いであると気付い た時には、被害を最小限で留めるために、万難を排して、早急にこれを停止することが必要である。東京大空襲の現場である両国で開催された「リハビリ問題の 集い」で討議され、確認された事実を踏まえ、診療報酬改定が招来しつつある悲劇をこれ以上拡大させないために、政治家は直ちに、行動を起こすべきである。

  リハビリ診療180日の白紙撤回を祈り詠める歌
 
 日本の医療制度に
弱き者 切り捨て切り捨て突き進む医療制度は姥捨ての策
 リハビリ医療制度改悪に反対の意を込めて
心から こころに伝ふ言霊に念(こころ)込めてふ愚策を糺す
   
  
多田富雄氏の文芸春秋 2007年3月号の論考に寄せて詠める歌十三首
と にかくにリハビリ期間一様に180日間という絶望
生きたくてなお生きたくて生きられぬ我ら日本のリハビリ難民
今ここに鶴見和子の歌読みて言霊(ことだま)放つ永田町向け
誰知るや鶴見和子の最晩の棄民とされし深き絶望
懸命におのが使命を果たし来て棄民にさるる覚えなどなし
長く生き爺婆(じじばば)な れば無用とぞうち捨てらるる国か日本は?
安倍さんの「美しき日本」を紐解けば健常者のみ生きられる世か
ぎすぎすと経済優先リハビリも180日「棄民」溢るる
もう少しリハビリ要す患者向き「治療中止」は「死ね」にも等し
医は仁の術と云ふなり病負ふ人の心も汲めぬ祖国か
いつの世も医療現場に立つ者はヒポクラテスの誓ひ忘るな

 多田富 雄先生に二首
自らも不自由なりし体躯(からだ)もて正論叫ぶ人の尊し
無明なるこの世に見えて暗きほど星は眩し く光るものなれ


関連エッセイ
多田 富雄先生の命の叫びを聞け
多田富 雄先生の挑戦
鶴見和子小論

この記事は、07年3月14日付け市民メディア・インターネット新聞「JanJan」に 転載されました。




2007.3,11 佐藤弘弥

義経伝説
思いつきエッセイ