多田富雄先 生と鶴見和子氏の命の叫びを聞け
!!


リ ハビリ180日制限という弱者切り捨ての思想を斬る


多田富雄氏 07年3月10日 両国KFCホール

多田富雄先生近影
(07年3月10日 両国KFCホールにて 佐藤撮影)

無明なるこの世に見えて暗きほど星は眩しく光るものなれ

脳梗塞でリハビリ中の東大名誉教授多田富雄氏が、「世界 12月号」(岩波書店 通巻 759号)にて、悲痛な叫びを上げておられる。

タイトルは「リハビリ制限は、平和な社会の否定である」。その趣旨は、この三月から診療報酬制度が改定され、「リハビリ医療が、一部の疾患を除き・・・発 症から最大一八〇日に制限され・・・(医療)現場は混乱をきわめ」(同論文より)ている、というものだ。

氏が、不自由になった右手を使用せず、左手の人差し指一本で、この原稿を一字一字執筆されている姿が目に浮かぶ。この原稿の中に、多田富雄先生の思いが凝 縮しているのを感じ、自然に頭が下がる思いがした。

冒頭、今年の七月三十日に逝去された故鶴見和子氏(上智大学名誉教授 社会科学者)のエピソードと彼女の短歌がプロローグとしてあった。

鶴見和子氏の場合、十一年前に脳出血で左半身マヒとなり、この間十年以上にわたってリハビリを続けてきたが、今年になり、「二箇所の整形外科病院から、い ままで月二回受けていたリハビリをまず一回に制限され、その後は打ち切りになると宣言された。医師からはこの措置は小泉さんの政策ですと告げられた。その 後間もなくベッドから起き上がれなくなってしまい。二ヶ月のうちに、前からあった大腸癌が悪化し、去る七月三〇日に他界された」(同論文)のである。

多田氏は、この鶴見和子氏の死を「直接の原因は癌であっても、リハビリ制限が死を早めたことは間違いない」と記し、鶴見氏の次の短歌を紹介する。

 政人(まつりびと)いざ事問わん老人(おいびと)われ 生きぬく道のありやなしやと

生前、鶴見氏は、雑誌「環」(藤原書店 通巻二十六号)に、リハビリ制限の問題について、このように発言されているようだ。

「これは費用を倹約することが目的ではなくて、老人は早く死ね、というのが主目標なのではないだろうか。(中略)この老人医療改訂は、老人に対する死刑宣 告のようなものだと私は考えている」(多田氏の論文よりの再引用)

今、日本の医療をめぐる問題は、実に深刻だ。日本各地の大病院が大きな赤字を抱える中で、本当に必要な最低限の医療までが、効率と節減の名のもとに、一律 にカットされつつある。当然、そのしわ寄せは、当事者である患者に重くのし掛かってくる。

東京生まれの鶴見和子氏が、京都の宇治市の介護老人ホームに移られた深い事情は分からない。しかしこの宇治という場所の医療環境を含めた環境を気に入った 鶴見氏が、自らの死に場所と定め、十年以上もの長いリハビリ生活を続けながら、自らの学問への探求心を持ち続け、「内発的発展」という理論の実践を自身に 厳しく科し、不自由なお体をものともせず、様々な原稿を執筆されたことは敬服に値する生き方だ。また若い頃、歌人佐佐木信綱氏(1872ー1963)に学 ばれた短歌 を心の拠り所とされ、リハビリ生活の日々を深い感慨を込めて詠んだ短歌は、1300年近くになる短歌史にも遺るような秀作である。

その鶴見氏のリハビリ環境が、国の医療制度の改定によって、ガラリと変わってしまった。一般の市民にとってリハビリ制度というものは、自分やその家族が関 わりを持たなければ、関心事とは成り得ない地味なものだ。そこにたまたま、多田富雄氏という著名な人物が当事者として、 このリハビリ制度の「改悪」に声をあげられたこともあって、この問題がマスコミやインターネットを通じ、世間の関心事となり、反対の 署名活動が、大きなうねりとなった。その結果、署名の数は、「四〇日あまりの短期間に四四万四〇二二名に達した」(同論文)のである。その後、署名は〆切 後も増え続け、合計で 四八万人にも達したのである。

昨日、NHKの番組で、国保と呼ばれる「国民保険制度」が、根底から崩れているというレポートがあった。多田富雄先生の論文と併せて読んだ時、空恐ろしい ような気持ちになった。日本は「いざなぎ景気」を越えるほどの好景気であると、政府は盛んに喧伝している。しかしそれは社会的弱者である高齢者やハンディ を抱え た人々にとっては、まさに夢物語である。NHKのレポートの中では、国保の保険金が払えないために、国民保険証を取り上げられた人の数は、三十二万人に上 るそうだ。この人たちは、寒空の中で、病気やリハビリの必要があるにもかかわらず病院にも通えない状況に置かれている。生活保護制度もハードルが高く、国 保も受け られないのである。とすれば、その人々の前には、残された選択肢は、死ぬ以外にはないのではないか。日本はこのところ自殺者の数が3万人を優に越える世界 一の自殺大国だ。今後、現在のままリハビリが180日で打ち切りになったり、国民保険の適用が厳しく制限されるようなことがあれば、日本の自殺者の数は、 更に世界に類例がないほどに膨らむ可能性がある。

その一方で、日本中には、保険金の無駄遣いによって建てられた高 級ホテルも凌ぐような「なんとかピア」などと、名付けられた巨大な廃墟があちこちにある。いったいこの巨額の無駄遣いと医療制度の改定に相関関係はあるの か、ない のか、不思議でならない。

このふたつの問題を別の事と思ってはいけない。一方で大きな無駄金を湯水のように浪費し、一方では社会的弱者を金がないからと締め上げるやり方は悪政以外 の何ものでもない。このまま政治家と厚労省の官僚とのもたれないの中で、現行の制度が温存されるようなことがあっては断じてならない。もちろ ん医療費の無駄は徹底的に見直されなければならないことは確かだ。しかし今回の医療制度の改定は、情け容赦のない高齢者とハンディを持つ人々を切り捨てる ような行為であってこれを黙視することは許されない。ともかく、リハビリ制度は、患者の立場に立てば、生き死にかかわる切実な問題なのである。もはや一刻 の猶予ならない。何故なら、医療制度の改悪によって 医療難民化した無数の人々が全国各地で声も上がられず病院のベッドで悲鳴をあげているからだ。この声なき声をすくい上げることのできないようであれば、誰 だって、そもそも国庫に税金を払う気持ちすら起きないのではなかろうか。

最後に歌集「回生」(藤原書店 2001年刊)の鶴見和子氏の歌をあげる。

 さまざまな唸りを上げて病院は動物園のごとし 夜の賑やかさ



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2006.12.5 
佐藤弘弥

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