多田富雄先生の挑戦
ー知は苦をどのように乗り越え得るか?!ー


NHK12月4日(日)放送の「脳梗塞からの “再生”免疫学者・多田富雄の闘い」を拝見した。

まずその冒頭から尊敬する多田富雄先生(免疫学 東京大学名誉教授:1934−)の変貌振りに驚いた。

私ははじめこの番組が、まさか多田富雄先生のドキュメンタリーだとは思っていなかった。誰かも分からず、テレビを 見ていると、顔面をねじるように、口からは涎を垂らしながら歩いてくる人物がいる。病院のようだ。リハビリか?それにしても苦しそうだ。印象では、能役者 が能舞台をゆっくりすり足で登場してくるような感じだ。よく表情を見ると、どこか見覚えのある人に見えた。やがて、テロップが、「脳梗塞からの“再生”免 疫学者・多田富雄の闘い」と、流れた。

えっ?多田先生?どう見ても多田富雄先生だ。しかしいつものお姿とはおよそかけ離れている。あの蝶ネクタイをキリ リとしめたダンディな先生ではない・・・。

確かに多田先生が「脳梗塞」で倒れられたというニュースは聞いていた。その後、すっかりとそのことを忘れていた。

多田先生は、今回のNHKからの取材要請に、「いかなるものでもありのまま報道して構わない」旨のお話しをされた そうだ。それにしても冒頭から痛々しいほどの映像だった。

四年前(2001年5月)、突如として旅先の金沢で「脳梗塞」に倒れた先生は、右手の自由と言葉をほとんど失っ た。それでも不屈の努力によって、左手を使いパソコンを打ち、コミュニケーション手段を確保されている。その姿を目の当たりにした時、本物の知性を身につ けている学者の凄さを見せつけられる思いがした。

私は多田先生を知ったのは、10年ほど前に読んだ「免疫学の意味論」であったと思う。それから免疫学という専門分 野から宇宙や社会システムまでを俯瞰されるような先生の著作に魅せられた私は、先生の本を次々と読ませていただいた。ざっと本棚を見るだけでも、五冊の著 作が目に付く。「免疫の意味論」(1993)、「対談集「『私』はなぜ存在するか」(1994)、「対談集 生命へのまなざし」(1995)、「生命の意 味論」(1997)、「脳の中の能舞台」(2001) である。その他にも、NHKの市民大学で「免疫学」を取り上げたテキストがどこかにあるはずだ。

それでも私は多田先生の熱狂的ファンというのはなく、先生独特の軽妙な中にも真摯な学者らしい文体につねにインス ピレーションを受けていたというほどの読者であった。確か先生は、本の中のどこかで、風邪を引いた時、自分の中で行われる免疫反応を客観的に見つめる話を しておられた。

それを読み、「ははー面白い先生もいるものだな」と唸ったものだった。何しろ、風邪を引いてから、人間はその菌と 戦うために、自ら体温を高める。そのために意識は、ボーッとしてくる、などと免疫というシステムが、ズブの素人にも分かり易く書かれてある。

おそらく、今先生は、それと同じように「脳梗塞」で倒れた自分自身を客観視しながら、「まだ自分の中に何か新しいものが生まれるかもしれない」と、冷厳な科学者の眼で見つ め続けておられるのである。一方で地獄の日々を送りながら、学者という別の眼で、自分を観察対象とし、さらに別の能作者という立場では、新作の能を創作し ようとしておられる。

そんな先生を見ながら、地上に降りてきた神仏を見るような気持になった。最先端の知性を求めて努力してからこそ、 先生は脳梗塞という大病で倒れながらも、冷静さを失わず、自らを真摯な態度で見ていられるのだ。

免疫学とは、「自己」と「非自己」を見分ける体内メカニズムの学問である。しかも免疫とは、脳が支配する世界では なく、身体そのものが「自己」と「非自己」を見分けるシステムである。

世界は「識」によって存在するという仏教の「唯識」という考え方がある。もっと言えば、人間の喜びも苦しみも、 「識」というものがあることによって意識されるものである。その意味で、学究的努力によって最高水準の「識」(知性)を身につけるに至った多田先生は、 「脳梗塞」によって不自由な身体となりながら、脳が志向する真実の自己を追求したい(識)という強い欲求に支えられて、このように凛とした態度で日々過ご されているのではないだろうか。またその後、先生の身体には、前立腺ガンという病魔が取りつき、それがリンパ節まで転移しているのだという。いったい知と いうものは、どこまで苦しみを認識し、それを跳ね返す力を持つものであろう。

おそらく多田先生は、同じく寝たきりになりながら自己を冷厳に見つめ続ける生命科学者の柳澤桂子先生と同様、現在 日本で一番自己を深く見つめ続けている人物ではないかと思う。最近、そのお二人の往復書簡が「露の身ながら―往復書簡いのちへの対話」(集英社 2004 年刊)という題で刊行されている。二人の世界的な学者が、絶望の淵に追い込まれながらも、知性という誇りを武器に、生命活動を停止させようと迫りくる病魔 に敢然と挑む姿は、まさに悪魔に立ち向かうブッダかキリストのようにも思えてくる。

先生が病後に創作された詩に、「死ぬことなんかたやすい、生きたままこれをみておけ、地獄はここだ、遠いところに あるわけではない、ここなのだ・・・」というような詩の一節が映像の中で紹介されていた。まさに地獄は、先生の言う如くわれわれのすぐ目の前にあるのかも しれない。

そして今、多田先生は、世界の人類の未来を思い原爆の悲惨を描いた「原爆忌」と新作能に取り組んでおられるとい う。場面は被爆六十年の今年。原爆で命を失った男性が幽霊となって舞台に現れる。そして「過ちはくりかえすまじ」というテーマが語られる。科学者としての 反省が能作者としての先生の頭の中で作品として結晶したのだろう。頭が下がる思いだ。

我々の前には、自己の不自由な身体を背負いながら、全人類の苦悩をも背負って人類のあるべき未来を考え続ける多田 富雄先生のような人物がいる。若い研究者たちが、倒れた先生のもとに通ってきてアドバイスを求める気持はよく分かる。彼らは単に最新の研究成果に対し先生 から意見をいただこうというよりは、先生の人生そのものに接し、先生から直接学者魂を注入してもらおうと思っているに違いない。

「体が動かなくても、言葉がしゃべれなくても、私の生命活動は日々創造的である」、「何もかもうしなった。それを 突き詰めると、何かが見える」という先生の言葉に、背筋がふるえるような感動を覚えた。人 間として、同じ日本人として、このような人物と同時代に生きていることを誇りとしたい。

ドキュメンタリーは、己自身の不自由な体をむち打って、全類の未来に目を向ける先生の痛々しい姿を追いながらも、 清々しい印象を残して終わった。本番組は間違いなく、脳梗塞という大変な病と闘っておられる日本中の患者さんとその家族に大いなる勇気と生きる希望を与え たことだろう。素晴らしいドキュメンタリーであった。

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2005.12.5 佐藤弘弥

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