日本農業再生の道を探る思索の旅(7)


農の哲人二宮金次郎伝を読む 上

− 薪を背負った少年−


1 薪を背負った少年

今から、本の少し前まで、日本中の小学校の校庭の前に、背中に薪を背負い歩きながら本を読む少年の像があった。

子ども頃、私たちは何気なく、その像を初めて目にした時、ふしぎな気がしたものだ。小校の入学したての頃、先生から、この銅像は、家族のために薪取りの仕 事をしながら、その行き帰りに本を読んで学んだ二宮金次郎という人の子どもの頃の姿ですよ、と教えられた。その他にも、金次郎は「蛍の光で本を読んだ」と も聞いた記憶がある。

考えてみれば、昭和20年代から30年代にかけて、学校でこの二宮尊徳(金次郎:1787−1856)という人物を盛んに教えた背景には、敗戦から高度成 長に突入する日本の若者が貧しいながらも、志をもって、あらゆる機会を捉えて、真剣に学んだならば、その努力は、必ず報われると、希望の種を子どもたちの 心に撒くことになったのではないだろうか。

この二宮尊徳は、内村鑑三(1861−1930)が名著「代表的日本人」(原題「日本及び日本人<Japan and the Japanese>)で、西郷隆盛、上杉鷹山、中江藤樹、日蓮上人らと共に紹介している5人の日本人中のひとりである。

著者内村鑑三は、群馬県高崎生まれの人物だった。札幌農学校(現在の北海道大ラーク博士の薫陶を受けた。博士によって、内村は半ば強制的にキリスト教に入 会させられたという。同期生には盛岡出身の新渡戸稲造(1862−1933)がいた。

内村鑑三は、1891年(明示24年)第一高等中学校の教育勅語奉読式の席上、天皇真筆の教育勅語への敬礼を拒否して不敬罪に問われ、職を解かれ追放と なった。その後、内村は、妻子を抱えた各地を転々とする。しかし内村の精神は、極貧の生活の中にありながら、返って鍛えられた。彼は過去の日本人の偉人た ちの自己研鑽の跡を伝記などから探り、日本人の中に眠っている潜在的可能性を見出したのである。

この著の序(はじめに)で、内村は、このように記している。

「この小著は、一三年前の日清戦争中に・・・公刊された書物の再版であります。(中略)わが国民の持つ多くの美点に、私は目を閉ざしていることはできませ ん。日本が、今もなお『わが祈り、わが望み、わが力を惜しみなく』注ぐ、唯一の国土であることには変わりありません。わが国民の持つ長所ー私どもにありが ちな無批判な忠誠心や血なまぐさい愛国心とは別のものーを外の世界に知らせる一助となることが、おそらく外国語による私の最後の書物となる本書の目的であ ります。(東京近郊柏木にて、1908年1月8日)」
(鈴木範久訳 「代表的日本人 岩波文庫 1995年刊 11頁)

内村は二宮尊徳をこの著の中で「農業聖者」と呼んでいる。二宮金次郎は相模の国の貧しい農家に生まれた。勤勉だったという父だが、金次郎が16歳で、他界 し、金次郎は、父方の叔父の農家に引き取られ、馬車馬のように働かされる。しかし無学なままでいたくないという思いが人一倍強い金次郎は、孔子が著したと いわれる儒学書「大学」を手に入れて、ひとり夜、一家が寝静まった頃に学ぶということを始めた。ところが、叔父は、金次郎を厳しく叱りつける。灯の火を見 つけ「貴重な油を浪費するとは何ごとか」というのである。

叔父は金次郎を働き手としか見ていないのである。しかし金次郎の凄さは、ここから早くも発揮される。凄さの第一は、叔父の言うことも「一理ある」と考えて きっぱりと、夜の勉強をやめてしまったことだ。

さらに金次郎の第二の凄さがある。それはわずかな川岸の空き地を見つけ、そこに菜種を手に入れて植えたのである。つまり自分で油を採ってやろうと考えたの である。一年後、金次郎が丹精を込めて作った菜種は、見事な花を結び、袋いっぱいの収穫できた。近所の油屋に持参すると、菜種油との交換が叶ったのだっ た。金次郎は自分が考えた通りの収穫に自信を得た。彼は自分の才覚と努力によって世の中が開けていくことを知る。

しかし叔父は喜んではくれなかった。「一家のためにもっと働け」とにべもなかった。それでも金次郎は、へそを曲げなかった。そして山仕事の行き帰りに、本 を読むということを思いつく。あの私たちが小学校の前に見た銅像の姿である。彼の少年期は、満たされないどころか生きていくのがやっとの生活を送った。父 親を亡くし、里子に出され、勉強の時間すらも与えられなかった。満たされないことが、逆に彼の創意に満ちた人生のスタートとなった。

そのように考えると、日本人の心に今も強く残るあの薪を背負った少年像は、日本人の勤勉さと創意工夫を象徴するイメージなのかもしれない・・・。 つづく


二宮金次郎伝を読む 中
二宮金次郎伝を読む 下

2007.09.14 佐藤弘弥

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