[MySelf]


5月13日

<誕生秘話>

かの地上最強トーナメント、東京ドーム地下で行われたこの世紀のイベント決勝前に、
主催者である徳川光成はこう叫んだという。
「地上最強など一瞬たりとも夢みたことのない、そんな男は一人としてこの世に存在しない!」

ならば私サカイもまたこれに習い、荒ぶらせてもらおう。
「この世に生を受けた全ての男の中で、王を志したことのない雄など、唯一人として存在しない!」と。

しかしほとんどの者は成長とともにそれを諦め、又は諦めざるをえなくなっていく。
現実や社会構造、世界情勢を知るとともに、自身の中における「王」の存在を陳腐化、
もしくは希薄化させていってしまう。

だが、ここで私は皆にいま一度問いかけたい。そもそも「王」とは何なのか?
確かに中世ヨーロッパや三国志時代における王朝のそれをイメージするならば、
近代化が進んだ現代社会の中においては、そもそも定義しえない存在ではあるだろう。
ここで一つ、「wiki」の定義を取りあげたい。それによれば「王」とは、
 
特定の領土を持たずとも、ある部族や種族の長たる者を王と呼ぶ。
 転じて、ある特定の分野での頂点あるいは頂点に近い位置にある者又は物を指すこともある。
とある。
つまり「王」とは「道を志し、それを納め、その事を自覚的に名告る者」のことを指す。
身近な例で挙げれば、一人の単なるサラリーマンが一つの課で「課長」を志し、それを極め、
そのことを自覚的に告知すれば、それは立派な「課長王」なのである。
このことに照らせば、道を諦めない不屈の根性を持つ者は全員、その時点で王の資格を
十分に備えていると言えよう。

だが、これまでのそれは、まだ「王」の「定義」内に留まっているにすぎない。
それ以前の「前提」として、それを周囲に認めさせるにもう一つ、絶対的に必要不可欠な
要素があることを知るものは、私の他にはあまり多くない。
うむ、もったいぶるのは苦手なので、単刀直入に言ってしまおう。
「王」を名乗るに必要不可欠かつ絶対的になくてはならないものとは、ズバリ「語感」である!
英雄王「ギルガメッシュ」、傭兵王「カシュー」、聖賢王「ジャムシード」、悪魔王「サタン」、
岩窟王「モンテ・クリスト伯」、海賊王「ロジャー」、発明王「エジソン」、鬼畜王「ランス」、
魔動王「グランゾート」、破壊王「橋本真也」及び「ノリタカ」、海王「烈海王」、貞治王「王貞治」、
これら様々な分野の多岐に及ぶ王名の、それら全てに共通している事は唯一つ、そう「語感」なのである。

それに習うならば、何のとりえも持たない凡夫が「王」を目指したいなら、
未だ誰も歩いたことのない路でありながら、類まれなる耳響きの良さをもつ語感を探すことが、
一番の近道であると、初代フェラチ王たる私は、何故にフェラチ王であったかの理由を明確に
示すとともに、その事をここに記しておく。
「王」をまだあきらめていない者達よ、ゆめゆめ忘れることなかれ。
そう、まず「語感」という条件を満たしてから、何をするべきかゆっくり考えればよいのだ。
格の違いこそあれど全ての王に貴賎なし、「王」とはその資格・風格以前に、それが持つ
「語感」そのものが、全てを決定的にするのである。

なお先日、そのフェラチ王としての執務を遂行中、覇気放出と同時に腹筋が吊るという
偉業を成し遂げ、その場に5分ほど異形を野晒す羽目となってしまった故、遂に引退を決意し、
現在は俗世でエロゲなどを嗜んでおる毎日であることを、蛇足ながら付け加えておこうと思う。
願わくば記憶に留めおいてほしい、一つの「王」を志した男が、道半ばにして己の未熟さを知り、
ここにその道を諦めざるをえなかったことへの無念さを…
我もまた足りぬ者。今はただ、苦痛のあまり言葉も出せずに呻く私の姿を、嬉しそうな顔で
眺めつつ、「そんなに良かったー!?」と一人はしゃいでいたあのフェラチ女の無邪気さが、
眩しくて眩しくて震える… しっかし案外駄目だったね、フェラチオと王でフェラチ王。


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